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本当にあった「回送バス」の奇妙な物語

路線バスが、車庫を出てバスターミナルへ向かう時、そして終点の停留所から再びターミナルや車庫へ戻る時、方向幕の表示は「回送」となり、お客さんがそのバスに乗ることは出来ません。しかし、ある時ひょんな事から回送バスに乗り込んでしまった話を今回は書きたいと思います。

田舎から上京して間もない頃、休日に隣町のイオンに行こうと思い、バスターミナルへ向かいました。しかしまだ土地勘が無いので、「◯◯経由◯◯行き」と表記されていても判らない上に、当時は今以上に無知で無計画な人間でしたので、きっとどのバスに乗ってもそのうちイオンに着くだろう、くらいのつもりで呑気に考えていました。もちろんそんな筈はありません。

乗り込んだバスは、すでにほぼ座席が埋まっていて、唯一空いていた運転席のすぐ後ろの席に座りました。この座席の位置が、後に大きな意味を持つことになるとも知らずに。

出発して最初の頃は、乗車する人の方が多く、車内も混み合っていました。そのうち徐々に降車する人ばかりになり、終点を待たずして乗客は私一人になりました。

このバスがイオンには着かないということに、途中から薄々と気付いてはいたのですが、土地勘もないため、知らない場所で降りても途方に暮れるだけです。仕方なく、終点で止まった時に運転手さんに声を掛けようと決めました。ところが…

バスは終点の停留所を止まらずに通り過ぎ、方向幕の表示が「回送」に変わってしまいました。よく考えてみれば、終点から乗ってくる人が居る筈もありませんし、まず何よりも、唯一の乗客である私が降車ボタンを押していません。

状況から察するに、運転手さんが真後ろの席に座っている私に気付いていないことは解っていました。しかし、もしここで急に声を掛けて、運転手さんが驚いて事故でも起きたら大変です。今考えるととても不気味なのですが、私はなるべく気配を消し、運転席の死角でそっと息を潜めておりました…。

終点を折り返したバスは、さっきまでの経路とは違う道を走り、不思議なことにその景色は少しずつ見覚えのあるものになっていきました。私の家からそう遠くない場所に大きなバス倉庫があるのですが、どうやらそこへ向かっているようでした。

交差点の右折左折も、大型車特有の大回りを見せ、ちょっぴり楽しいアクロバティックな乗り物に感じました。逆に言えば、お客さんが乗っている時は、大型車でありながらも極力揺れないように細心の注意を払って曲がっている訳ですから、改めてプロの運転技術の素晴らしさを実感した次第です。

やがて乗客1名を乗せた回送バスは、本当の意味の終点である暗い車庫へと入って行きました。仕事を終えた運転手さんがバスから降りたその時、運転手さんの背後から…

こ「すみません…」

運「うわあああああ!!!」

こ「実は間違ったバスに乗って、降り損なっちゃって…」

運「そうでしたか…ずっと乗っていらっしゃったのですね。こちらこそ気が付かなくてすみませんでした」

こ「終点までの代金はお支払いしますので」

運「いえいえ結構です。ところでどちらに行かれる予定だったんですか?」

こ「イオンに行きたかったんですけど、今日はもう帰ろうと思います。多分ここから家までそんなに遠くないと思うので…」

運「そうですか、それではお気をつけて…」

運転手さんはとても優しい方でした。こちらが驚かせてしまったにも関わらず、あの状況で逆に謝ってくれるなんて、自分がもし運転手さんの立場だったら絶対に出来ないと思います。

このエピソードは、間違いなく運転手さん側にとっての「奇妙な物語」なのですが、自分の至らなさを見つめ直し、自戒を込めて書かせて頂きました。

あの日の運転手さん、本当に本っ当に申し訳ございませんでした!!!

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