(1)Creating Worlds for my Music to Exist: How Women Composers of Electroacoustic Music Make Place for their Voices by Andra McCartney

Sarah Peebles

サラ・ピーブルス(b.1964)は、トロントを拠点とするインスタレーションアーティスト、作曲家、音楽即興演奏家です。彼女の作品の多くは、デジタル操作によって発見された音、型にはまらない増幅方法、雅楽で使用される日本の笙を演奏するためのアプローチを探求しています。彼女はまた、2008年以来、受粉生態学と生物多様性に取り組む一連のプロジェクトでアーティスト、技術者、蜂の生物学者と協力してきました。過去30年間ピーブルズは、ダンス用の音楽、マルチ-チャンネルサウンド、ラジオ、ビデオ/フィルム、パフォーマンスアート、統合メディア、サウンドインスタレーション、即興パフォーマンスと多岐にわたり活動しています。
(作曲家HPより http://www.sarahpeebles.net/bio.htm )

* * * 以下、論文より * * *

サラ・ピーブルズは1988年に作曲の学士号を取得したミシガン大学で電子音楽に 携わるようになった。初年を修了したのち、ミネアポリスの独立作曲家であるリビー・ ラーソンのいくつかのマルチメディアプロジェクトをアシスト。サラにとってこのリビー・ラーソンとのかかわりは現在も進行形のやりとりが続く重要なものであった。2年目は正弦波ジェネレーター、オシレーター、リールテープマシンを使う、彼女にとって初めての電子音楽のコースを取った。

わたしは唯一の新入生だった。わたしの前入った女生徒がいてシャロンといった。そし てアレナがいて、彼女たちは学部生だった。それから6~8人男性の学部生がいて、学院生には 30人中女性がたぶん4人いたと思う。でも女生徒は継続的に退学していった。

サラは、プログラムに残った女生徒たちですら自分たちを女性と考えない傾向にあったという。

女生徒たちはとても孤立していてめったに他の生徒と話すことはなかった。私は彼女たちは 常に自分をそこで証明しようとしていたと思う。だから自分たちのことを女性として考えておら ず、わたしも、彼女たちがそこにいても、そこにいたという感じはしなかった。

サラはミネソタで育った良い経験が彼女が続けるのを助けたという。

ミネアポリスでの経験は支えになったと思う。そこでは女性たちが屹立していたから。自分の 中には何かができないという考えはなくて、自分のためのイメージがあった。

サラは理論家であり指揮者であるリー・ハンフリーとの勉強も楽しんだ。

彼は作品が良くなるようなコメントをしてくれた。彼はよく私の作品を反映するようなーたまに不気味な色々なことは言わなかった。彼の教えるスタイルはその後何年も私の中にポジティブな力として残った。私は本当に私自身でいられると感じていた。

ミシガン大学を卒業後サラはカナダと日本を往復するようになった。日本に居る時は 日本のハーモニカである笙と神楽を習い、同時にニューミュージックのシーンも鑑賞・ 参加した。カナダでは女性作曲家の作品を放送した。

彼女の電子音楽作品は録音音楽でありライブであり、ダンス音楽であり、マルチメ ディア作品でもあった。

正直言うと、トロントで友達がいなかったことが電子音楽 傾倒していった理由で、自分の意志とは関係なしにそうなった感じ。

 彼女の最近 の作品は笙を発展させたもので昆虫や鳥や水そして電子音を含んだ”研ぎ澄まさ れた”ものだ。

私が彼女と話した1993年初め、彼女はトロントの公共スタジオInter/Accessのレジデンスコンポーザーだった。サンプリングされたアコースティック音を使って作曲するために彼女はマッキントッシュでAudioMedia, Sound Designer, SampleCellを使用していた。これはメモリーの少ないEnsoniqのサンプリングキーボードからの推移であったが両者ともコンパクトなパフォーマンスツールである。

日頃自分の作品を演奏することが多きサラにとって携行性が重要である。移動の 際は気を使うがサラはマッキントッシュを好む。そしてカワイのMDK61MIDIキー ボード、こちらは本当に軽くて持ち運びに適している。それに加えてmini-vibeというパッド楽器をその予測不能性が気に入って使っている。

サラは自身の作品も作り、電子音楽も作曲する。そのプロセスの違 いをこう語った。

作品を作る時は大きなコンセプトを決めて、それを時間で区切って埋めてい く。そうじゃない時は時間に対するコンセプトがなくて、笙や雅楽で使われて いるコードやAKAIのサンプラーやMIDIを使ったサンプリングとともにPhoenix Callingで何をするかについてもコンセプトがない。
もしあまりはっきりしないコードと協和的なコードを同時に変換したらどうなるか、どんな感じがするか?もし不協和音なコードを使ったらどうなるか?ただ こういう疑問が自分の中にあるだけで作品に対する考えはない。作品はこれらの実験から生まれてくる。作品自体は私の即興音楽と作曲との間に感じる継続性のデモである。

この”即興音楽と作曲との間に感じる継続性”を表現してサラはたびたび自身の作 品を「コンプロバイジング」と呼ぶ。

Phoenix Callingでは何人かの演奏者がサラの書いたリズム構成と一定のピッチクラスの組み合わせをグラフィック記譜をつかって即興演奏している。作品は太鼓と 笙の奏者と録音素材、そして舞楽舞踏家のパフォーマンスを含む。サラはアコースティック楽器による即興演奏と電子音楽での即興演奏の違いについてもこう語った。

アコースティック楽器ではその音がどんな風に聴こえるか、またどんな風に鳴 らしたいかというイメージがある。でも電子音はどうにでも聴こえる。音その ものがアイデンティティとして鳴らしている。バイオリンのようにとかクラリネット のようにとは考えない。だから(どのように聴こえるかという)境界線はいく らでも広げることができると思う。

Phoenix Calling won an ASCAP award (Grants to Young Composers) in 1994.

他のインタビュイー達と同じでサラも男性と女性の作る音楽の違いについて語る時は慎重だった。彼女は女性の作る音楽にはより多様な感情と内なる訴えを感じるという。

内側から発する声も感じる。私たちは少しだけ男性よりも内なる声をきくことができる、女性のすごいところは”勘”でしょう。まぁ人間は勘のあるものだけれど、少なくとも女性の方が少し冴えてる。でも私は何に関してもすべての人に当てはまることはないと思う。みんな社会からそれぞれの比率でそれぞれの方向から影響を受けているから。それをどのぐらい意識しているかも人それぞ れ。

同時に彼女は男性中心でない音楽とのかかわり方も模索している。

もし音楽についてクライマックスがなくてもいいだとか、美学に関して別の視点を提案するものだとか考えるならそれは男性目線。トラックを飛ばしたり、人の鎧を脱が せるような方向に行くなら、それはおそらくそれ自体を発展させる自由がある。

彼 女は最近の作品"Kai, Revolving Life"について語る時いくつかの皮肉についても語った。

インター/アクセスで働いていた時の体験が私を変えた。周りに人々がいて、 天気がよくて、だからテクノロジーを使うことがよいと思えた。人と働いていると いう感じがしたから。Kaiをやっていたころ好きだったことは起きて、トロントへ行って、そこで寝て、4:30に起きて収録するーその体験が忘れられな い。コオロギを追い出して、そこに座って、全てを確認する。皮肉だった。その状況は自然と一体化していて、普段の私はしていない。それ(テクノロジーとの対比が?)が皮肉だった。
おそらく観客は私がその音を聞いた時そこで嗅いでいた湖のにおいは覚えて いないだろう。それでもRevolving Lifeを野外で演奏したときはそよ風や 場所(しゅうこう寺)の雰囲気を作品に込めようとした。その方向性はポジ ティブだと思う。音楽の合間の静けさのなかの自然の音へ観客の意識を
持っていきながら音楽に魂をこめることができる。

観客は特にこの体験(しゅうこう寺や類似した場所での演奏)に強く反応した。とても感 動したとー会場とつながった見えない力によってきっと誰もがお互い感動したと思う。それに よってテクノロジーが音楽と大きな人生体験やコミュニティをつなぐ役目の一部であると発見 した。それはとても幸せだった。ノースアメリカでも、コンテンポラリーミュージック、民話、コミュ ニティ、大陸、精神性、そして毎日の生活に関する対話を続ける文脈を探したい。


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