見出し画像

教育の本懐

幸福論/河合隼雄 より

いい教師とは、子ども達から学ぶことができる教師である…とよく言われるが、実際子ども達の中に特別な記憶として残る教師の仕事は、『教師と生徒』という枠組みを超えて成されるように感じる。それは、学ぶ・教えるとかそういう次元を超えて、魂が出会うとさえ言えるような感覚であると思う。


ここで取り上げたいのが、河合隼雄著『幸福論』の中のとある教師と生徒の話だ。
話の大筋だけ書く。学校に馴染めない不適応の生徒がいて、高校を中退しようとしていた。音楽室で一人ぶらぶらしていた彼に音楽の教師がバッハの『シャコンヌ』のレコードを一緒に聴こうと声をかける。

“その衝撃的な音の体験は、魂の昇華あるいは解脱としか言い表しようのないものだった。〜私の偏狭な心の密室の壁を内側から砕き、宇宙的な広がりの中で溶解させていた”

生徒は音楽家になることをすすめられるが、教育の仕事に携わりたいと決意するようになる…

…この話は、この本の中で紹介されている東大の佐藤学教授著『学び その死と再生』にある話である。ここに出てくる生徒は実は佐藤学氏本人で、最下位の成績から勉強を始め、東大教育学部教授になった人である。

この話には興味深い後日談がある。
音楽の教師は佐藤氏にシャコンヌを聴かせたとき、教師自身も音楽教育への意味を見失うという問題に悩んでいた。
つまり、シャコンヌを聴かせたのは、佐藤氏のことをよくしようとか何か教えようとして聴かせたのではなく、自分のために音楽を聴く体験を生徒と共有したかったのである。本の中ではそれを“祈り”や“癒し”と呼んでいる。
音楽(じゃなくてもいい)を通して一人の人間同士の魂が共鳴する。その尊い体験こそが教育の本懐なのだろう、と僕も改めて思った。

僕自身も大学生の頃このような先生に出会った。先生の部屋でドローイングや絵を見せてくれたのがとても印象に残っている。どこか自分と似てる部分があるのだ。生き方とか境遇とか…どこかで共鳴する部分があったんだと思う。その先生とは今もときどき一緒に仕事をさせていただいている。

シャコンヌとはどんな音楽、どんな響きなのだろうと想像し、検索しました。⬇︎

バッハ シャコンヌ ‐ 庄司紗矢香 ( bach chaconne - sayaka shoji )
https://m.youtube.com/watch?v=vx4smRlFAnw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?