最初はVAN 『ヴィンセント海馬』1

最初は不安だった。
4月。高校の入学式。いきなりパパもママも来られなくなっちゃったから不安しかない。乗ろうと思ったバスは満員が続いて

「すぐ後ろに次のバスが来るのでそちらへ乗ってください」

運転手さんに2回も言われた。バスはぜんぜん来ないし、2回とも満員で、3回目のバスには乗れたけど、良かったなんて思えない。買ったばかりの時計を見る。時計って、右腕につけるのか左腕につけるのすぐに忘れちゃう。時間に余裕を持って出たはずなのにどうしよう。きっと、かなりあぶない時間だ。

この日の渡辺さんは、家から学校まで近いのにわざわざバスを選んだ。新しい高校には同じ中学の友だちはいない。いるかもしれないけれど、よく知らない。ということはつまり、自転車通学だと帰りにボッチになる可能性がある。

もし万が一友だちができたら、その子たちといっしょにバスに乗って帰ろう。初日からボッチは絶対マズイ。教室に入ったら3秒以内に近くの子に話しかけよう。ここはもう、勇気を出す一択。シンプルに「おはよう」でいい。「何中?」「制服、めっちゃ似合ってるね」——ひとまず笑顔を連発だ

バスが信号で止まるごとにつり革から手を離し、スマホで親にLINEしたり、いろいろなバージョンの作戦を頭でリアルに何度もシミュレーションしていたら、学校前のバス停を行き過ぎてしまった。しかも気づいて降りたのは2つ先のバス停。

もどるバスがなかなか来ない。渡辺さんは高校では無遅刻無欠席を目指していたのに、入学式初日から遅刻というハプニングに見舞われた。パパとママになんて言おう。ていうか1人で遅れてクラスに入ったら・・・めっちゃ恥ずかしいって! 

あだ名はきっと『遅刻ちゃん』になる。渡辺さんは恐れた。ついこの前、美容師さんからこんな話を聞いたばかりだったから。


美容師さん:入学式はホント気をつけた方がいいよ

渡辺さん:緊張します!

美容師さん:俺の高校の友だちでさ、入学式におならしちゃったヤツがいるんだよ。そいつのあだ名、何てなったと思う?

渡辺さん:え? わからないです。

美容師さん:プーさん


反対方面のバスに乗ると、ガラガラだった。渡辺プーさんが涙でうるんだ目でバスの外を見ると、歩道をあり得ない速さで走っている男の人がいた。オレンジのド派手なジャージ

「え?!」

渡辺さんは陸上部に所属していたからわかる。あの速さは、市民大会1位だった男子のキャプテンよりも圧倒的に速いペース。道路が空いていてバスもそれなりのスピードが出ているのにバスが追いつけない

学校前のバス停を降りると、オレンジの男の子が待っていた。

いきなり声をかけられた。

「あ、はじめまして!」

せ、先輩・・・かな? 

「はじめましてじゃないよ、3度目だよ。渡辺さん」

「3度目?」

「1度目が2月23日、2度目が3月1日。3度目が今日」

1度目と2度目は、入試の日と合格発表の日だ。

「よかった、今日は紅い」

「何が? え? 何が赤いんですか?」

「ほっぺ。あのとき真っ白だったから」

たしかに受験の日も発表の日も緊張しっぱなしで、明け方の哀しい時のお月さまのように真っペイルだったと思う。ていうかなんで赤の他人、いや青の他人のほっぺの色を覚えているの? あり得ない。

ピ ン ポ イ ン ト す ぎ る

しかもこの人が着ているジャージ・・・見たことないくらいレトロで、なんだか古着みたい。受験っていうことは同い年? でもちょっと大人っぽいし。

「センパイ・・・ですか?」

「同じクラスだよ。1年4組。配信された名簿見てないの?」

「え!」

ヴィンセント・VAN・海馬(びんせんと・ふぁん・かいば)。彼を知っている者ならやすやすと予測がつくであろう。学年全員の名前が記載されているリストを彼に渡そうものなら、その場でひと目で暗記してしまうことを。

「わたなべ・ゆい、でいいのかな。ずっと気になっていたんだけど。結ぶって字はゆいって読みでいいんだよね?」

「わたしの・・・何で名簿だけで、わたしの顔がわかるの?」

「入試のとき隣の席だったから。受験票にも名前が書いてあったし」

渡辺結には信じられない。

テ ス ト 中 よ ゆ う あ り す ぎ

「ウソ! よくそんなの覚えているね」

「結って、きれいな字づらだったから。ゆいって美しい響きだね。なんでゆいの友だちは渡辺って呼び捨てにするの? もったいないな」

そのときの結のほっぺはきっと月から太陽にかわっていただろう。顔マッカッカなフィーリングを隠すために、渡辺さんはバスの中で何度も練習していたフレーズを少年に向けて吐き出した。

「じゃあ・・・あの、よろしくね。えっと、名前、聞いていい?」

「オレの名前?」

「うん」

ヴィンセント・VAN・海馬

長い名前のどのパーツを言おうか彼は迷った。

迷うことなんてないか。

どれを言っても結局聞き返され、説明を求められるのだから——

「ファン」

「え? フアン?」

「そう」

「わかる! わたしも。私もめっちゃ不安

「ん?」

「しかも、わたしたちいきなり遅刻しちゃったよね、どうする?」

「遅刻・・・してるの?」

「もう8時55分だよ。やばい、どうしよ!」

海馬くんは少し目を閉じた。

頭の中の記憶をたどっているようだ。

「プリントの情報が変わってないなら、入学式は9時30分からだよ」

「ホントに?」

「うん。間違いない」

てっきり、8時30分からだと思っていた。ていうことは・・・まだ1時間前か! そういわれると、周りに新入生らしき人は誰もいないことに渡辺さんは気づく。

ああー、動揺しっぱなし。

おじいちゃんが急に倒れるなんて——。入学式なのに。せっかくピンクの桜が散らずに残っているのに。

おじいちゃん、おじいちゃん、おじいちゃん。

何でもないといいんだけど——。でも何でもないのに、パパとママが両方ともかけつけるのはおかしいよね・・・

渡辺さんのせっかく赤くなったほっぺは再び真っペイルになった。

「おじいちゃんのことは心配してもしょうがないよ」

ヴィンセント海馬くんは、クライ寸前の渡辺さんへ、力強く声をかけた。

「オレも、結のおじいちゃんが良くなるように祈るから」

「え?」

「めっちゃ祈る」

おかしい。

さ す が に こ れ は お か し す ぎ る !

「ええ! なんで? なんでおじいちゃんのことまで知ってるの?」

「そんなことより、一応、急ごう」

答えを教えてくれずに、ヴィンセントは結の手をひき走り出した。

「キャー、はやい! はやいって!」

「陸上部だろ。大丈夫、ついてこい」

は っ ? !

も う い い

も う い い や

「ちょっと、ホンキで、速いって。なんでそんなに急ぐの!」

こっちは、カバンに制服、そっちは手ぶらでジャージ。

ん ? な ん で ジ ャ ー ジ ?

「ねぇ、ちょっと」

結は手をほどいて、ヴィンセントを見つめた。

長すぎるヴィンセントのシルバーの前髪が、少し強い春風に揺れる

「あのさ、なんで、制服着てないの?」

「ん?」

「制服。入学式でしょ」

「発想なかったって?!」

制服が絶対なのは中学までかと思ったよ

「いいっ! だって、合格発表のあと、採寸したでしょ」

「いや、買わなかったよ、制服。べつにいいのかと思って」

「ええ!」

「おい、お前ら。もう始まってるぞ!」

遠くで先生らしき人の怒鳴り声がした。

ヴィンセントが言った9時30分というのは、気休めのウソ情報だった。「ウソついたね!」とあとから怒った渡辺さんに対し、海馬くんは「ごめん、間違えた」と応じた。そんなはずはない。化け物級の記憶力をもってして、間違うはずがない。


渡辺さんは予定通り、帰りもバスに乗った。

初対面の——あ、ちがう、3対面のクラスメートのおじいちゃんなのに、自分のおじいちゃんのようにホンキで心配してくれて、無事を思いっきり祈ってくれる友だちと隣の席だ。バスに乗るなり、すぐに寝息を立てている。朝のバスとのレース、猛ダッシュすぎでしょ。

結は無防備に眠るヴィンセントの寝顔をみて幸せになった。

不安という名前なのに、勇気づけてくれる。

強くて新しい友だちヴィンセント・VAN・海馬くん。


2人は終点のバス停で降りた。病院までは徒歩数分だ。

「ねぇ、海馬くん、なんでおじいちゃんの入院のこと知ってたの?」

「うーん・・・正解を知っても怒らない?」

「うん! もしかして超能力?」

「バスの中で・・・後ろからスマホが見えた」

ようやく乗れたあのバスに、ヴィンセント少年も乗っていたらしい。

「うわ、勝手に! LINEしてるとこ見たの?」

「見たんじゃない。見えたの。Lookじゃなくて、Seeだった」

「どういうこと?」

マズイ。うっかり聞き返してしまった。英語が苦手、ということがインプットされたかもしれない。ここはごまかす一択

「じゃあさ、今朝、なんでわたしが陸上部ってわかったの?」

「受験のときの昼休みに、話していたよ。高校入ったらもう陸上やめようかなって」


おじいちゃんは元気だった。

どうしてかわからないんだけれど、突然倒れたのに、検査したらウソみたいにどこも悪くなくて、それは本当に良かったんだけれど——

10分前。

「このジャージ、汚いからオレは病院には入れない」と言って、玄関のところで海馬くんは引き返した。

「なんで! 大丈夫だよ」

「結を送るだけって決めてたから。それにオレ、トレーニングあるし」

そう言い残すとヴィンセントは来た道をバスには乗らず、ダッシュで戻っていった。

「入学式、行けなくてごめんね」

「ありがとう、がまんしてくれて」

お会計を済ませたパパとママに謝られた。

「うん、大丈夫だった」

遅刻したことは内緒にしておこう。

「友だち、できた?」

「うん! あのね、同じクラスにすごい子がいたんだ」

「すごい子?」

渡辺結はどこから話していいのかわからなかったし、うまく話せる自信がなかったので、海馬くんが、会ったばかりなのにおじいちゃんの無事を祈ってくれたことを伝えた。

「優しいんだね」

「優しい・・・のかな?」

「ちがうの?」

「わからない。優しいっていうか、なんだろう・・・強い」

「強い?」

「うん。たぶん、強い」


海馬くんのお父さんとお母さんも、入学式に来てなかった。顔も知らないのに、なぜわかるかって? 体育館の入り口に置いてあった、出欠表に丸がついてなかったから。

「あ!」

渡辺結は、思わず笑ってしまった。

保護者の出欠表なんてどうでもいいものをインプットするなんて、まるで海馬くんみたい。ていうか、もう。制服を買ってないとかあり得ないから!

どんな高校生活になるんだろう。想像もつかない。どうするんだろう、制服。

ヴィンセント・VAN・海馬

期待とVANが入り混じる。

あまりにも未知未知ている高校生活を前に、結は思い切り走り出したくなった。


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『ヴィンセント・海馬』