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自分の傲慢さに気付かせてくれた先生


「東大生は傲慢」

このように世間から非難されることが多いと、東大生の僕は感じる。決してその非難が間違っていると思わない。実際、偏差値が高いほど、学歴が上であるほど人間として優秀だと勘違いしている人をよく見かけるからだ(もちろんそうでない人が大半であるが)。

別に説教しようというつもりなどないし、僕はそんな立場でもない。ただ、自身の思い上がり、愚かしさに気付かないでいられるのは、単純に哀れだと感じる。

かつての自分がそうだったように。


小学生の僕は無意識にそう思っていた。いくらなんでも早いと感じられるかもしれないが、中学受験を志す子には、学力至上主義が刷り込まれていても全然おかしくない。

僕は中学受験を経験した。中学受験塾に通い始めた小4の当初から成績は良く、先生から褒められることは珍しくなかった。当然、通っていた公立小学校ではクラス一の成績だった。僕が勝手に思っていただけでなく、クラスメイトも先生も、皆そう思っていた。

そんな環境で育っていたからこそ、無意識に”そう”思っていてもおかしくなかった。当然の帰結と言えるかもしれない。勉強がよくでき、そのことで褒められるのだから、勉強のできる自分は偉いのだ、と傲慢になっていた。

そのことに気付くきっかけとなった事件があった。


小5の頃の話になる。小学校の「総合的な学習の時間」でディベートをした。もちろん小学生なのでディベートといえ真似事だし、「うどんとそばどっちが好きか」のような軽いテーマが多かった。

そして皆がディベートに慣れてきた頃、「学校の宿題は必要か」というテーマが先生から与えられた。僕は「必要ない」の側に立った(ディベートは本来、個人の意思とは独立して立場が決まるが、この時無作為だったかは覚えていない)。僕は負けず嫌いだったから、相手を言い負かそうと意気込んでいた。そして、事件が起きた。

意気揚々と挙手し、発言する。
「勉強は勉強が好きな人だけがすればいいから、わざわざ全員に宿題を与える必要はないと思います。」

その試合の仔細は覚えていない。肝心なのは授業後の出来事だ。先生から「寺道くん、ちょっといい?」と呼び止められた。嫌な予感がした。

「さっきの君の意見、僕は間違ってると思う。」
怒りとはまた違う、真剣な、凄みのある表情でこう言われたのだ。僕はびっくりした。思いもよらない指摘をされたからだ。

「僕が間違ってるだと?」「どういう意味だ?」
先生からそれ以上の言葉はなかった。僕も何も返さなかった。言い返せる心境ではなかった。

言語化はできない。少なくともはっとしたのだと思う。「間違っている」という言葉が、僕の胸を突いたのだ。

褒められることが多かったといえ、大人から怒られた経験は少なくなかった。しかし、これほど断定的な口調で怒られた(と僕は解釈した)ことはそれまでなかった。

当時の僕が直ちに、己の安易な発言を悔いたはずはない。そう思うには、己の過ちに気付くには、まだ子供すぎる年齢だった。しかし、この出来事は強く脳裏に刻み込まれた。


そして僕はいつの間にか大学生になり、ある時記憶が呼び覚まされた。「先生」という存在についてぼんやり考えるにあたり、それまで出会った先生を順々に思い出していたときのことだ。

あの先生の、教師としての矜持に気付いたのだ。
「勉強が好きだろうと嫌いだろうと、義務教育として、先生として児童を指導する以上は、生きていくのに必要な学力・習慣を身に付けさせてあげたい。そしてそれが使命だ。」

このような信念があったと、今の僕は推察する。当時の僕の発言がてんで見当違いだということは、改めて説明するまでもないだろう。

つまり僕は傲慢だったのだ。勉強ができる自分のような人間だけが、勉強をしていればいい。そう考えていたのだ。

先生はそれを見透かし、また僕の優秀さを認めたうえで、強い言葉で指摘してくれたのだ。決して感情だけで動いたのではなかったはずだ。
だから、先生にはとても感謝している。

ありがとうございました。


そして、もう一つ気付いたことがある。
本当の意味で「叱る」とはどういうことか。

それは、相手が気付いていないであろう非を指摘すること。過ちに自ら気付かせることだ。裏を返せば、内心悪いと思いながらも犯してしまったようなことを、そのまま注意するだけでは不十分ということだ。

いじめをしている生徒に「いじめはいけません」だの「相手の気持ちを考えなさい」だの言ったところで、効果が薄いのは想像に易いだろう。生徒自身も、まったく悪いと思っていないわけではないからだ。

僕のケースでは、僕自身に「いけないことをした」という自覚は全くなかった。まずいことを言ったとは、微塵も思っていなかった。そのことを指摘してくれた、その先生は「叱って」くれたのだ。真の教育を施してくれたのだ。


板垣先生、僕のことを覚えていらっしゃるでしょうか。
僕は僕なりに、着実に大人になろうとしています。


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