No.51 貴方は私の目の林檎

誕生日が来る度にまた一つ歳を重ねることができたという安堵と、また歳を重ねてしまったという悲哀を同時に噛むことになる。その味わいは何とも鈍いもので、喜んで良いのだか落ち込むべきなのか、どっちつかずの板挟みで感情がうろうろする。

年月が経つというのは死に向かって歩んでいるという証拠であるから、一年という単位で残りの寿命を確認する為の日がバースデーという分かりやすい位置付けなのかもしれない。その一年を振り返り、僕が成長したかどうかを確かめてみたりもするが、答えは殆ど辛酸を舐めるものに落ち着いていく。その度に、僕はもっと自分のためになる何かをしなければならないな、と意識のはちまきを締め直す。

一方で、誕生日が来れば周りの人たちが囃し立ててくれるものだから、その日の主人公は僕であるという錯覚を覚える。三月八日に生まれた主人公の名前が「ああああ」でなくて良かった。そんな人には中々友達もできなさそうだ。僕には親から授けられた一つの名前があって、その名前と共にバースデーを祝うラインや電話がもたらされる。ハッピーバースデーと呼ぶことが出来るのは自分の功績からではなく、周囲がいてくれるからこそでだ。その言葉を自分で言う人は数少ないだろう。

当日とはいかないまでも、僕の為に店の席を抑えてくれる友人たちもいて、休みを合わせて会を開いてくれる。そんなこととはつゆ知らず大好きなビールや梅酒に舌鼓、味の濃いつまみに箸を運んでいると照明が暗転し、躁状態のように明るい曲が流れ始める。威勢のいい店員さんの声がこちらに近づき、その手には小さな花火の添えられたプレートがある。周りが僕におめでとうと声をかけてくれた時に僕は、初めて生きていて良いのだという気持ちになる。

自分に対する自信が持てないまま僕は24歳を迎えた。自分が今やっていることは正しいのだろうかという疑問がいつも頭をもたげていた。飲食店のバイトでは、もうレシピを覚えているのだからあとは自信を持つだけだよ、と言われたことがある。今の仕事でも質問をして丁寧にこなしてくれるとよく言われる。僕は丁寧にやろうとしているつもりはなくて、自分のやっていることが正解だと信じきれなくて不安なのだ。間違っているのだろう、と思いながらこれであってますか?と聴いて、大抵の場合はYESが返ってくる。

でもこれでは、僕に寄り添ってくれる人たちに失礼なのではないかと思い始めた。みんなは僕のことを信頼してくれているのに、当の本人が自分に対して信頼を置いていないというのは、ある意味で裏切りに近いように思える。だから、これからは僕は僕を肯定しよう。周りにいてくれるみんなを肯定するためにも。

僕が生きていけるのは、僕の周りにいてくれる友人たちのおかげ。勇者・藍笠の周りにいてくれる、一緒に人生を闘ってくれているみんなのおかげである。悩みという敵をなぎ倒し、アクシデントが起きた時に支えてくれた彼ら彼女らのおかげで、何とか今の今まで生きながらえた。その事実は僕にとっての宝物であり、次みたいな英文が頭の中に浮かんで来る。「You are the apple of my eye.=貴方は私にとって掛け替えのない存在です」英文を意訳して伝えることは少し照れるから、半分ふざけながら直訳した方が僕らしい。貴方は私の目の林檎だ。

✳︎

上の文で終わろうかと思ったけれど、本当にいらない余談を一つだけ添えておこう。僕はバラ科のアレルギーを持っているので林檎を食べられない。かなしいものである。

#エッセイ #コラム #林檎 #誕生日

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8

藍笠

文字捨て場。

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