No.47 肥大化する影響

本の情報交換をする友達がいる。僕の周りで本を読む人はほんの一握りだし、彼も同じような環境に置かれているからなのか、本の話になるとえらく盛り上がる。ここ数ヶ月でおすすめの一冊を紹介しあったり、好きが共通している作家の話をしたりと話題は多岐に渡るから、本とご飯があれば一日中話していられるような気にもなる。

そもそも、彼に読書をしようと薦めた(押し付けたの方が正しいかも知れない)のは他でもない僕だった。他愛もない話をしている中で、僕の趣味が読書だからお前も始めろよ、とお勧めの本を貸してみたらまんまと小説の楽しさにはまっていった。他に面白い本はないかと定期的に僕に聞き、それを読んでは感想を交換した。そんな繰り返しの日々を過ごしていたら、彼は高校では理系に進んだくせして国語の先生になりたいと言い出し、結果的に非常勤職員として夢を叶えた。読書の影響はかくもあるものなのか……と今になってもしみじみ感じる。

そんな彼のtwitterの呟きで「#名刺代わりの十冊」というタグを付けているものがあった。自分を形作る本を挙げて交流を図るものだと思われる。その中の六冊は僕の紹介した本であり、感性の共有が出来ていることに親近感を覚えたり、本の推薦の審美眼に間違いがなくて良かったと思ったりした。いくら仲が良くたって、立っている座標がてんで違っている場合も少なくはなくて、その遠めの距離感が楽しいこともあれば、近くて嬉しいこともある。どうやら彼と僕の関係は後者に属しているようだ。

ところで、読書は毒物だと僕は思う。たまに「なんか村上春樹みたいだね。読んだことないけど、そんな感じがする」と言われることがあり、それは村上春樹の小説を読んだ後に決まっている。どれだけ阿呆に身を売った話をしても、相手には村上春樹という感想を抱かせてしまうらしい。僕はそんな気を持って話しているつもりはなく、普段通りに接しているのだが、それは村上春樹の小説が僕の身体を乗っ取ってきているからだろう。気づかないだけで、太宰治を読めば太宰に、森見登美彦を読めば森見に近づいてしまう。文章を書くときも同じで、意識せずともついさっきまで読んでいた作家の文体に似通ってしまいがちだ。どうやら、本はアウトプットに毒です。

読書の影響はかくもあるものであり、先ほどまでの友人のことに戻れば、彼はその影響を存分に受けてしまっているように見受けられる。国語の教師になったり、ジャンルを超えた多岐に渡る名刺代わりの十冊を選んでしまうほど、小説に傾倒している。その原因を作り出した根本的な事象は、本を押し付けた点や名刺の中の六割が僕の選んだ本が入っているところを鑑みると、僕でしかないように思う。彼が本から受けた影響のその先には必ず僕が鎮座している。

どうやら僕らは、良くも悪くも他人に影響を与えたり、与えられたりしながら生きているようだ。友人に一冊の本を貸したことで、化石好きな彼が国語の先生になるという人生を歩むことになったことを思うと、もしその職業がツマラナイと言い始めた時に、少しの責任が僕にのしかかって来るような不安がある。始まりは小さな一点に見えるが、それが肥大していくことは癌細胞で僕らは学んでいる。そんなバタフライ効果で起きた竜巻の責任の所在は遠く離れた蝶々にあるのだろうか?考えてみても答えは出なさそうだから、彼の心の中で不穏な竜巻が出来ないことだけ祈っておこう。

僕の一言一言に重たい意味はないけれど、他の人が聞いた時には何かしらの重みが出る可能性は否めない。狙っていないのに春樹的だと言われるくらいだから、思惑とは違うところで誰かを傷付けていることだってありそうだ。発言の全てに責任を持つことは疲れるしちょっと無理がありそうだから、陰口をできるだけ叩かないように気をつけるところから始めよう。そして、口を突けばひなた口が飛び出るような人間になり、その人の人生を照らす影響を与えられればと思う。

まあ、そんなことは無理だ。できるのなら、今頃宗教の一つくらいは創り上げられているはずだろう。それでも意識することはタダだから、目指していくことは自由だから、そうなれれば素敵だから、僕はそうなってみせるのだ。

#エッセイ #コラム #影響 #小説 #読書

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藍笠

文字捨て場。

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