かぐわしき(Lemon/米津玄師)

「いきる」は、
漢字にすると「生きる」になる。
「逝きる」になることは無い。

「いく」は、
漢字にすると「逝く」になる。
「生く」になることは無い。

けれど、
「いきなさい」は、
「生きなさい」にも、
「逝きなさい」にもなる。

僕には、
「生きなさい」とも、
「逝きなさい」とも、
促したくなる人はいない。

もちろん大切な人はいるけど、
その人には、そんな言葉は必要ない。
少なくとも、今はまだ。

身近にある生と死。
生よりも死の方が、僕には近しかった。

たとえば、自分の祖父母。
祖母が亡くなった数年後に、
祖母を追いかけるように、祖父は亡くなった。
だから、僕はたった数年の内に、
身近な人を2人も失ったことになる。

祖母が亡くなったときに、
喪主である祖父は、涙を流していた。
そのとき初めて、祖父が泣いているのを見た。

長年連れ添った妻の死に、涙を流す姿。
僕は、悲しくなるより先に驚いていた。

祖父は、あまり感情を露わにしない人だったから。
祖父がどれだけ祖母を想っていたのか、ずっと知らなかったから。
その涙を見て、僕は初めて「死」を強く実感した。

やがて、元気だった祖父も、少しずつ元気じゃなくなって。
祖母のときと違って、その頃の僕は実家にいたから、
近くの病院に入院している祖父には、よく会いに行っていた。

1年前は1人で歩いていたのが嘘のように、
祖父はあっという間に寝たきりになった。
会いに行く度に痩せていく祖父に、
徐々に会話が成立しなくなっていく祖父に、
僕は、何を思えばいいのかわからなかった。

そして、祖父の葬式。

祖母のときは、泣いた。
祖父のときは、泣かなかった。

どうして、と僕は思った。
僕は、祖母のときと同じくらい悲しかったはずなのに。
涙は、悲しみの指標だと思っていたのに。
僕には、それが何より辛かった。
ひどい奴だと、思うけど。

大切な人が、いなくなること。
大切な人と、もう会えないこと。

切り分けた果実の片方の様に
今でもあなたは私の光
――米津玄師「Lemon」より

今のパートナーが、今の僕にとっての大切な人で。
つまりは「切り分けた果実の片方」で。
僕はそれを、胸に抱えていて。

もしも。
パートナーが、僕のことで悲しくなるなら、
僕はいなくなってもいいと思ってるけど。
パートナーは、ここにいていいって言ってくれたから、
しばらくはそうしようと思う。

パートナーが、
「忘れられない人」になるまでは。
「もう二度と会えない人」になるまでは。

僕にとってパートナーは、
僕を導いてくれる光だから。

Lemon(「Lemon」収録)/米津玄師

この記事が参加している募集

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 「サポートしたい」と思っていただけたら、うれしいです。 いただいたサポートは、サンプルロースター(焙煎機)の購入資金に充てる予定です。