No.53 人の鸚鵡で生活ただせ

知らない人が長年飼っていた鸚鵡を譲り受けたい。突拍子もないように思うかもしれないけど、わりとちゃんとした理由があって、なんの動物でもいいと言うわけではない。犬や猫も可愛いから譲られたら嬉しいし、熱帯魚やトカゲも好きだから、差し出されれば僕は飛び跳ねて喜ぶと思う。そんな中で、鸚鵡。こよなく愛してる人には申し訳ないのだけれど、鸚鵡のビジュアルに関してはそんなに好きなわけではない。でも、一番譲り受けたいのは鸚鵡であって、その理由は喋るからです。

自分以外の人たちの生活感ってすごく気になりませんか。僕は基本的にソファに寝っ転がっていることが多くて、その状態のまま音楽を流したり雑誌を読んだりすることがほとんど。飲食をする時やPCを触る時には態勢を変えて座るけど、世で言うぐーたらな姿勢で過ごすことが大半を占める。僕の日常に現れるエアポケット的生活感は怠惰と行儀の悪さに因数分解される。

他の人がそんな空白をどうやって過ごしてるのか全く知らなくて、ひょっとしてみんな座って過ごしてるのかなと思ったりする。それが現実だったらみんなを尊敬する。寝転がる僕からすると想像がつかない話だからだ。生まれたての赤子が人間の自然な状態だったとして、しばらくの間はほとんど寝て過ごしていることを考えると、座ってるのは異常ってことになるでしょう。いや、これは横になってる時間の多い側からの、偏見を多分に含んだ主張だし、僕は赤子を終えて大人になっているから全く意味のない考察です。僕が大きい赤子という可能性を省けば、それはない。

そういう生活のスタイルを僕は知りたい。自分の中で当たり前だと思ってることが世間とズレていることを知ると、少し恥ずかしいけれど誇らしさを感じることだってある。野菜を食べる量だとか、食器棚の中のお皿の並べ方だとか、本棚にある本の種類、起きたての掛け布団の皺のつき方、普段のテーブルの散らかり具合。そういうものも全然知らない。知らなくていいから知らないというのが恐らくその理由だし、プライベートの線引きを超えたその領域を人に隠すのは当たり前のことだと思う。

出来ることなら僕は空を飛んで、中にいる貴方に気づかれないように部屋を見てみたい。ドアから正々堂々と入っても意味がないのだ。そこにある空気には整髪料の霧が含まれていたり、不思議な綿毛が飛んでいるかも知れなくて、それすらも乱さずに部屋の中を覗き見たいのです。でも、それはできない。僕は飛べないし、飛べたとしてもやったら捕まる。

だから、僕は鸚鵡を譲り受けたいんです。残念ながら鸚鵡の頭はUSBみたいになってないから、その目で見た景色をパソコンに読み込んでで見ることは叶わないけど、家で話していた言葉を知れる。一番肩の力を抜いた貴方の言葉を鸚鵡はきっと話してくれる。僕の部屋から人の生活感に侵入することができる。

鸚鵡を飼っている人は少ないし、飼っていても譲り受けることなんて確率的に低すぎるので、これが叶うことはなさそうだ。逆に、僕が鸚鵡を飼って、バックパッカーしてくるから一年預かってくれないか打診する、というやり口はあるかもしれない。ああ、でも僕の日常を知られるのは恥ずかしいな……やっぱり生活感は最低限隠すべきなのかも知れませんね。

(3/12 21時すぎ)
(柔らかいソファから貴方へ)

#エッセイ #コラム #鸚鵡 #生活感

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8

藍笠

文字捨て場。

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