日本は自分の真の強みを充分に封じました……これからは開放していきます

日本には大きな強みがあります。
それはまわりの皆んなと同じなら程々の豊かさで構わないと、誰もが思っているような国だということです。
これは日本人にとっては当たり前の常識ですが、これが日本以外のどこでも当然の常識だというわけではありません。
縄文時代以来の共生・棲み分けのDNAのおかげもあるでしょうが、なによりも西欧世界に国土を蹂躙され、隷属を強いられ、支配管理されて奴隷化された民族的経験を持たないという、地上世界では奇跡的とも言えるほどに恵まれた歴史を持っているからです。
山本七平さんがおっしゃったように、言わば本当の戦争を知らないままきた別荘育ちの成績優秀なボンボンみたいな民族性なのです。
その日本人が太平洋戦争に負け、その後、朝鮮戦争特需を経て生産効率をあげながら、ついには「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるほどの生産力を獲得した。
要するに、生産力を競う資本主義世界のトップに躍り出たわけです。
そしてついに地上世界で初めて、実質的にエリア内の生産力が消費力(需要)を超えてしまうという状況を創出するに至ったわけです。
しかしそれは西欧世界の金融資本主義が当然としてきた資本主義ではなかった。それは【株式会社日本】と呼ばれるような通産省(当時)主導の【護送船団方式】による日本的資本主義だった。
これは国際金融システムによって地球世界を牛耳ることを目指してきた本家西洋資本主義のリーダーたちが許せるものではなかった。
かくてその日本を潰すために「BIS規制」が考案され、日本の「失われた○十年」とよばれる長い沈滞が始まったことは周知のとおりです。
小泉竹中内閣以来の日本は、ひたすら日本のアドバンテージを献上しつづけながら劣化に劣化を重ねてさせられていますが、支配管理能力こそ超一流ではないとしても、豊かな市民社会を創る能力は充分に優秀です。
ただその潜在能力を充分に発揮できる状況にないだけです。
国際金融システムの発展段階の最終局面に来て、地上の富の偏在は極点に達しました。
上り詰めたらあとは崩壊するしかない。どう壊れるか?
どう壊れたとしてもその後に現出する世界の構造はわかりきっています。
それは実施可能な実質的可処分所得の所有者が、いやが上にも生存に優位性をもつという世界です。
小泉竹中内閣以来の日本はこれまで、ひたすら日本国民の実質的可処分所得を減少させる方向にのみ機能し続けてきました。
【経済成長】と【財政健全化】という、両立し得ない政策目標を掲げながら、充分に職責を果たしてこられたわけです。
この国民の生産力が消費力を超えてしまったこの国で、これからはもう諸外国と生産力競争のためのみの競争を戦う必要はありません。
世界の金融資本家たちがもっているのと同じ強み、実際可能な可処分所得を国民に直接分け与えることで、日本の強みを発揮していきます。
すなわち、日本は国際金融システムの一翼を担う「国際通貨【円】」のほかに、国民生活という実体経済のための「国民生活通貨」を発行することになります。
この「国民生活通貨」(仮称:絆通貨)は日本国内でのみ通用する地域通貨です。
これから地球世界は否応なく多極化していき、ブロック経済圏によって運営される時期を通過することになるでしょう。
「国民生活通貨」(仮称:絆通貨)とは、凶暴化するグローバリズムの荒海に、日本国民の生活通貨圏という方舟を浮かべるようなものです。
「国民生活通貨(絆通貨)」は日本国内でのみ通用する地域通貨であり減価通貨ですが、国際通貨「円」との交換機能を備えています。
これはすべての日本国民に「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」を保証した日本国憲法の条文内容をそのまま実現することを意図し、第二十五条第二項の「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という条文を愚直に実践しようとするものです。
そして日本はそれを実現できる状況にあります。
なぜなら、この地球世界で最初に生産力が消費力を超える地域の創出を実現した国には、それだけの条件(技術と智慧)が備わっているからです。
その条件とは、取りも直さず最初に掲げた【まわりの皆んなと同じなら、程々の豊かさで構わないと誰もが思っているような国】なのです。


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