こじれる(谷崎潤一郎犯罪小説集/谷崎潤一郎)
悪いことがしたいな。
辻斬りのように男遊びをしたいな、というのは川村優奈の弁だけれど、
僕は、男遊びにも女遊びにも興味は無いけれど、
悪いことなら、してみたいな。辻斬りのように。
悪いことは、いけないこと。
指をきらきらと染めるのは良いことだけど、
手をどろどろに染めるのは悪いことらしい。
「手を染める」といえば、やはり犯罪だろう。
手っていうのは染めれば染めるほど、後ろ指を指されるものだ。
それも、残忍であればあるほどね。
けれど、僕は知っている。
やいのやいのと後ろ指を指す人達に、羨望のまなざしが宿っていることを。
犯罪は、いけないこと。
良い子も良い大人も、手を出しちゃいけないよ。
(悪い子と悪い大人は、別だけれど。)
どうして、だって?
そんなの、決まっているだろう?
悪いことっていうのは、とっても甘美なんだから。
子どもがやたら悪いことをしたがるのも、きっとそれが理由でさあ。
大人になれなかった子どもが犯罪に走るのも、案外そんな理由かもね。
でもね。
悪いことなんてさ、僕らはきっと日常的にしているんだよ。
たまたま、それが犯罪に仕分けされないだけでさ。
もし、それが犯罪だと取り決められてしまったら、
僕らはもう、陽の下を大手を振って歩けないね。
ん?
「さっきから、手に持っているそれは」とな?
谷崎のことは、知っているだろう?
谷崎潤一郎。
あの、毒のある蜜を拵えるのに長けている文豪だよ。
僕は、彼のことをてっきり、
一に女、二に女とばかり思っていたけれど、
まさか、「犯罪」にまで手を出していたなんてね。
これらの物語はね、
悪いことに悪いことを重ね、濾し、絞り取った、
この上なく甘美な蜜なんだよ。
だから、あまり人に勧めるようなものではないんだけどね。
なんたって、悪いことなんだから。
それでも、味わいたいというのなら。
それでも、触れてみたいというのなら。
僕は、止めるなんて無粋なことはしないよ。
ん? じゃあ、どうして忠告なんてしたのかって?
まあ、念のためだよ。
だって、この味わいはなかなか忘れられるものではないから。
あなたに強靭な精神でも宿っていない限り、
悪いことに次から次へと手を出す狂人になってしまいかねないから。
……僕?
そうだね。
これらの物語にとっくに手を付けてしまった僕は、どうなることやら。
はてさて。
これから僕がどのような一途を辿るのか、見物だね。
もし狂人になってしまったら、そのときは、どうか許してくだちい。
(注)川村優奈は、
桜庭一樹「少女七竈と七人の可愛そうな大人」の登場人物。
谷崎潤一郎犯罪小説集/谷崎潤一郎(集英社文庫)(2007年)
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