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hitori☆らじお ~ 文月葉月編


どもー!

夏休み終わりに一家でコロナにかかってずっと寝ていました、ともあれです。うふ-(*´з`)(25日に学校が始まる地に住んでます!)



みなさま、秋が来てるみたいですが、いかがお過ごしですか。

私は、8月半ばにコロナにかかり、それから2週間が過ぎても、お昼を食べると布団にたおれこんでグーグー寝てしまったり、とにもかくにも頭がぼーっとするから、毎日毎日デクノボウマシマシ・ギリギリお母さんのままでした。

でも、ついに昨日は、コロナにかかる前みたいに、ふつ~な一日がおくれた気がします。夜はまとめてしんどかったけど。
でも嬉しい。


さてさて、

突然なのですが、私はいつか音声配信とやらで、noteのお友達と時間差おしゃべりしてみたいな~という夢があります。
あともう一つ、すご~くリラックスしてnoteを書いたら(大惨事になりそうだけど、自分だけは)おもしろそうだなと前から思っています。

なので今日は、ともあれのコロナ回復を祝して、『私ってばほら、人気ラジオⅮJじゃん、やっぱさ。だよね!』というノリで、いつもよりずっと軽くnoteを書いてみようと思っています。

たぶんグダグダになるYO!
先に謝っとくYO!

ごめんなさいYO!


①文月、『ジャンプ』と『サンデー』を読んだ。


最近は、SNSで流れてきた情報から、本を読むことが多いよね、うん。予想外の本に出合えるから面白いんだよね、みんなホント賢いしさ。博識~って感心しちゃうよね。


青山剛昌さんと尾田栄一郎さんの対談が面白かったっていう情報をツイッターで見かけてね、「うん、それすごく面白そう!」ってその日のうちに本屋でジャンプとサンデーを買ったよ。

うちの子供達はコロコロしか読まなくて、あたしゃジャンプとサンデーを買うなんて約30年ぶりだよ。漫画雑誌。。私はリボン族で、弟がジャンプ族だったな。兄はアニメージュ読んでたな。アニメージュのナウシカすごかったよね。トトロの小さなポスターとかもらえるのが嬉しかった。

漫画雑誌のざらついた紙の質感とか匂い、手に持った時の重さがとても懐かしかったよ。
関係ないけど、うちは、学校で配られるプリントをわらしって呼ぶ地方だったよね、うん。

(話がずれるけど、私は漫画の作者は「さん」で呼んだらいいのか「先生」で呼んだらいいのか分からないんだ、、いまだにね、、
一般人の私が一生会う事もない作者は、私が「先生」って呼ぶ対象ではない気がするのだけど、でも、最近の常識では「先生」と呼ぶのが普通なのかな、「さん」呼びっていうのは失礼なのかな、、)


2021年秋「名探偵コナン」と「ONE PIECE」が100巻を突破するため企画されたという初対談。



私は、ただ単純に、何かに打ち込んでいる人を「見てる」のが好きなんだよね。もしも相手が何かに自分の心をそそいでいたりしたら、なおさら「見てる(こっそり応援してる)」のが好きになる。


「伝統工芸を継ぐ」みたいなドキュメンタリーをジーっと見ながら満足して眠ったり(単調だから寝ちゃうのYO!)、ただ生活してるだけ、とか、試行錯誤しながら絵を描くだけとか、道具を作るとか、楽器に打ち込むとか、毎日スポーツの練習してるとか、そういうのをただただ見てるのが好きだよ。
たぶん、私だけじゃなくて、そういうのが好きな人ってたくさんいるんじゃないかな。


早速2冊の雑誌を買ってきたけど、実はあたしゃどちらの漫画も初期しか読んでいないんだ。どちらの作品も、20年位前に読んだのが最後。

だから、この超有名漫画に対して何も言えないよね。作者さんについてもモチロン何も言えないよ、熱烈なファンの人が世界中にたっくさんいるもんね。
創作を100巻まで続けた、これからも続ける、人気が衰えてない、むしろ上がっているっていう事実が、本当にすごいなと心から思う。尾田さんと青山さんがどんな話をするのかすごく興味を惹かれてワクワク読んだよ。
対談を読んで、2人は逆のタイプなんだなって、新鮮だった。仕事の作り上げ方も違った。読んでみて良かったよ。


終わり。
(対談の中身ぜんぜん書いてない!)



②文月、『喧嘩両成敗の誕生』を読んだ。



いや、ちょっと、このテーマに興味がある人はもしかしたら少ないのかもと思うけど、でもこれはとても面白い本だったよ。

日本人で「喧嘩両成敗」という言葉を耳にしたことがないという人は、まずいないのではないだろうか。ケンカをした両者に対して、その成否を論ぜず同等の刑罰をあたえる――という、この法は、しかし考えてみれば、ずいぶん乱暴で没理性的な法である。(中略)こうした法は、わが国以外ではあまり例がないようだ。そこで、このあまりにも有名な、それでいて特異な法観念の歴史的な由来を考えるべく、日本の中世(とくに室町・戦国時代)の社会で起きていたことを追跡してみよう、というのが本書のねらいである。

喧嘩両成敗の誕生「プロローグ――現代に生きる喧嘩両成敗法」より


私がこの本に出合ったのは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていたからだよ。(だけど、あたしゃ頼家が鎌倉殿を継いだあたりでギブアップしたから今は見ていないんだよ。みんな死んでいくのが辛くてさ。)

室町時代(14-15世紀)の、京都や奈良に住む公家や僧侶が残した日記から、当時起こった事件を丹念にたどりつつ、思考を積み上げていくのだけど、その、著者が紹介してくれる事件が、現代人の私からしたら、かなり意表をついている & 思ってたんと違うよ室町!の連続なの。最後まで一気に読めたよ。

目次がね、

第一章 室町人の面目
1 笑われるとキレる中世人
2 殺気みなぎる路上
3 反逆の心性

第二章 復讐の正当性
1 室町人の陰湿さ
2 「親敵討」の正当性
3 復讐としての切腹
   ・
   ・
   ・

喧嘩両成敗の誕生「目次」

こんな風で、すごく興味惹かれる!!と思うの!


章をすすむごとに、事件のあらましや顛末、著者の考察が、私の古い知識・思い込みを塗り替えて行って、本の終盤には、学生時代に教科書で習った「喧嘩両成敗法」「室町時代」「穏やかな日本人」に対するイメージがくるっとひっくり返っていく。
ミステリを読んでいるようで、私みたいな理解力の人間でも極上におもしろい読書時間だった!

紹介される事件の中で、たくさんの人が理不尽に死んだりはするけど、著者の文章は、どことなく明るさがあって風通しが良い。表現にも安定感があるから、それもこの本の魅力を高めているんだと思う。



③葉月、『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』を読んだ。


うちは、親の仕事が病院経営だったから、もしかしたら子供の頃、人よりも死が身近だったんじゃないかなと思う。

病死、自殺、他殺、事件事故、生活しながら、大人たちの会話からそういう話をもれ聞いてた。
長じて看護師になって、結婚してからは精神科の事務をしたから、そこでもいろんな話を聞いた。


精神科で看護師をしていた頃、「オープンダイアローグ」という治療法を知ったの。自分の少ない経験の中からでも、これは確かに有効な治療法なんじゃないかと感じた。すごく興味を持った。
できれば実践者の1人になりたいと思って、それから子供が生まれたり、自分の能力の限界を感じて、実践者になるのは無理だなと諦めた。



私は生きやすさとは何かを知りたかった。

私は精神科医である。そして1995年からずっとこころに関するボランティア活動を続けている。今はクリニックの院長として、精神的なことで困っているひとへの訪問診療や往診、外来診療を行っている。ひとは生きやすさのヒントを私に求める。しかし、その生きやすさの答えはいつも医学の外にあると感じていた。

本書は、5か所6回、日本の「自殺希少地域」(自殺で亡くなるひとが少ない地域)に行って、それぞれ約一週間前後宿泊したときの記録である。

その島のひとたちは、ひとの話をきかない「はじめに」より


この本は、本当に、見事な本だった。章立ても構成も素晴らしいし、結論がないのがいい。
著者が気づいた事について分かりやすく、読み手に伝わるように、順を追って描かれていくのに、その間、どんな思いも考えも、読み手側にまったく押し付けない。
読んでいる私の内面に踏み入らず、ただ、私が考える土台を、気づきだけを与えてくれた。

著者の文章表現が、無風で、とてもとても静かなんだよ。これはとても珍しい読書体験だと思う。
文章の中に、訪れた地の人々の様子が柔らかに、過不足なく描かれていく。それでも、読んでいるこちら側のこころの中には、地平まで何も残らないの、読み手にとっかかりや色味、ざらつきを感じさせないんだよ。さすが精神科の先生だなと思った。


「できることは助けてくれるのだけど、できないことはたらいまわしになる。重くなればなるほど孤立していく」
 そして、日本での自殺希少地域は、この風習を解決するための仕組みが作られている。それは、「できることは助ける、できないことは相談する」仕組みである。
 端的に言えば、この仕組みを地域に作ることができたならば自殺の問題はずいぶん減るのかもしれない。

「第4章 生きやすさのさまざまな工夫 コラム」より


読むうちに、たくさんの「あ!」と思う気づきがあって、是非興味のある方には読んで欲しいなと思う。
この「できることは助ける、できないことは相談する」というのは、「(困っている人がいたら、私が)できることは助ける、(私が)できないことは(私が誰かに)相談する」という意味だ。

簡単じゃない。簡単じゃないことは分かる。でも、気づいている、知っているだけでほぐれ始める糸がある。


「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい」
 私は島を一周する途中で会った老人のこのことばを聞いて、そうだよなと思うようになった。ひとを助けるにおいて、少し、それまでは動き出す前に考えてしまうことがあった。ここで助けることが本当に本人にとっていいことなのか、ためになることなのかどうか、と。そのつど悩んだ。しかし、このことばを聞いてからそれを実践するようにした。
 そして旅を通して、このことばの実践は、自殺希少地域においては普通であるということも感じていった。
 困っているひとがいたら考える前に助けたらいい。大切なことは自分がどうしたいかだ。

「第5章 助けっぱなし、助けられっぱなし」より


 私のフィルターを通して伝えることで、この貴重な本の中身が誤って伝わったら申し訳ないと思うの。とにかく見事な本だった。


終章は「対話する力」と題されていて、ひとと対話するというのはどういう事か、オープンダイアローグの原則について、それまでの章を振り返りつつまとめられている。やっぱりオープンダイアローグはとても興味深いと思った。

読み終えて、もう一度この本を読もうと思った。生きるヒントがたくさんあるから、忘れたくないと思った。


終わり。



なんだか最後、やっぱりラジオを忘れちゃったよね。。DJってすごいよ。会話を回せる人ってすごいよね。



では、良かったらまた会いに来てください!私も会いに行くよ!

ありがとう。



〈チナップ|ほっこりイラストレーターさんから、とっても可愛い見出し画像をお借りしました!ありがとうございました!〉

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