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#24 気配の気配り

遠隔授業が始まり、授業配信も2週が過ぎた。新型コロナの影響で、いろいろなストレスがある中、まずは講義が始動できたことに感謝。”いつもの感じ”がつかめない中、手探り進行中・進化中という感じ。

 何が一番違うかと自分なりに考えると、”存在感”だと思う。別の言い方をすれば、”ケハイ”(気配)だと気づく。「そこに誰かいる」「誰かに見られている」という、「一人じゃない」と感じるあの”け”(気)です。決して「もののけ」の”け”、ではありません。

 どうしたら気配を感じてもらえるかを、手探り模索中です。データダイエット(https://note.com/aito_suzuka/n/n0ef2de3668db)に協力しながら、一日の全ての授業・休み時間をとおして、一言(ひとこと)ぐらいは話をして、一言ぐらいは先生以外の声を聴きたい。っときっと思うに違いないと考える。(もし自分が学生なら、とっくにそう思っているに違いない。)

 教員の自分なりの工夫は、授業の最初と最後に、マイクミュートを解除してみんなで挨拶をすること。なんだそんなことと言われるだろうけれど、ココロを開くのが挨拶だとすると、基本のキは大切。遠隔授業で使用しているソフトMicrosoft Teamsは、画面が四分割表示でアイコンが表示されている。データダイエットのためにカメラは説明時の教員以外は基本オフにしている。マイクで音声を拾うと、拾った学生のアイコンに切り替わる。その一瞬に、学生は自分の気配をスクリーンに見つけられる。ほかの学生も、自分以外のアイコンを目で追う。教員である私がすかさず、マイク越しに、「○○くんのアイコン、かっこいいね。」と言うと、「ありがとうございます。」と返事が来て、しばし小さないくつかの笑い声がスピーカーから響く。そうそう、これがみんなの”気配”。アイコンにコメントしてからは、最初と最後の挨拶はみんな廊下に並んでいるかのように、時間差で挨拶をしていく。誰かのアイコンが見えるように、自分のアイコンが誰かのマイク音声と被らないように、自然とあいさつ時間が長くなる。いいじゃないですか。互いに気配を感じるよう、気配りできている。素晴らしい。

 私の授業はいつも、だれに質問しようかと迷うと、その日の日付の出席番号をきっかけに、10番おきに学生さんを順に指名して質問していく。遠隔授業でもそのスタイルは継承して、むしろ質問を増やして学生の反応をつかもうとする。顔が見えない分、わかっていない気配を感じるのには気配りが必要になる。単調な講義になりがちなので、「ここまでよかったら「イイね」を押して下ください。」「ここまで質問なければ、「ステキ」押してください。」「おーっ、ひとり「悲しい」を押している。○○くん、悲しいかい?」と聞くと、「スイマセン。間違えました。」との返事が返ってくる。これが遠隔授業での、気配を感じるやり取りかと手探り探索中。

 先日の講義から始めたのは、最後の挨拶を外国語ですること。このきっかけは、学生へのビデオ配信を兼ねて作成したメッセージビデオを授業開始前に作ったところ、自動文字おこし(変換)機能で、4月から始めたNHKラジオ講座のイタリア語(https://note.com/aito_suzuka/n/n66822e28239e)の(あればぁ、でぃりぃちぃー)が、「あれば出入口」と変換されたと話したら、その日の「さようなら」の挨拶は、みんなから「あれば でいりぐち」の合唱となった。これは面白いと思い、次の回は「では今日は、中国語で」と告げると、「先生何というんですか?」との質問。「英語のSee Youと同じだね、再見 つぁい ちぇーん」と言うと、互いに気配りしながら「つぁい ちぇーん」の輪唱となった。次回の最後の挨拶をする”発声者”には、学生を指名した。「次回の最後の挨拶はきみにまかせたから、ウェブで外国語を調べておいてね。」と言うと、「えぇーっ。」と嬉しそうな声が「つぁい ちぇーん」を告げて遠隔講義の接続から文字が消えて行った。

 気配りは、相手に気付かれないのが最高の気配りだと思っています。「気配の気配り。」こちらがしているつもりでいるけれど、実は学生みんなが、不慣れな我々教員に協力してくれているそんな「気配り」、ちゃんと気付いているつもりです。ありがとうね。

(写真: 新緑の茶畑、 引用元 https://photo.mie-eetoko.com/photo/1165)