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東北・北海道旅行 13日目

キャンプ場での朝ごはん。
山の上だからかとても涼しく、快適。

もはやキャンプ場での朝ごはんの定番となっている夫担当のトロトロチーズ焼きを食べる。焼き上がりを待つ間、子どもたちは近くの草むらで虫探し。キャンプ場での朝ごはんは自由で平和で楽しい。

その後、朝風呂に入りに車ですぐの乳頭温泉へ。

古き良き日本の姿

向かったのは朝9時からオープンしている”黒湯”さん。駐車場から味のある手作り看板を頼りに人が一人歩けるほどの細い山道を下ると山の谷間に黒湯ならぬ炭板の家屋が見えてきた。

この黒湯温泉さんは大きくはないけれど、茅葺の屋根の家、高台の家、合宿タイプの家など様々なスタイルの家屋が転々とし、一つの集落を形成している。さながら山奥の秘境集落といったところか。昔ながらのその雰囲気は
まるで昭和初期の日本にタイムスリップしたかのようだ。その一方、手作りの看板は中国語、韓国語、英語と多言語対応しているところにも驚いた。

そんな古き良き日本の集落に迷い込んだような路地を歩き、乳白色の源泉湧き出る小池のような場所に出た。隣にはこじんまりとした小屋があり、”ゆ”と書かれたくすぶった赤と緑色の暖簾が二つの入口にかかっている。

赤色の暖簾をくぐり中に入るとの小さな脱衣所と内風呂。そして山に囲まれた露天風呂があった。

決して大きくはなく、数人が入ればいっぱいになってしまうほどの小さなお風呂。皆が気持ちよくその湯を楽しめるように、他人に配慮しながら静かに温泉に浸かりながらその景色を楽しむ。ここにも古き良き日本人の精神があった。日本屈指の名湯と呼ばれるだけあり、その温泉の温度、泉質、環境、そして、多くは触れ合わなかったけれど、黙々と働くスタッフの方々のちょっとしたサービスともに素晴らしい滞在を過ごすことができた。

実は、もともとのお目当ては同じ乳頭温泉にある”鶴の湯”さん。しかし、朝の立ち寄り湯のオープン時間が10時と黒湯さんより1時間遅かったため、こちらの黒湯さんに来たのだが、温泉以上に素晴らしい体験をすることができ、乳頭温泉の人気の理由が分かった気がした。やはり百閒は一見に如かず。

熊が怖いが、次回は乳頭温泉に宿泊しながら他の施設の湯巡りを楽しんでみたい。乳頭温泉を後にし、秋田から岩手へ。

途中、看板で”小岩井牧場”があると知り、急遽立ち寄る。多くの子供連れでにぎわう広大な観光牧場に後ろ髪をひかれつつ、風呂上がりの飲むヨーグルトとソフトクリームを購入して岩手の目的地”宮沢賢治童話の森”へ。

宮沢賢治が見た世界

岩手県といえば、宮沢賢治。宮沢賢治の愛したイーハートーブ。

小さな頃、”注文のない料理店”を何度も繰り返し読んだ。子どもたちとは車での移動中、オーディオブックで銀河鉄道の夜など賢治の代表作を聞いていたが、やはり注文のない料理店が一番楽しかったようである。

賢治が生まれた岩手県花巻市。そこの小高い丘を利用して宮沢賢治の森がある。広大な敷地には記念館などの見学施設と、豊かな森の中では本の中のキャラクターに出会えたり、整備された遊歩道を歩きながら、彼の童話の世界を体感できるつくりとなっている。

時間制限もあったことから、我が家はまずイートハーブ館へ。瀟洒な邸宅のようなつくりのこじんまりとしたイートハーブ館。山を下る階段に沿って小さな噴水を擁した段々に連なった池が空の景色を映し出し、館へ行く過程も美しい。

イーハトーブ館は研修施設を伴ったどちらかというと、賢治の研究者が集う少しマニアックな施設。お土産コーナーを少し見てから、森を通って宮沢賢治記念館へ。

こちらは山の頂にある施設で、一歩館内に足を踏みいれるとそこの大きな窓から賢治の愛した花巻の景色を見渡すことができる。

記念館では、賢治の誕生からその生涯を記念品展示と共にじっくりと学ぶことができた。賢治の短い人生は作家としてより、教育者としての一面が強い。生前発表された作品は詩集「春と修羅」そして童話集「注文の多い料理店」の2作。それ以外の作品は彼の死後、書き残されたものが評価され、現在の童話作家・詩人、宮沢賢治へとつながっている。しかし、その裏側では彼の教育者としての強い信念。家族や子どもたちへの深い愛。宗教や宇宙、科学への深い造詣があったことを知った。

小学生の時にクラスで何度も復唱した”雨ニモマケズ~”その直筆の手帳の展示をみた。彼が死を意識しながら病床で読んだ詞。寒さ厳しい東北の地に生まれ、ただひたすら教壇に立ち、自然と立ち向かった彼の朴訥な人柄を実直に表現していた。

その後、昼食は楽しみにしていた”山猫軒”へ。言わずと知れず注文の多い料理店で主人公が迷い込んで入ったレストランである。

館内には自分が本の主人公になったかのような仕掛けが至る所にあり、それを発見するだけでも楽しい。食事は和洋混合で提供され、私は盛岡冷麺をいただいた。

昼食後は道を隔てて反対側にある”宮沢賢治童話村へ。

どちらかというと、先に見た二つの施設が大人向け、こちらの童話村が子供向けに意識されて作られているよう。広大な芝生広場を中心に公園のような作りになっている。

いくつかのログハウスにはお土産屋さんやワークショップなどを体験できる施設。賢治の学校と呼ばれる美術館は「ファンタジックホール」「宇宙」「天空」「大地」「水」と5つのテーマに分かれた展示があり、宇宙は銀河鉄道の夜の世界に迷い込んだようなアーティスティックな作りになっていて、子どもたちが一番長く滞在した場所となった。

ここで三ツ矢サイダーの広告を発見。なんでも今から90年以上前の賢治が教師時代に生徒に親しみを込め振る舞ったのが当時、贅沢品であった天ぷらそばと三ツ矢サイダーだったんだとか。

賢治がサイダー好きだったとは。当時、嬉しそうに三ツ矢サイダーを飲む賢治がそこにいるようで、館内を出たとき、まるで賢治の時代のタイムトンネルを抜けて出てきたような気分になった。

他にも「妖精の小径」「ふくろうの小径」など小さな清流が流れる森を散策し、賢治の森を後にする。

”夏草や兵どもが夢のあと”

賢治の森から約1時間ほどで、世界遺産である中尊寺金色堂へ。

どこもかしこもじっくり見たいけれど時間がない。中尊寺金色堂は拝観時間ギリギリの16時に入って、1時間ほど金色堂を中心に寺院内を散策。この辺りから松尾芭蕉の奥の細道の記念碑が見られ、この地に遥か遠い昔、松尾芭蕉が歩き、この風景を見ていたのかと思うと感慨深かった。

個人的には鎌倉時代の源義経好きだったこともあり、彼が過ごしたこの地を訪ねることができて良かった。金色堂はおもったほど感激はなかったが・・・

17時の閉門と同時に平泉を後にし、東北道をさらに南下。岩手県から山形県へ。今夜は将棋の町、山形県天童市の”道の駅天童”に宿泊。

将棋の町 天童

道の駅近くの”水車”という板蕎麦の著名店へ。閉店間際ということもあり、並ばずに入ることができた。子どもたちは3人で抱えるほどの長い板状のざるそばを。大人は隠れた名物という鶏そば。鶏そばと言いながら、実質鶏ラーメン。なんとも言えない出汁の効いたスープにちぢれ麺が良く絡み絶品!思わず美味しい夕ご飯にありつけてラッキーだった。

明日の朝は早いので、近くのコンビニで朝食を購入し、道の駅で歯を磨いて就寝。車中泊可能な道の駅はどこも24時間使用できるトイレがあり、新しい施設ということもあり、明るくきれいだ。

山の上ではなかったので、窓を全開にして暑さ対策をしていたのだが、町の中心部にある道の駅で、隣を走る国道13号から車の出入りが多く、夜も騒がしかった。




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