知らない(ガラスの街/ポール・オースター)

僕はピーター・スティルマン。
それは僕の本当の名前ではありません。
本当にありがとうございます。
――ポール・オースター(2013)『ガラスの街』柴田元幸訳,新潮社.46頁

僕は相地。
それは僕の本当の名前ではありません。
これは、残念ながらうそではありません。

なまえ【名前】
人については、
狭義ではその家族に属する一人ひとりを区別して表す呼び方。
広義では名字をも含んだり、単に名字を指したりする。
――山田忠雄他・他(2017)『新明解国語辞典』第七版,三省堂.

もし僕が付け加えるとしたら、
名前は、呪いだ。

本当の名前とは別に、
もうひとつ(もしくは、複数)名前がある人は、たくさんいる。
そして、ぞれぞれの名前に、それぞれの顔があるみたいだ。
まるで、自分にまつわる一切が、名前に支配されているように。
名前を変えることで、自分自身を変えることができるように。

でも、きっとそうなんだろうと思う。
名前っていうのは、その人のひととなりを表している。
だから、しがらみというか、
何かしらが、ずっとつきまとっているような気がする。

たとえば、
「こんなの、私の名前じゃない」ってね。
それってつまり、
「こんなの、私じゃない」って言ってるのと、おなじだ。

だから、そのしがらみを切ってしまいたくて、
せめて他の名前を持っておきたいっていう人も、きっといる。
もともとある名前が、なくなることはないけど、
名前を増やすことは、きっとできるから。

ただ、それでしがらみが、ぱちんと切れるわけじゃない。
増やしたら増やしたで、
「本当の名前」とは?
「本当の自分」とは?
そんなことで、頭をかかえるようになる。
それがわからなくて、また名前を増やしていく。
増やしていけば、いつか「本当の自分」を見つけられるかもしれないから。

「本当の名前」を量産すること。
それは、「本当の自分」を量産することでもあって。
そうしたら、今の自分はどこにいるのか、ちゃんと言える?

そして、何より大事なこと――自分が誰なのかを忘れないこと。
自分が誰だということになっているかを忘れないこと。
(中略)聞いてください。僕の名前はポール・オースター。
それは僕の本当の名前ではありません。
――ポール・オースター(2013)『ガラスの街』柴田元幸訳,新潮社.76頁

だから、「本当の名前」っていうのは、ひとつにしておいた方がいい。
そうじゃないと、今の自分はどこにいるのか、わからなくなるから。

……はい?
ああ、僕の本当の名前ですか?
「相地」はそうじゃないって、言いましたもんね。
僕……僕の名前は……。
あれ……あれ?

僕は、相地?
それとも、〇〇?
もしくは、××?

聞いてください。
僕の名前は相地。
それは僕の本当の名前ではありません。
本当にありがとうございます。 

ガラスの街(原題:City of Glass)/ポール・オースター
(左:山本楡美子、郷原宏訳,角川書店、右:柴田元幸訳,新潮社
 ※カバー紛失)

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