油問題

103.カレーに使う油は食べるべきか、残すべきか? 問題

インド料理では、鶏肉の皮を剥いで使うケースが多い。それがなぜなのかについては諸説あるし、今回は触れないが、おそらく多くの日本人が別の疑問を持っている。なぜ皮を使わないの? 皮、おいしいのに。皮から出る脂分がうま味になるのに。油はたっぷり使う。なぜ鶏肉の脂を捨てて、別の油を加えるの? 

インド料理では、カレーが完成した後に表面にかなりの量の油脂分が浮くケースが多い。オレンジ色のきれいな油脂分。それをそのまま盛り付ける場合もあるけれど、すくって捨てたり、飾り油として別で使ったりする。そこに対してもまた疑問が生まれる。完成した後に捨てるなら最初に使う油を減らせばいいのに……。

こういう疑問が浮かぶのは、日本人ならではなのかもしれない。中国・四川で数々の料理を食べていた時のことだ。回鍋肉を食べ終わった後、平皿の上にきれいなオレンジ色の油がたっぷりと浮いたのを確認した。なんだって、こんなにたくさんの油を使うんだろう? こんなに残るならもっと少ない量を使えばいいのに。インド料理の時と同じ疑問を持ったのである。
一方で、その残った油を見て、「おいしそうだな」とも思った。もう今の僕は満腹だけれど、もし余裕があることなら、この油で別の野菜でも炒めてどんぶりにでもして食べたい。だって、うま味や風味のかたまりのようなものなんだから。このままシンクに放り込まれ、ゴシゴシと洗われてしまうのはもったいないじゃないか。そこで、ハッと気がついたことがあった。

そうか、我々日本人にとって“油は食べ物”だけれど、中国人やインド人にとっては、“油は食べ物”であると同時に、“油は道具”でもあるのかもしれない。

僕はときどき料理教室などで、「油と水は調理道具です。だから、鍋中を理想的な状態にもっていくためにうまく使いこなしてください」と話すことがある。“油が調理道具”というのは、少し極端な言い回しだが、さまざまなタイプのカレーを作っているとそう考えるのが最も納得感が強い気がする。

我々日本人は、鍋の中に加えたものは基本的にすべて胃袋に収まることを前提に考える。だから、皿の上にあるものを出された料理を残すのは作った人に申し訳ないとか、きれいに食べきろうとか、そういう感覚が生まれる。一方で、中国やインドでは、油を道具として上手に使い、それで調理をした素材を味わう文化なだから、調理に使った油のすべてを食べきる前提にない。

つい最近、「カレーに使う油の適量はどのくらいなのか?」という問題について話し合ったことがあるが、そもそもそれは問題視すること自体に無理がある。Aというカレーを作るときには20mlの油が必要で、Bのカレーには40mlが必要で、Cのカレーには60mlが必要となる。それは、そのカレーを作るためにどの食材にどういう具合に火を入れたいのかによって、どのタイミングでどの量の油を入れるのかが変わるからだ。

スターターの油で大さじ2を使わないと玉ねぎが思うように炒められない。鶏肉を加えて煮込んだら、大さじ1の脂分が抽出される。仕上げの香りづけのために大さじ2の油でスパイスを炒めないと、テンパリングに必要な香りが出ない。結果、そのカレーが仕上がった時、鍋の中には「大さじ2+大さじ1+大さじ2=大さじ5」の油脂分が存在する。でも、食べるときに必要なのは、「大さじ3」の油脂分である。それなら、完成してから大さじ2だけ油脂分をすくって捨てればいいじゃないか、となる。
いやいや、大さじ2を捨てるなら、スターターも仕上げのテンパリングもそれぞれ大さじ1の油に減らせば合理的じゃないか、とはならない。それじゃあ、思うように玉ねぎやスパイスに火が入らないからである。

口に入る油の総量から逆算するのも合理的だが、調理に必要なだけ油を使い、食べると金必要なければ口にしなければいいじゃないか、というのも合理的である。「使った油はすべて口に入る」という前提に立つのか、「使った油も必要なければ残せばいい」という前提に立つのかによってレシピの組み立ては変わる。僕は完成した後に油を捨てたり残したりする感覚にはなれないが、とはいえ、「油は道具である」とも思っているから、いい落としどころを見つけるしかないと思っている。
言い方を変えれば、「油に忖度している」わけである。ちょっとダサいなとも思う。

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