才能

こんにちは。あいろです。
今日はちょっと哲学的なお話ですが、才能ってなんだろう?ということについて、私なりの考えをまとめておきたくて記事を起こしました。
必ずしもこれが正解とは限りませんが、こういう考えもあるのだということを知ってもらえれば幸いです。

そもそもの発端は私の作品に対してかは定かではありませんが、時間をかけて丁寧に作れば誰でも作れると思うか?才能があるから作れるんだ。という主旨のツイートを見かけたことで、モヤッとしたことからでした。

才能って、センスって何でしょう?
天から授かった超能力的なものなのでしょうか?
結論から言うと、私は違うと思います。
私にはそんな力はありません。あるのは、今までの経験と知識です。

私がモノ作りを始めたのは、はっきりと覚えていませんが少なくとも10歳の頃にはもう何かを作ることに没頭していました。
みんながドッヂボールで遊んでいる休み時間に、私は図工室で一人工作をしているような子でした。(おかげで友人関係にはまるで恵まれませんでしたが…)
それから、ずっと何かを作ることを絶えずしてきました。
そこで得た経験則は、今広いジャンルのいろいろな手法の知識や、道具の使い方、そして何より自分の手を使いこなすための知識として蓄積されています。

そして、私は何かをモチーフに作るときは、必ず調べます。形や色だけではなく、植物だったら学術的に何科にあたるのか、咲く時期、咲いている場所、花言葉など。そういった知識を必ずもとに設計します。

また、私はデザインの大学に通っていました。
その中でも、「関係づける」というテーマで目的と形の関係性を考える授業は群を抜いて履修してよかったと思うカリキュラムでした。
私は、デザインとはまさにその関係づけた結果なのだと考えています。
ある目的、問題に対して、他人をどう誘導してその目的を達成したり、問題を解決させるか。それを考えるのがデザインなのではないでしょうか。
注意を促す目的があるなら警戒色を使う。段差を超えることができない問題に対して、段差をなくしてスロープにする。そういった目的をもった色や形がデザインなのだと思うのです。
では、そのデザインはどうやって生まれるのでしょうか?
デザイナーの才能でしょうか?
私は、デザイナーの知識がデザインを生むのだと思うのです。
段差を超えられないならスロープにする。そのスロープの角度は何度より平坦でなくては車いすが自走できない。だからこの位置からスロープを開始しなければならない。そういう知識があるからスロープの位置を決定できるし、警戒を促す色は元は動植物の警戒色や警告色といったものが原点になっていると思うのです。

この世のすべてを知れとは言いません。でも、相手に何かを伝えたい、何かを表現したいと思うのならば、まずその相手よりもそのものについて詳しくなければ、それは伝わらないと思うのです。

何度も言うようですが私に才能はありません。
ですが、人一倍知識はあると自負しています。
それは、何気なく見ているテレビ番組でも、たまたま見つけた道端の花でも、偶然起こった出来事でも、何かに役立てられないか、と意識して常に知識として蓄積しているからです。

私の人生で得た経験、知識、それをできる限り多く使って、私は作品を作っています。
もし私の作品を見て、私に才能があると感じた人がいるとすれば、私に才能という能力があって、それがそう感じさせた結果なのではなく、私の知識がそう感じさせた結果なのだと思います。

才能が無いと悩んでいる人は、まず何かに詳しくなってください。何でもいいです。興味のあるものでも、たまたま見かけたことでも、なんでも。
知識を得ることを面倒だと、無意味だと諦めないでください。
何気ない日常が無駄な時間だと決めるのは、その時間から得られる知識を取りこぼしているかどうか、です。
知識に貪欲になってください。
必ず、その知識を使うときが来ます。

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