No.46 幸福はこわくない

僕は目が悪いから普段コンタクトをしていて、夜お風呂に入る直前に外し、保存液に浸けることが習慣になっている。日常に紛れたルーチンワーク。昨夜もご多分に漏れず左目からそうっと外してあげようと試みた。いつもの如く気持ちよく眼球から外れたが、コンタクトが命を宿したかのように、僕の親指と人差し指から跳ねて何処かに消えて行った。残された右目の視力を駆使して、床や洗面台を探し回るが5分近く捜索しても現れない。あゝ、彼は遥かなる海へと帰っていったのだ、と諦めて右目のコンタクトレンズを保存液に浸けると、隣の液に魂の宿った左コンタクトが浮かんでいる。自分の巣に帰ってる!!いた!!それを見て僕はラッキーと思うと同時に、やってしまったと心の中で叫んだのだった。何故なら僕は、運の質量保存の法則を信じているからだ。

僕はすこぶる運が悪い。ここ一番というところでいつも不運が作用する。僕の右肩の上のあたりには不運の神様が浮かんでいて、下卑た笑顔を作りながら、吐息をふーふーかけてきているような気すらする。

例えば高校生の時、僕は弓道部に所属していたのだけれど、それなりの練習を重ねていたら全国大会出場の切符を手に入れた。自分の高校の全ての部活において、全国大会まで駒を進めた例は少なかったし、弓道部においては初めてのことだったらしい。そうなると周りも囃し立て、何なら当の僕以上に盛り上がる。期待の言葉に応えようとそれまでの練習とは見違えるような努力を続けて本番を迎えた結果、全国大会は見事中止という運びになった。出場券は負け馬券のようにびりびりに敗れ、風に舞って何処かに消えたらしい。

更に人生を遡ってみよう。人生最高の瞬間は、誰しも覚えていないものを含めて良いとすれば、産声を上げた時であると思う。この世に生を受け、良いも悪いもない交ぜにした旅に出たおかげで色々な幸福を享受できるのならば、生まれた瞬間というのはそれ以降の喜びを全て含んでいるはずであるから。当の僕は、臍帯巻絡という状態にあった。へその緒が身体の何処かに一周巻きついている状態をそう呼ぶのだけれど、僕の場合は二周も巻かれていたらしい。しかも首に。おかげさまで、僕は産声を上げることもなくこの世の空気に初めて触れた。生まれながらの半死半生。看護師さんや先生方の頑張りのお陰で今ここまで生きながらえているが、死んで生まれたというのは流石に笑えないほどギリギリだ。

他にも細々とした質量保存を身を以て体験したせいか、いつしか僕はラッキーを上手に喜べなくなった。大袈裟だと思うだろうか?それなら例えば青信号を渡る時のことを想像してほしい。信号を丁寧に待ち、青に変わったので左右の確認を二度繰り返す。車が見当たらないので右手を高く掲げながら渡っていると、何故かスポーツカーに轢かれる。そんなことが起これば、これからは青信号を信用出来なくなってしまわないだろうか。それが僕です。

そのせいもあって、この四半世紀近く、降りかかる幸福を真正面から享受している人を見ながら、僕はそのえくぼに溺れてしまいたいほどの羨ましさを覚えてばかりだった。どうしてそこまで純粋な笑顔を浮かべられるのか、と疑問に思ってさえいた。その後に振りかざされる不幸を考えずにいられるのは特別な能力で、どうやら僕にはその才能がないらしいと割り切っていたのだ。

しかし、一つ気がついたことがあって、僕は未来を見据えすぎていただけなのかも知れない。自分の将来について案ずることは少ないくせして、幸福が訪れた時だけ根暗で理知的な僕が顔を覗かせる。「どうせまた悪いことが起きるだけさ。ぬか喜びって知ってるか?いま笑ってもいつかそう思っちまうだけだよ」そんな声が聞こえる。僕の右肩に不運の神様なんて多分いない。いるとしたらそれは僕だ。

周りを見渡し分かったが、幸福に尻込みをする必要なんてなさそうだ。本当に人生を楽しみたいのであれば、これから先の不幸なんて考えない方がマシである。最低限のリスクマネジメントをして「いまここ」を楽しむことの方が重要だろう。「いまここ」が最高ならば、「いつかどこか」の最低に目をくれる必要なんてない。そんなものは裸眼のぼやけた視界で虚ろに見つめてやればいいさ。左目のコンタクトレンズはそんなことを教えてくれたのでした。

#エッセイ #コラム #コンタクト #幸福 #楽しさ

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藍笠

文字捨て場。

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