【ネタバレ注意】仮面ライダー555 パラダイスリゲインドの感想

皆様初めまして、「あいうえおおかみ」と申します。去る2月3日にパラダイスリゲインド(通称:パラリゲ)を見て参りまして、どうしても私の中に湧き上がった思い(主に批判)をぶつけたくなったので、こうしてキーボードを叩いています。
以下、注意
・ネタバレ大アリ!!(視聴後の読者様を想定しております)
・批判大アリ!!(私の中の内なる声がこれはNOだと申しております)
以上の事を前提として、感想を書いて参ります。よろしければお読みください。また、このnoteについての感想・ご意見等ございましたらX(旧twitter)の「あいうえおおかみ」(@kyoda555)までご連絡をお願いいたします。では参ります。


【前提】

まず始めに、どのような人物がこのnoteを書いているかの紹介をいたします。私は1999年生まれ24歳の男です。555との出会いは私が4歳の時で、それはもうどっぷりとハマりました。当時の私があの複雑なストーリーを理解できていたかは不明ですが、ともかく555にドはまりし、小学生の時にも中学生の時にも、何歳になっても何度も何度も見返しました。未だにいわゆる仮面ライダーオタクですが、それは多分に555の影響を受けてのことです。「一番おもしろい平成ライダーは?」という問いには少し悩みますが、「一番好きな平成ライダーは?」と問われれば即答で「555」と答える、そんな男が書く文章であることをご理解ください。尚、おそらく大事な前提だろうと思うので書きますが、『ドンブラザーズ』については未視聴ですので、その点はご理解ください。

【私が求めていたもの】

これが大事ですね。感想を書く前に、私は「何をこの映画に求めていたのか?」を箇条書きで書き出します。
・ウルフオルフェノクの活躍
・オルフェノクとしてのたっくんの最期
・555のかっこいい戦闘シーン
大きく分ければこの3つです。一番始めがウルフオルフェノクなのか!?とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、ハイ私にはこれが一番重要でした。というのも、乾巧(=半田健人さん)は555終了後も何度か555への変身は果たしており、正直に申し上げれば「たっくん(半田健人さん)がまた555に変身するのか!」というようなワクワクはあまりありませんでした。(その気持ちは『仮面ライダー3号』でめちゃめちゃ味わいました。)ただし、555としての出演はあったものの、ウルフオルフェノクへの変身は、本編以降では(リイマジのディケイド版を除いて)ありませんでした。「後一度で良いからウルフオルフェノクに変身するたっくんが見たい…」これは私が長らく思っていた願望です。なので、予告編にウルフオルフェノクが登場した際、私のワクワク感は絶頂へと達しました。「分かってるじゃないか!!これだよこれ!!」私は「なるべくなら使いたくはないけど仕方なくその力を使う」というシチュエーションが仮面ライダーにおいて大好物でして、例を挙げればそれこそウルフオルフェノクですとか、劇場版の映司バースですとか、魔進チェイサーですとかが該当します。思えば後の2つはウルフオルフェノクによって生み出された性癖のような気もします。
そしてオルフェノクとしてのたっくんの最期ですが、『復活のコアメダル』の例がありましたので、たっくんが死ぬことを覚悟していましたし、むしろそれにむけてどれだけ綺麗な物語が見られるのだろう、と考えていました。放送当時から「最終話最後のシーンはもうたっくんがそのまま灰化する直前」というような声があったかと思いますが、「オルフェノクの寿命は長くない」と劇中で明かされ、555の続編を描くとなれば、この問題にどのようなアプローチがあれば綺麗なんだろうか…というようなことを、予告編を見て以降ずっと考えておりました。
最後に555のかっこいい戦闘シーンですが、これについては「まあ当然あるでしょう」という感じで、当たり前ですがこれは仮面ライダーですし、(新型555の情報が出る中で)旧555にどのような活躍シーンを与えるのだろう…と妄想しておりました。

【実際どうだったの?】

ではいよいよ感想パートです。正直に申し上げますと、「違う違う!!絶対そうじゃないだろ!!!!」というものです。井上大先生が脚本ということもあり、そこにただの1ファンである私がこんなことを申し上げるのも野暮なのかもしれませんが、先述した555大好き児童、少年、青年であった私はNOを突きつけざるを得ません。色々と文句はあるのですが、何より私が「それはダメだろ…」と思ったのは「真理のオルフェノク化」です。これだけは明確に私の中のラインを超えました。「井上せんせぇい…それは禁じ手だよ…」
555という作品は、「人間とオルフェノクが共に歩める未来を掴みに行く」ものだったと私は理解しています。作品内では様々な登場人物を通して様々な形の「人間とオルフェノクの未来」が描かれ、木場の目線では「それは叶わないもの」だったし、草加の目線では「それは有り得ないもの」だったし、啓太郎と結花の目線では「それは恋愛関係に発展し得るもの」だったし、海堂や巧、真理、三原や里奈の目線では「人もオルフェノクも関係なく、個々の意志次第」という結論に至ったものだったと私は認識していました。
その中でも巧と真理(と啓太郎)の関係性というのは「人とオルフェノク共存が叶った例」として締めくくられていたと思います。それにつけて、真理ちゃんをオルフェノク化させてしまったらもうそれはオルフェノクとオルフェノクの未来じゃないか…と、私は思うのです。挙句の果てには最終盤、真理は、自分たちが過ごす中での唯一の人間である条太郎に向けて「オルフェノクになっちゃえば良いじゃん」などと口にします。確かに真理ちゃんの性格を鑑みればその発言は不自然なものとは言えず、「真理の発言」としての違和感は無いのですが、先述した「人とオルフェノク共存の一つの形」であったはずの西洋洗濯舗 菊池に照らした時に適切な発言なのか…?というのは非常に疑問に思います。もうどうせなら本当に条太郎もオルフェノク化してしまい、最後のシーンは全員オルフェノクに変化して仲良く食卓を囲むディストピアのようなオチにして欲しかったですよ私は。(一般的な評価は下がるでしょうが一貫性という意味で私はこのオチの方が評価できます)

では先程の話とも絡めつつ、先述した「私が求めていたもの」はどうだったのかを書きたいのですが、ハイ、ウルフオルフェノクについてです。ウルフオルフェノクの戦闘シーンは本当に良かったです。思ったより尺もあったし、(ありすぎるぐらいな気もしましたが)贅沢を言えばたっくんの顔にウルフオルフェノクの紋章が浮かぶシーンは欲しかったですが概ね満足です。
戦闘シーンについては概ね満足ですが、問題はその直前のシーンですね。ライダータイム龍騎の例の件もあり、また公開前の役者へのインタビューもあって覚悟はしていましたが例のベッドシーンについてです。個人的に草加と真理ちゃんが肉体関係を結ぶということには(小説版のアレもあって)そこまで違和感がないのですが、たっくんと真理ちゃんがそういう関係になるのは「う~んどうなんだろう…」と思います。まあでも大人の男と女、それによって問題が解決することもあるだろう。そんな風には思う(し、警戒できていた)ので良いのですが、なんでオルフェノク態でやってんだお前ら!!!
これはあくまで仮面ライダーシリーズということで描写の限界もあるのかもしれませんが、人間態で描けないのであればあのシーンは入れないでいただきたかった…。というのも何度も述べているように私が一番楽しみにしていたシーンはウルフオルフェノクの活躍、たっくんが再びウルフオルフェノクに変身することです。なんで戦闘シーンの前にベッドシーンでウルフオルフェノク見なアカンねん!!!これが一番言いたいことです。映画館の中、私はこのシーンで明確に萎えました。たっくんと真理ちゃんがそういう関係になったことでも、何故かオルフェノク態であったことでも(これについては設定を考えれば理解出来る部分もあるし規制の都合もある)、それによってあまりに問題がトントン拍子に解決されたことでも、その後の二人の距離感がやけに生々しくあったことでもなく、まずは戦闘シーンでウルフオルフェノク出せや!!!という点において私の怒りは頂点に達していました。規制でムズいならなんかもう人間態でダンスしといてくれや。パラダイス・ロストのセルフオマージュにもなるし大人ならそれで"意味"は分かるから…

はい、だいぶ長くなってしまいましたが私の求めていた2つ目「オルフェノクとしてのたっくんの最後」ですね。まさかこれをほとんど描かず、スマートブレインの延命注射によって生きてるんだか死んでるんだか分かんない状態になりました(笑)で済ませるとは思わなかったです。なんか最終的に生命線が伸びた、みたいな結局どっちの意味で捉えたら良いのか分かんない形で終わっていました。いや物語全体としてのオチは個人的には評価したいんですね。「これ結局あんまり問題解決してなくない?」っていうオチなのはパラロスもそんな感じでしたし、平成1期特有の安易な大団円には持っていかない方向性というのは個人的に好きなんです。だから物語としてのオチを評価してないわけじゃなくて、「乾巧の最期」にあまりしっかりと向き合っていなかったのが、私が求めているものとズレていたな、という感想です。

最後、旧555の活躍です。これは良かったです。最後の最後をキッチリと締めくくり、何故か予測システムを攻略してるのも「戦いってのはノリが良いほうが勝つんだよ」理論で個人的には全く文句ありません。ただ、スーツ新調したんだと思うんですけどフォトンブラッドやけに明るくなかったですか?それがどうしても気になって私は100%はノレなかったです。
後旧555ギア持ってきた条太郎に対して「分かってんじゃねえかお前!」みたいにたっくんがノリノリで変身するんですが、個人的にはここはシットリと行って欲しかった…。作品全体を通してなんかノリが軽いというか(ラー油については論外です)、ギャグ的な要素がマヨネーズだけだったら個人的には評価したんですけど海堂がやたら3枚目だったり、草加スマイルがくどかったり、変身前に何故か恥ずかしがるミューズだったりと(あれ何の伏線でもなかったのマジで何?)、なーんかネットに媚びてない…?というのをずっと考えてしまい楽しめなかったところがあります。

【総評】

総評として、とにかく「私が求めているものではなかったな」という感想が一番です。「巧と真理の関係性」という点にのみ絞れば、そこに解答を求めていた方には良い作品だったのではないかと思います。555ファンの方でもそうでない方でも、見て楽しめない作品ではないと思っています。
事実私の求めていたものも描かれてはいた。ただ、それ以上に「それはアカンやろ…」という減点要素の方が私の中で大きく、結果的に上映終了後に私は死んだ魚の眼を宿していました。未だに真理ちゃんがオルフェノク化したの受け入れられてないよ。ただあくまでこれは私の価値観で、「これを求めていた!」という方がいらっしゃるのも分かる作品ではあります。加点方式でなら結構評価高くなる作品だと思います。

最後に、ここまでお読みくださりありがとうございました。結構長めのnoteになってしまいましたが、私の555愛というものは伝えることが出来たのではないかと自負しています。このnoteについて、感想や意見(批判でも結構です)など、何かございましたらぜひとも私のX(旧twitter) 「あいうえおおかみ」(@kyoda555)にまで連絡をいただけると喜びます。重ね重ね、読んでいただきありがとうございます。


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