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甘いものには巻かれろ★校長ロール★ 『ヴィンセント海馬』 13

4月17日火曜日。
校長室の立派なデスクでキーボードを叩いている少年。
その向かいのソファにちんまりと座っているのが校長先生。
違和感がある光景のはずなのに、これが正しく見えるのはなぜだ。

ヴィンセント・VAN・海馬——
彼がたった今、取り組んでいるタスクは、職員への給与支払いだ。

「美月先生が、超考堂の電気代より自分の給料が低いって言ってたけど、本当なんですね」
「ああ、ううん」

校長がもごもごと答えるのに対し、海馬は背筋を伸ばしきびきびと作業を進める。校長と海馬は35歳も違うのに、どっちがセンパイかわからない。

「でもそれは超考堂の電気代が高過ぎるんじゃ・・・」
「もちろんそう考えることもできます。ただ校長先生——」

ヴィンセントは穏やかな表情で大先輩を見つめる。
その口調は優しいく甘いが、伝達内容は鋭く苦い。

「知らないうちに、先生はふつうこのくらいの給料だ、事務員はこのくらいでいいだろう、自分はこのくらいにしておこうって決めてしまっていませんか? 雇う方も雇われる方も。その先入観のせいで、みんな苦しくなっているとも考えられませんか? これはオレの意見じゃないです。AIの意見です。AIは先入観を超えて、適切な数値を出してくる。この AIによると今月から職員の給料を今の5倍にすることを提案しています」
「5倍!」
「もちろん、校長先生の分も5倍ですよ」
「え?」
「美月先生の場合は月200万円ですね。じゃあ、振り込みしますよ」
「ああ! ちょっと待った!」
「将棋に待ったはありません」
「はぁぁあああ」

冗談ではなく、ヴィンセント海馬は200万円を水野美月の口座に振り込む指示を出した。

「大金・・・どうしよう」

冗談ではなく汗が出てきた。校長は肩を落とす。

「たぶん、校長先生にはいい方法は思いつかないと思います。だから今、こういう状況になっているわけで」
「ふぅ・・・ストレートに言うね」

校長がこの少年と学校経営を共にしてから10日ほど経つ。意思決定を迫られるたびにAIに尋ねる。AIの提示するおすすめの対応は、校長の思い描いていた対応とはいつもまったく違う。給料5倍アップ?!

「わかった。もう好きにしていいよ」

ストレートに指摘されることに慣れたし、結局はGOサインを出すのだから、最初から抵抗しない方がいいと校長は学習した。

「ところで校長先生が職員だった場合、いきなりいつもの5倍、200万円が振り込まれていたら、どう考えますか?」
「ん?」

どう考えるだろう。これは何かの間違い? ラッキーと喜ぶか?

「おそらく自分にその価値があるか検討すると思うんです。もし200万円に喜んでしまったとしたら、その人はきっと200万円を、自分の労働価値以上と考えているんだと思います。つまり自分の生み出す価値に対して、200万円は高すぎる。するとどうなるか。まず考えられる動きとしては、そのギャップを埋めようという行動に出ると思うんです。たとえば100円渡して、何か自分のために飲み物買って来てというのと、10万円渡して、何か飲み物を買って来てと伝えた場合、いろいろなことが起きそうなのは、10万円を渡した場合ですよね。それは頼まれた側が10万円にふさわしい価値をつけなくちゃいけないと考えるから。校長ならどうします? 10万円を渡されて、飲み物を買ってきてというお題を出されたら」

校長は素直に、右ななめ上を見上げるようにして首をひねり、10秒ほど考え、ちょっと腰を浮かすと、またソファに座り直した。

「まあそれは、手近なお店でとりあえず一番安い飲み物を買って、おつりをそのままそっくり渡すね」
「は?」
「ひとまず、買い物から解放されたいよ。買い物は嫌いなんだ」
「うお! すごい!!」
「照れるね。合ってる?」
「合ってるとかそういう問題じゃないです」
「そうなの?」

校長はここのところ、思考力が低下しているのを自分で感じる。正確には思考力だけではない。能力が全般的に衰えている。なのに地位だけは一番高い。あらゆる決定権が自分にある。これはおかしいと思う。このままデスクにいるヴィンセント海馬くんが校長を務めてくれた方が、学校はずっと良くなりそうだ。

「人のリアクションは様々、校長先生の考えも含め千差万別だと思うんです。ある人はその価値を最大化しようと工夫するだろうし、ある人はズルして自分のものにするかもしれない。でもいずれの場合でも、そこにこれまでにない個性と新しい一手が現れると思うんです。最初に5倍支払うという、本当は正解なのに人が指してこなかった新手を採用することで、思わぬ展開になるんです」
「そんなもんかね・・・」

海馬の頭にはさまざまな人間の、多様な行動パターンが浮かんでいたが、校長は素で浮かばないらしい。

「ええと、昨日、事務員の3人に5万円を渡しましたよね」
「泣く泣くね」
「オレ、今朝、宇崎さんに聞いてきたんです。あの5万円何に使いましたかって。何に使ったと思います?」
「貯金?」
「宇崎さん、渡された5万円で写真を撮りに来てくれた美南っていうフォトグラファを誘ってカメラ屋さんに行って、自分用のポラロイドカメラと、2人で使うフィルムをたくさん買ってきたそうです。それで先生や生徒や校舎の写真をたくさん撮って、手作りの学校のパンフレットを作るって。自分の生徒や親たちがお金を出してでも買いたくなるようなパンフレットを。幸い、昨日の国語室開放から親もたくさん学校に来るようになったし、被写体にも協力者にも困らない。みんなに聞いてみるとインスタ部だとか写真部をつくりたいって思っている子たちもいる。お母さんの中にもそんなのができたら入部したいって人がいる。来年の入学希望者だけでなく、今学校にいる在校生や保護者が、たった今の思い出として買いたくなるパンフレットを作るって張り切ってました」
「へぇ、面白そうなアイデアだね」
「あの・・・ホントに面白そうと思ってます?」

海馬は少し呆れて確認する。

「いやいや! 思ってるよ。誤解されやすいんだよ、わたしは」
「校長が出した5万円の臨時ボーナスが、5万円以上の価値を持って、たくさんの人を幸せにし始めてます。たとえば今、最初に出した5万円を引っ込めたいと言い出しても、きっと戻って来ると思うんです。お金に余裕がある人がいたら、ポケットマネーで5万円くらい補填してくれるだろうし。オレが組んだこの校長のAIがとる一手は基本、そのプロジェクトに関わる人数を多くして、リスクを軽減し、思いがけないアイデアの広がりを確保し、5万円が幸せに使われる、多くの人の経験として蓄積される方向で展開されます」
「そうだね。海馬くん、それはもう——」

本当にそう思っている。さんざん身に染みている。
校長室にいながらも、学校が活気づいているのを感じる。
美月先生だけではない。さまざまな先生や生徒が、いろいろな案件を持ち込んでくる。それらに気持ちよく承諾を出すたびに、相手の自分を見る目が変わっていく。そして持ち込まれた案件がまた別のアイデアを生むという連鎖。学校の空気が動いている。

風が吹いている。

できればその風が

隅々まで届いて欲しい——

校長は自分の長所として、1つだけ胸を張れることがある。
それは『どんな子の可能性もバカみたいにホンキに信じられる才能』だ。
ヴィンセント・VAN・海馬くんはたしかに才能の塊のようだが、彼に感じる可能性と、学校で一番目立たない、たとえば今回の入試でビリで入った子にも、同じくらい可能性を感じることができる。

なぜかはわからない。
そんなはずはないと指摘する人もいるだろうが、そうなんだから仕方がない。

ビリの子が持つ『何か』が、どんなものなのかは、校長には想像力がないのでさっぱりわからない。でも『キミは本当はすごい子なんだよね』とウソ偽りなく、心底思いやることができる。

どうしてどの子も『可能性のかたまり』に見えるのか。
その理由を無理やりひねり出すなら、自分が一番『才能がない』からかもしれない。凡人中の凡人。たった今も、座るべきデスクすら追われて絶賛凡人体現中。少年やAIに言われたことしかできない。創造力も発想力もゼロ。そんな自分ですら、なぜか一応、校長になれた。だから『みんな』がすごくなれない理由はない。

全員に働きかけることはムリだから、陰ながら応援したい。
そう思っていた。ずっと。そして思っているだけで何もできなかった。
でも、今はAIがある。
働きかけることができそうだ。
学校の隅の方でおとなしくしている子に。
昔の自分みたいな子にも風を届けることができる。

この少年がみんなに送ってくれたメッセージ。

高く、遠くへ飛ぶための風——

「海馬くんのおかげだよね、ぜんぶ。ありがとう学校に入ってくれて」

校長は頭を下げた。これほど深く下げたことがないくらい深く。

「ありがとう。助かってるよ。ほんとうに」
「やめてください。オレ、校長先生に恩を感じています。ちゃんと約束守ってくれて——こうしてこの学校の生徒にしてもらえたし、AIの校長も組ませてもらったし。無茶な新手を次々と採用してくれるし」
「いい学校になってきたよ。AIのおかげで」
「はい、そう思います」
「ああ。これが世にいう、AIに職を奪われた、ってヤツだね。ふふふ」
「いえ、それはちがいます」

海馬はきっぱりとした口調でとがめた。

「こう考えるべきだと思います。AIがやるべき仕事を、校長が耐えてやっていたって。給料5倍になったわけですし、校長先生は校長先生で、あたらしい校長ロールを創っていくべきです」
「校長ロール? なんだかそれ、おいしそうだね」
「ロールって、役割ってことですよ。スペルがちがう方のロールです」
「うん。でもおいしそうだ」

海馬は校長先生がロールケーキに巻かれている図を描いて、ほんの少し笑ってしまった。

「わかりました。じゃあこのAIの名前は『校長ロール』にしましょう」
「校長ロール」
「このAIは目的を自ら設定できないんです。そこは校長先生のロールです。次の目的を設定してやってください」
「目的? 何でもいいの?」
「はい」
「じゃあね、校長にやさしい学校づくり」
「は?」
「このまま、胃が痛まない日が続いて欲しいよ」

なんて自分に甘い目標だろう。
でもそれは思い切りフィットしている。

AIが考えている間に、ロールケーキでも食べながらゴロゴロとローリングしていて欲しい。好きな本でも読んだり、映画を観たり、保護者と一緒に写真を撮ったり、ぼーっとしたり。先生や生徒とこの快適な部屋で、まったりとお茶でもしていて欲しい。そうすることで学校がうまくローリングしていく。

胃潰瘍とは対極の、甘くゆるいスタイル。
『可能性のかたまり』に目を細めるだけのスイートな仕事。
『校長ロール』はきっと、それらを実現してくれるはずだ。

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