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衣食住にこだわるのは、恥ずかしいことなのか

私は衣食住にあまり興味がない、というかこだわりがない。

衣…「ZARA」というブランドがあることを新入社員研修で初めて知る
食…週四で松屋の牛丼並盛
住…家賃3万5000円のボロアパート

といった具合である。特に「住」のボロアパートにいたっては大変居心地がよく、仮に1億円もらったとしても引っ越そうなどとは考えないと思う。
しかし最近、朝井リョウのエッセイを読んで少し考え方が変わった。

ツッコミ文化が発達した日本では、衣食住にとても気を遣っている人をどこか小馬鹿にするような風潮がある。何を隠そう衣食住に興味が薄い私にもそんなきらいがあった。今になって思うが、衣食住に興味がないなんて一体どれだけナルシストなのだろう。私は、ありのままの自分が最高に魅力的だと思っているのだろうか。衣食住に気を遣わない方が断然恥ずかしいではないか。(引用:風と共にゆとりぬ)

このエッセイは、著者がファッションのプロに出会って、やっぱり「好き」を貫いている人はかっこいいなあ、といった内容である。
たとえそれが芸術の分野ではなくとも、極めていてそれが生きがいになっているのを見ると、尊敬の念は自然と沸き起こってくるのであろう。
私はおしゃれな人を見て尊敬の念を抱いたりはするが、「食」「住」に関しては、著者同様小馬鹿にするきらいがあった。
結局排泄されるものになぜこだわるのか、掃除が大変なのにどうして豪邸に住もうと思えるのか、といったように。

しかしそうした「衣食住」でさえも、コピーライターの仕事には深くかかわってくるのだと思う。担当する原稿によっては、グルメの気持ちや、ファッションデザイナーの心理に寄り添わないといけない。興味がないから、という理由で一蹴なんてできない。

インプットというと読書のイメージが強いが、生活の質を変えてみることだって立派なインプットだ。自らの生活を見直し、他者の価値観を受容することが生活者発想につながり、質の高いインプットになるのだと考える。そのためにも、「衣食住」に興味を持ち、朝井リョウの言うようにどこに出しても恥ずかしくない人間になりたい。

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