文字、あるいは文章、あるいは言葉について思う事

友達が書いた長編の小説を読んだ。

私は今文章を書く仕事をしてはいるが、1を1.5にしたり、1を0.2ずつ集めて2にしたりするような、新聞のコラージュのような、そんな文章しか書いていないので、すっかり文字を書くことが億劫になり、あーあ、私って本当はやっぱり、文章を書くのなんて好きじゃないんだ。下手だし書くのは遅いし向いてないんだなあ、と薄々思っていた。

だが、友達は小説の中で

「『本当は好きじゃないのかも』なんて疑問は、心の底から好きでいたいっていうことの裏返しなんだと思う」

と書いてくれていた。私のために書いたものではないはずだから、書いてくれていたという表現はおかしいけど、私のために書いてくれた文章だ、と思った。

歌も、小説も全て、「なんか、私のために歌ってる気がする」、「私のための文章な気がする」ということだけで、人生を救ったり、生涯大切にしてしまったりする。

大学で古文をやったけれど、400年も昔の人だって好きな人と離れ離れになるのは悲しいし、月が綺麗だといいな〜、この月、あいつも見てるのかな〜なんて思うわけで、人の感情なんて、違うようでどこか少し似ていて、その触れ合った部分だけであったまっているような、そんな気がした。

私も、そうやって誰かのためじゃない言葉を使って、誰かを助けたり考えさせたりあっためたりしてみたい。私ってやっぱり言葉が好きなんだ、って思い出した。

でも、今の私は私のことしか書けないから、こうやってブログみたいに日記を書いてる。

それでもいいから、私が死なないように、本当は文章が好きだっていうことを思い出すように、文章を書いていきたい所存である。

あと、天才藤本タツキ先生の読み切りを読んだ。天才すぎて天才だった。

起こってしまったことはもう取り戻せなくて、生きている人は生きるしかないのだと思わされた。

生きて、書いて、書いて、書くしかないのだ。

大きな賞をもらわなくてもいい。大勢の人に読んでもらわなくてもいい。でも、書いて書いて書くことで、自分が生きてきたことを記録できたら、いつか地球が宇宙人に支配された時、私の日記で日本語を勉強するかもしれないから。

書いて書いて書いて、お金を稼いで、書いて書いて書くしかないのだ。

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