No.52 3.11あるいは僕と山椒魚

2015年、春の文章。

 過去に沈殿しがちな僕らが、悲痛な思い出を笑いへと昇華することができれば、そのとき一皮剥けた人間になれると思う。楽しいだけが人生ではなく、清濁綯い交ぜの日々を積み上げたものが人生なのだろう。
 高校一年生の時、今から6年前、僕は弓道部に入部した。触れたことのない競技であり、かつ今やらなければ今後関わることがないだろうと思い始めたのだ——などといえば恰好がつくが、ただの興味で始めたにすぎないし、その頃は自分が北海道を代表して全国大会に出場する、などという未来を頭の片隅にも浮かべたことはなかった。楽しそうで、やったことがなくて、袴が恰好いいから。理由はそんなところ。大会の成績なんてどうでもよくて、友達と話すことがメインの練習に行く。会話の合間に矢を放つ。
 そんな毎日を繰り返して一年が過ぎ、二年生になった。今から5年前。五月になると僕たちの学年が最上級生として、部活全体を引っ張っていく番になった。けれど、ふざけることが大好きな僕たちが、突然真面目へと変貌することは、天地がひっくり返らなければ起こらない。
 いつも通りの練習を続けて半年ほど経った九月頃、ある大会で、僕らのチームが団体戦で北海道三位になる。同じ大会において、僕は個人戦で北海道二位になる。鹿児島にて行われる全国大会に個人で挑むことが決まり、思わず頬が緩んだ。全国大会は翌年の春先、日付で言えば2011年3月17日から行われることになった。
 そこから先は目の色が変わったように練習をした。クラスのみんなに報告をすると、応援の言葉を沢山貰った。学校からは十万円近くもする弓を二本も買い与えられた。両肩に色々な期待が重くのしかかるけれど、跳ね除けるだけのパワーがあの時の僕にはあった。希望の光のみを見つめて、足元にできた影は一切目に入らなかった。
 全国大会が目前へと迫った、2011年3月11日。この日は、高校入試の丸付けのために学校は休みだった。自宅のテレビの前に寝転がり、昼下がりの緩い空気のワイドショーを観ていると、少しだけ体が不安定になった。なんだったのだろうと、なんとなく顔を上げる。電気の紐が僅かに揺れている。窓の外は晴れている。数分も経たない内にテレビの画面が切り替わり、悲惨な光景が目に飛び込む。体に感じる揺れはとうに消え去り、その代わりに心が揺れた気がして、不安になる。
 東北が震えた。最初は建物が倒壊しただけ——「だけ」なんて言葉を使うことは不謹慎極まりないが——だったけれど、しばらく経つと津波が二次被害を引き起こした。崩壊した建造物や穿たれた樹木、自動車や人までも飲み込んで陸地に暴れた。次に原発が壊れた。命を奪う物質を放出して、帰ることすら許されないような地域を生み出した。東北が悲しみの渦に包まれた。そう思っていた。けれどそれは違っていて、悲しみは日本中に蔓延るものだった。
 震災から三日後、全国大会の四日前、3月14日のホワイトデイ。授業を終えて弓道場に向かう道の途中、滅多に練習に現れない顧問が雪道を駆けてきて、息を切らしながら僕に言った。「ごめんなさい、全国大会は中止になりました」頭が真っ白になり、理解が追い付かなかった。間を置いて事情を飲み込むと、今度は目の前が真っ暗になった。涙は出なかった。きっと、何かの冗談だと信じ込んでいた。顧問はもう一度だけごめんなさいと謝って、校舎へと帰るために元来た道を引き返していった。僕は道場へ向かった。何を思っていたのか、今では覚えていない。
 挨拶もせずに道場の扉を開けて鞄を放り出し、身を一つにして外に出た。ふらふらと校舎を目指した。来賓用のスリッパを履いて学校中をさまよった。自分の教室に行くとクラスメイトがいて、なんで泣いてるのと聞かれたときに初めて、自分が泣いていることに気が付いた。恥ずかしくなって踵を返し、目を拭きながら空いている教室を探した。見つけて適当な椅子に座ると、堰を切ったように涙が溢れてきた。悔しさと辛さと悲しさと少しの反感を持ちながら、どうしようもない現実を理解した瞬間だった。その時の僕は思った。「なんでこんなことになったのだろう。なんでこのタイミングで地震が起こるのだろう。辛い。きっと今一番辛いのは僕だ」わがままと言われても、悲しみに含まれた少 しだけの怒りを、どこかにぶつけなければきっと僕は立ち上がれなかった。
 やがて泣き止み、片隅にかけられた時計を見ると17時前を示していた。立ち上がり、図書室に向かった。大好きな小説に囲まれて癒されたい気分だった。
 図書室には静かな空気が漂っていて、人の気配を感じなかった。受付にはクラスメイトの女の子がいたけれど、そのときにはほとんど口もきいたことのないような子だった。目腫れてるけど、泣いてたの? と笑いながら話しかけてきて、初対面といっても過言ではないその子に、全てを話してしまった。親身になって聞いてくれて気持ちが晴れた。そのあとに二人で本棚の間をふらふらしながら、目についた井伏鱒二の「山椒魚」という小説を借りて、道場に戻った。
 空っぽの頭で雪道を踏みしめる。何歩も何歩も。辿りついた道場の扉を開けると、顧問から話を聞いていたらしいみんなが、残念だったなぁなんて言いながら笑いかけてくれた。ホワイトデイの余ったお菓子だからあげるよ、という言葉を添えて、たくさんのお菓子を渡してくれた。とてつもない量だった。優しさに涙腺が緩み、心がふわりと浮かんだ気がして、自分勝手に落ち込んでいたさっきまでの自分が恥ずかしくなった。
 練習を早退して帰路についた。バスに揺られながら見る外の風景はあまりにもいつも通りで、どこか安心した。図書室で借りた山椒魚を読もうと思い一ページ目を開くと、物語は「山椒魚は悲しんだ。」という文章から始まっていた。自分を重ね合せてしまって思わず微笑んだ。悲しみを少しだけ忘れながら、そんな風にして家まで帰った。

 それも過去になり、気付けば21歳になっていた。

 大震災は思ったよりも大きな被害をもたらして、今でも尾を引いている。再建にも近づいてはいるけれど実感は少ないと聞く。あの頃の僕は、震災で悲しみを負うことになったのは東北だけだと思っていた。でも、大会が中止になったことで気付かされた。物理的な距離が、悲しみを決めるわけではない。日本中のどこにいたって、その被害を受けた人はたくさんいるはずだ。大会が中止になる程度でよかった。悲しみや辛さの底は深く、影よりも黒い。
 全国大会に出場する予定だった選手が被災し、行方不明になったという噂を耳にした。その後の話は聞いていないが、いい方向に転換してくれたことを、心から望んでいる。
 図書室で優しく慰めてくれたクラスメイトの女の子は、のちに僕の彼女になった。いつでも等身大で、僕の気持ちを受け止めてくれた。この出来事がなければ、話すことさえもなかっただろうと感じている。
 ホワイトデイの余ったお菓子はとても美味しかった。でもそれが余り物ではないことくらい、その時の僕でも気付いていた。僕が校舎にいるうちに、近くのスーパーで買ってくれていたのだろう。この出来事のおかげもあり、彼らは今でも大切な友達として関係を保ち続けている。
 山椒魚は悲しんだ。その一文にどれだけ助けられただろう。悲しみを持つのは自分だけではない、という意識が初めて生まれた瞬間だった。のちに購入して何度も読み返し、自分の本棚にきちんと並んでいる。
 ここまで書いてきたことは大きな出来事の、私的な事情だ。「震災があり、全国大会がなくなった」震災は大きな一つの悲しみではなく、一つ一つの小さな悲しみの集合体。その中の僕の身に降り注いだこと。それを4年後から俯瞰して、今考えること。今になって思うこと。一行でまとめるのなら、それは次の文章だ。
 中止になってよかった。
 最低な気持ちになったときに初めて大事なものに気付かされたから、落ち込み続けるのは、僕はとうにやめた。誰かにこの話をするときには、必ず笑い話にしている。だから、読んでくれたあなたの頬が少しでも緩んでくれていることを期待しながら、この下手な文章を締めさせていただく。
 最低な日々に愛を探していってほしい。きっと、悲しみの中にも愛はある。

#エッセイ #コラム #震災 #愛 #弓道

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12

藍笠

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