マガジンのカバー画像

ハワイ島海外出産 体験記

47
2016年夏 ハワイ島での海外出産の記録 日本人家族の海外出産奮闘記 2016年夏、ハワイ島 アカカフォールズという滝の近くにある助産院で海外出産した記録を記事にしました。文化の… もっと読む
運営しているクリエイター

#旅日記

私の海外出産ものがたり。Part 4 旅、旅、新しい命、そしてまた、旅。

私の海外出産ものがたり。Part 4 旅、旅、新しい命、そしてまた、旅。

娘の話から、さらに半年。
2015年の秋。
私たちは兼ねてから、
家族で世界をみる旅を計画していて、
秋から冬にかけて、その旅に出た。

2ヶ月間。
ポートランド、セドナ、ハワイ島、カウアイ島、マウイ島、オアフ島。
主人は仕事をやめ、私たち家族は娘を連れて旅に出た。

この旅では、様々な出会いがあり、
その後につながる出会いがたくさんあった。
ハワイ島の大自然ともまた新たな出会いがあり、
すば

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 9 なんの疑問も持たず信じていた

私の海外出産ものがたり。 Part 9 なんの疑問も持たず信じていた

そんな長女の出産の時の経験もあり、
その後の私は世の中の当たり前とされている
すべてのことに疑問を持ち生きてきた。

けれど、海外で出産することに対しては、
不安もあったが、
それ以上に何か新しい体験ができるようなワクワクと
今回は絶対大丈夫!という妙な自信もあった。

この根拠のない自信は言葉では説明がつかない。

今でも、説明することは出来ない。

そして、娘の出産の頃とは違い、
この

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 10 途立つ

私の海外出産ものがたり。 Part 10 途立つ

出産2カ月前、
私たちは再びハワイ島に降り立った。

ハワイについて、初めに目指した場所は、
プナのジャングルだった。
以前、
私たちが初めてハワイ島のジャングルを訪れた時、
私に子どもを自然の中で、山の中で、
ふたりの娘を自ら出産したこと、自らの胎盤を食べたことを、
話してくれたジャングルの女性と
おうち交換をする予定だったからだ。

彼女はFBで、しばらく日本に行くから、
滞在する場所を探

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 11 助産師 マラ

私の海外出産ものがたり。 Part 11 助産師 マラ

緑と触れ合い、朝から晩まで自然と寄り添う
1週間が過ぎ、プナのジャングルステイを経て、
コナの宿に移動した。
コナの宿で初めて助産師さんに会ったとき
大きなカルチャーショックを受けたことを覚えている。

初めて会ったとき彼女は、
両手を広げて迎えてくれた。
欧米のあいさつのスタイル。
けれど、初対面からハグするのは、
ごく稀なことのように思う。
彼女はとてもフレンドリーな感じのする人だった。

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 12 海 海 海 の 日々

私の海外出産ものがたり。 Part 12 海 海 海 の 日々

イルカのコンサートの翌日から、
カヌーのレースの大会のため、
オアフ島に行っていた助産師のマラが、
再び私たちを訪ねてきたのは、数日たったある日。

彼女は、コナの町から、約1時間半、
ハワイ島の反対側東の町、
ホノムという場所に住んでいた。
観光で有名なアカカフォールズという滝の近くに
家があった。
毎日、ホノムから、
海に行くよー!エクササイズするよー!と、
私たちを訪ねてくる。
ホオケナビ

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 13 アカカフォールズの町 ホノム

私の海外出産ものがたり。 Part 13 アカカフォールズの町 ホノム

彼女の住む町はアカカフォールズという滝で
有名なホノムという小さな町。

彼女の家は、カーペンターだった亡くなったご主人が
造ったセルフビルドの家だった。

内装も外装も美しくカラフル。
遊び心でいっぱいな建物だった。

中心にはマラが住む可愛らしい建物があり、
2階部分は助産所として使ったり、
長期滞在する人向けに貸しているという。
マラは一階に住んでいて、アンツハウスと呼んでいた。
確か

もっとみる
私の海外出産ものがたり。

Part 14 葛藤とホノムヘの移動

私の海外出産ものがたり。 Part 14 葛藤とホノムヘの移動

水中で自然分娩、
家族全員で赤ちゃんの誕生を迎えることが出来るなんて...。

娘の子育てで育児ノイローゼになり、
自己改善をするために、精神世界の勉強を始め、
体調面でも、自然派思考になっていた、
当時の私にとっては、夢のような展開だった。

しかも、大好きな滝の近くにあり、大自然の中。
夢のような環境だった。

しかし、今まで詳しくは書いていなかったが、
私たちはほとんど英語が話せない。

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 15 ホノムでの生活

私の海外出産ものがたり。 Part 15 ホノムでの生活

マラは友だちの日本人を2人、私たちに紹介してくれた。
通訳として紹介してくれたが、
いざとなったら、助けを求められる人がいることを
私たちに知らせて、安心させてくれたのかもしれない。
1人はカーディーラーのご婦人、
1人は二児の母でサーファーのママだった。

マラは、マウナケアの儀式に連れて行ってくれたり、
マーケットや地元の観光地へと私たちを案内してくれた。

毎日、検診だと部屋に来てくれて

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 16 なぜ海外出産するのか....

私の海外出産ものがたり。 Part 16 なぜ海外出産するのか....

ここまで、詳しく書いていないけれど....
なぜ海外出産したのかと言われたら、
今でもはっきりとは答えはわからない。

息子にアメリカの国籍がほしかったのかと
問われることもあるけど、正直なところ
そういったことに執着してたわけでもない。
ハワイ島に住みたいという想いはあったけれど、
出産したからと言ってすぐに住めるわけでもないことも
知っていた。

ただ....産みたいと心から思える場所で

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 17 いよいよ出産

私の海外出産ものがたり。 Part 17 いよいよ出産

ホノムヘ移動して、1週間ほど経ったある日。
いつものように、夕方のんびり過ごしていたら、
下腹部に違和感を感じ、急に破水した。

前の日のマラの検診では、
もうそろそろかもしれないけど、
もう2、3日は大丈夫だろうと言われていた。

予定日より、2週間早かった。
陣痛より先に破水したのは、娘の時と同じ。

同じパターン。
けれど、あの時は日本の病院。
今はハワイ島の森の中。

同じだったのは

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 18 嵐の夜

私の海外出産ものがたり。 Part 18 嵐の夜

陣痛が強くなっていくに連れて、
娘の出産の時は、
陣痛がとにかく痛くて泣きそうだったのを思い出した。
言葉に出来ない痛みに涙を流した....。

2度目の出産なので、
骨盤の開いていく陣痛の痛みはさほどでもなく、
耐えられる痛みだった。
しかし、やっぱり時間が進んでいくと、
腰にあのなんとも言えない違和感を感じ始めた。

この頃、外は大雨が降っていて、
風の音も強くなっていた。
マラの住むホノ

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 19 そして、誕生

私の海外出産ものがたり。 Part 19 そして、誕生

陣痛の間隔が5分から3分、3分から1分
短くなるに連れ、次第に痛みも強くなっていた。

外では雷が鳴り続けていた。

マラからよくジェントルバース(痛みというより、快感と感じるようなごく自然な形で出産するスマートな出産)の話を聞いていたから、
そんな出産は理想ではあったけど、現実はやっぱり痛い。
私は、気がついたら、唸り声のような泣き声のような声を発し始めていた。
一緒にタブに入っていた主人は

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 20 おにぎり

私の海外出産ものがたり。 Part 20 おにぎり

胎盤が出てきた後、
私は大量の出血でふらふらになっていた。
気を失うようにうとうとと眠りにつき、
ふと気がついたら、時間はもう朝方だった。
赤ちゃんはへその緒と胎盤はまだ切っていなかった。

身体を休めるため、眠ってみようとしたが、
マラの家は村のようになっていて、
毎日いろんな人が訪ねてくる。

外はなにかと賑やかでなかなか眠れなかった。

出血もなかなか止まらなかったので、
トイレにも通

もっとみる
私の海外出産ものがたり。 Part 21 食べるものの話

私の海外出産ものがたり。 Part 21 食べるものの話

息子が生まれてから1日経った朝、
マラがやってきて、マラの指導のもと、
主人がへその緒を切った。
胎盤を切り離してからも、
赤ちゃんはまだ眠っていた。

私の出血もまだ続いていた。

3日が経った頃、さすがに起きて
おっぱいを吸おうとしなければおかしいと
マラが心配し始めた。

娘を産んだ時、1か月早く産まれたので、
彼女もよく眠っていた。
おっぱいを吸う力がなく搾乳機で搾乳しては、
哺乳瓶

もっとみる