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島の男

どうも、藍郎です🏝️

「砂の女」という安部公房の小説をご存知ですか?

有名な本ですが簡単な概要を説明すると…、

とある昆虫好きの教員が休暇を利用して田舎の砂山に昆虫採集にやってくる。終バスを逃した彼が民家に宿泊したのが運の尽き。
村はなんと砂に埋もれるのを防ぐ為に砂掻きの人手を集めていたのだった…。
砂穴に閉じ込められた男は世話人の謎の女との奇妙な共同生活が始まる。
憤懣やるかたない男は幾度も脱出を試みたり村人を説得をしてみたりと四苦八苦するが上手くいかない。
やがて男は気付き始める。
身に纏っていた身分や肩書き、手に入れていた知識や情報が不要なものだという事実を。身分や情報だけではない。戸籍や人格、果ては名前までも不用品である事に…。
フィナーレに向かって加速していくミステリー、人間心理、普遍性…。
あらゆるエンタメが詰まった名作古典。

私の人生観を変えた一冊。

砂の女 (新潮文庫) https://amzn.asia/d/g5k7cpX

いま現在、島にいる私としましてはこの本の主人公に近い感覚があります。
例えば島にはコンビニが一軒もありませんし(少なくとも近所には)ドラッグストアやスーパーマーケットの類もありません。
もちろんデパートもホームセンターもないし本土にいれば必ずある様なあらゆる店がありません。したがって宣伝も広告も無く近隣には看板一つ立っていません。
つまりあらゆる情報はスマホからのニュースくらいで生活動線からcm(コマーシャル)が存在しない生活であります。
当初は戸惑いも不満もありましたが来島二ヶ月で私も気付きました。

無くても差し支えない不要な物やサービスに囲まれて重要なものと、そうでないものの区別がつかなくなっていた事に。

現代人は当てはまる人が多いのではないでしょうか?
sns全盛の時代ですからスマホを開けば誰でも目が離せなくなる。
TVで垂れ流される情報は9割以上は私にはなんの関係もなく必要なのは天気予報くらい。
皇室がどうしようが芸能人がこうしようが政治家がふにゃふにゃしてたって別に関係ない。

スマホやらTVって本当に必要?

私の同僚にHさんという若い男性がいるのですが彼は福祉系の大学を卒業して法人に就職して伊豆大島に来島。
以降、半径1キロ以内の寮と職場と個人商店のトライアングルで四年以上生活しております。
車は持たず通勤は徒歩。自転車すら持っていません。口数少なく仕事は真面目。彼の部屋は私の斜向かいにあるのだが部屋からは物音一つしません。
極めて狭い生活圏で生きている彼に興味を持った私は質問してみました。

私「Hさん、(そんな狭い世界で生きていて)幸せですか?」
H「いえ、自分は幸せとかにならなくていいかなって思ってます。」
私「遊びや楽しみも必要ないんですか?家では何をしているんです?」
H「体力がないので家では基本的に寝ています。遊びとかは…、やっぱり(無くても)いいかなって思ってます。」

との事。彼の

「幸せにならなくていい。」

との言葉は印象的でした。これがz世代というものでしょうか。
家も車も持たず家族も趣味もなく将来に対しての展望も夢も打算もない。

Hさん、貴方はなんて、、、なんて達観しているのだろう…!

私はそう思いました。
島の生活や環境が人を達観させるのでしょう。興味深い人が多くて面白いです。

まぁ、つまり何が言いたいかと言うと島で暮らしてみると生活は実にシンプルになりますし、それは結構素敵な事であります。
snsやらTVやらの要不要も考えられますし時間的なゆとりもできます。
Hさん程に極端ではありませんが私の島生活も似た様なもの。
寮の庭に畑を作ったり釜戸を設置してみたり近所を散策して星空を眺めてナイーブな気持ちに浸ってみたり…

作成中の畑
奥が僕の部屋
クワやチェーンソーは私の私物。
作った釜戸。

砂の女の主人公の様な心境であります。
私にも家族や友人などの人間関係、家やら車なんかの物、時事ニュースの情報(政治,経済,世界情勢,戦争、)情報から生まれる思想や哲学。

全部いらなかったのかもしれない…!

私がいま考えているのは耕した畑や釜戸で燃やせるゴミの事、寮周辺の草木の事、買い集めた本の進捗状況などである。

はっきり分かった。自分ではどうにもならない事なんてどうでもいい。目の前の事に熱中した方が楽しいし幸せ。

島生活はなかなかいい🏝️

ありがとう伊豆大島😊

ではまた。

切り拓いた周辺の森🌳

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