無題

82. 均質なカレーがいいか、不均質なカレーがいいか? 問題

炒めた玉ねぎと蒸し煮した玉ねぎとでカレーの味にどんな影響があるのかを実験した。僕が新刊で、「玉ねぎは炒めないことにした」と書いたのが多くの人をざわつかせたようで、カレーの学校の卒業生有志がAIR SPICEラボに集まってきて、「水野仁輔だけのおいしいカレー」のレシピを題材に2種類のカレーを作ったのだ。

結果、面白いことがわかった。玉ねぎを炒めたカレーは不均質でとんがったメリハリのある味に、蒸し煮したカレーは均質でこなれてまとまった味に仕上がったのだ。炒めたカレーのほうが好きだった。じゃあ、玉ねぎはやっぱり炒めたほうがいいじゃないか、ということにもなりかねないのだけれど、そういうことではない。新刊のプロセスカットを見てもらえばわかるとおり、僕が蒸し煮&蒸し焼きした玉ねぎは、実はかなり不均質な状態になっているのだ。

要するに玉ねぎの加熱方法によるカレーの味の変化は、もちろん、炒めるか蒸し煮するかにもよるけれど、別の視点で、均質か不均質かによっても変わるということだ。均質に炒め、均質に蒸し煮すればまとまった味になり、不均質に炒め、不均質に蒸し煮すればメリハリのある味になる。そういうことじゃないだろうか。

それで気がついたことがある。強火で放置して焼きつけるように炒める手法をオススメしていた時代に、僕はよくこう言っていた。
「玉ねぎを炒めるときにできるだけきれいに色づけようとしたくなりますが、その必要はありません」
これには概念的な話だけれど理由も説明している。

スライスした3枚の玉ねぎ(A、B、C)をきれいに(均質に)炒めるとする。すべてがキツネ色になる。その場合は、たとえばメイラード反応によって生まれるおいしさが、「A…プラス20」、「B…プラス20」、「C…プラス20」。合計プラス60のおいしさがカレーに加わることになる。バラツキのある(不均質に)炒め方をすると、1枚はイタチ色、2枚目はキツネ色、3枚目はタヌキ色になる。このときは「A…プラス10」、「B…プラス20」、「C…プラス30」となる。合計はプラス60で前者と変わらない。

カレーのベースにする玉ねぎは最終的に煮込みでソースに溶けだして一体化するわけだから、口に入るおいしさの総量は、変わらないのだ。だから全体をきれいに色づけようとする必要はないですよ。というのが僕の話していたロジックだった。実際には、そう言うことによって、玉ねぎ炒めへの呪縛から解き放ってあげたいという気持ちもあったのだけれど。

ただ、僕はあえてバラツキのある仕上がりになるよう加熱することが多い。きっと不均一によるメリハリの利いた味わいが好みだったからなのだろう。鍋中をじっくり観察しながら、すべてウサギ色だったはずの玉ねぎの断片が、イタチ色からヒグマ色までのグラデーションになっていくように加減をしながら加熱する。木べらを動かしすぎないように放置するのは、加熱を短時間で促進させるだけでなく、バラツキやムラなどの不均質を生むためにやっていたということかもしれない。

あるシェフが煮込み時に鍋中をかき混ぜ続ける、と話してくれたことがある。僕の煮込み方は真逆だと思った。煮込み時はできるだけ鍋中をまぜないようにそおっとしておくからだ。混ぜすぎると均質になってしまう。それがなんとなく好きじゃない。触らずに煮込むと鍋中は、重いものが下に下がり軽いものが上に上がる。重いものは鍋底に張り付いて加熱が進む。加熱の具合も意図的に不均質を目指していることになる。

丸鶏をさばいてカレーを作るのも、煮込みあがりの肉質を不均質にして楽しむため。食べた部位ごとに味わいや食感が違うのがいい。均質な素材を組み合わせて不均質を生むやり方もある。具とソースが混然一体となるカレーではなく、具を均質にソースを均質に仕上げ、それを盛り付け直前にざっくり混ぜ合わせるようなカレーも好きだ。自分の好む味わいがより明確になってきた。

ただ、不均質カレーを作るうえではひとつ意識していることがある。技術が足りなくて不均質になってしまうのではなく、圧倒的な技術を持って丁寧に丁寧に仕事したものを狙いを定めたように不均質に仕上げたい。そのためには自分には技術がまだまだ足りていない。いつかそういうカレーを作れるようになりたいと思う。それは人間性にも通じることなのかもしれないなぁ、なぁんてね。丁寧に丁寧に積み重ねた結果、不均質に仕上がった人。素敵だな。いつかそういう人間になりたいとも思う(なんだか最後だけ変な話になったな……)。

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