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2回目の一時就学(小学校二年生編)

本記事は、米国オレゴン州ポートランドを中心に毎月発行されている日系紙「夕焼け新聞」に連載中のコラム『第8スタジオ』からの転載(加筆含む)です。1記事単体で200円。マガジン購入は600円の買い切りです。4本以上読みたいならば、マガジン購入がお得(マガジン購入者は過去記事も未来記事もすべて読めます)。ひと月に一度のペースで配信されます。

アメリカの現地校が長い長い夏休みに入った。なんと二ヶ月!

この際だから、正確に数えてみようとカレンダーを広げたら「二ヶ月と九日間」であった。日数にしてちょうど70日。二ヶ月より長かった(笑)。

スクールイヤーがまもなく終わろうとするタイミングで、ママ友が「子なしママナイト」をやろうと言い出したので参加した(つい二ヶ月前に転入してきたアメリカ人の美人ママはパワフルで、あらゆることをぽんぽん企画してくれる)のだが、そこでは専ら「子どもの夏休みをどう過ごすか」ということで話題もちきりだった。

やれプログラミングのサマーキャンプ、やれヒップホップダンスのサマーキャンプ、やれサッカークラブのサマーキャンプ(以下略)。

親というのは子どもに何を体験させるか、子どもとどう過ごすかにいつも心を砕いている。

やっぱり子どもとずっと一緒に同じ空間にいるのは誰だってきついんだろう。そしてそれだけでは、何かどこか物足りない気に苛まれるのだろう。

わたしはというと、去年から始めた「体験入学」を今年も決行すべく、現地校終了日の翌日に飛行機に乗り、8歳と5歳を連れて日本に一時帰国した。

去年は「初めて尽くし」であったが、今年は何にせよ「二度目」。上の娘は去年ピッカピッカの一年生を経て、今年は小学二年生である。

だいぶ慣れたものである。

二度目がスムーズにいくために、去年知り合いになったママ友に小学校の最新情報をもらいつつ(コミュニケーションの継続は大事だ)、娘にはアメリカにいる間に、小学校の先生やお友達宛てに手紙を書かせたり、仲良くなった子とは文通をすすめるなどして(結局一年の間に一往復しかできなかったけれどやらないよりはよかっただろう)、「二度目対策」をしてきた。

去年の記憶を思い出すべく(一年も経てば殆どのことは忘れている)去年の手帳を引っ張り出して、手続きの流れを確認したり、国際電話を適宜かけたりなどして、二度目に臨んだ。

それにしても、LINE電話や、メッセンジャー電話という無料電話がある時代に、まっとうに国際電話をかけてみると、本当にその通話料の高額さに恐れおののきますね。請求書を見てびっくりしましたよ。電話ってなんでこんなに高いの?

来年はメールだけのやり取りで済ませることを心に誓う(日本の電話文化は根強いですが、負けないぞ)。

小学校は、一年も経てば、校長先生がかわっていたり、担任の先生がかわっていたり(小1でお世話になった先生が小2に持ち上がらなかったのです)、去年はあった「うたごえ集会」がなくなっていたりなど(一年前のコラムに書きました 下記参照)それなりに変化はあったものの、

「夏になるとやってくる〇〇ちゃん」

というイメージがうっすらと根付いていたことと(感激である)、去年無我夢中でそろえた道具のおかげで(去年がんばった自分を褒めたい、色鉛筆、クレパス、上履き入れ、ピアニカ、給食マスクなど細々したものが学校生活を送るためには必須なのだ)、新しく上履きを買いそろえるくらいで大丈夫だった(去年の上履きはやはりサイズアウトしていたので)。

いっぽう、下の子がお世話になる保育園の方は、ほとんどメンバーは変わっていなかったので、手続きはスムーズにいき、登園日を迎えることができた(でも国際電話は必要なんだよね)。

小2の長女も、年長の二女も、先生はかわっていても、お友達は基本的に去年と同じなので、「はじめまして」ではなく「ひさしぶり」という状況で迎えてもらったようだ。

長女は初日の感想を「一言でいうと、緊張」といい、二女は「ママ、野菜ってほんとはおいしいんだね」と給食に感動したようだった。


アメリカでは弁当持参なので、結局のところわたしのレパートリーを出ないわけで自分の限界を感じる。

給食とは、まこと素晴らしいシステムで、野菜や肉や魚をバランスよく食べることを知り、プロによって子どもにちょうどよい味付けがなされ、しかも、野菜をおいしく食べられることを知り、舌がその味を覚え、ひいては食育につながり、いつか自分が作る側になるときにも役立ち、さらにいえば、食の内容そのものだけでなく、食にまつわる作法(お給仕や配膳の仕方)を学ぶこともできる。

最強である。

このシステム、誰にとっても得しかもたらさない。

日本の給食、最強。


当たり前に受けてきた給食文化だけれども、外国に在住し、そこで我が子が教育を受ける立場になると、日本の教育の特異性というのは確かにあるな、と感じるのである。

アメリカでは「食は平等であるべきだ」という考え方はない。宗教が異なって食べられないものがあるという状況を除いても、貧富の差があるのは当たり前で、食べるものに差があるのは当たり前である。

金持ちは、わざわざオーガニックスーパーに行き、普通のスーパーの3倍の値段でキャベツを買うのである。イチゴを買うのである。牛乳を買うのである(大抵そこには貧しい国に暮らす子どもにお金を送る”遠隔地里親”になりましょうというNPO団体が必ず待ち構えている、必ずだ)。

貧しい人はそんなところには近寄らない。わざわざ高いものを手に入れようとはしない。どれだけ安く手に入れられるかに心を砕く。

しかし、日本では「少なくとも子どもは食を平等に与えられるべき」という考え方が浸透しているように感じる。昨今よく耳にする「こども食堂」の動きもそのひとつだろう。

富める子も貧しい子も、安全でおいしい食事を摂るべきである、とこの国の人はひとかけらの疑いもなく信じているようにわたしには感じられる。どれだけ予算が足りなくなろうとも、「給食をやめて、弁当持参にすればいいじゃないか」とは誰も言わない(横浜の中学校では一部あるようですが)。

++++++

去年は学校に通うだけで精いっぱいだったのだが、今年はクラスメイトのおうちにお呼ばれしてもらうなど、去年とは違う広がりを見せており、子どもはどんどん「土地の子」になっている。

学校に行くだけでは、友達と会うのはその場限りであるわけだ。しかし、休みの日、もしくは放課後、友達と行き来すれば、「わたしたちお友達だよね、そうだよね、ルンルン♪」という気持ちになれ、ここがもっと好きになる。自分の場所になる。それを人は居場所と呼ぶのだろう。居場所はひとつでも多い方がいい。

そんなわけで、わたしは、本人の興味と合致して、料金が見合えば、地元の習い事に通わせるようにしている。わたしが今回選択したのは、習字、ピアノ、体操教室。そこで出会う友達にも影響を受けている。

また地元のお祭りなどにも、なるたけ連れていく。地域の行事にも参加する。そういう情報収集を怠らない。

学校と自宅以外の場所に連れ出し、この土地の子がするように行動してみる。もちろん夏の間だけだ。けれども、お客様感がなくなると、あら不思議。ここがもっともっと「自分の場所」「わたしの場所」になっている。わたしはそういう場を提供するマネージャーのようなものだ。場を整えてあげるのがわたしにできる彼女らへの価値のひとつだろう。

現地校と補習校と一時就学(体験入学)の学校。

彼女らにとって、三校が母校となっていくのはどういう心持ちなのか、日本でドメスティックに育ったわたしには到底予想はつかないが、わたしにできることは教育のチャンスを与えることと、そこでつながっている人々と離れている間もつながり続けることだろうと思っている。

わたしが心して努力していることのひとつに、連絡帳がある。学校の先生との唯一のコミュニケーションといってもいい連絡帳。わたしはここに、ちょうどよい温度で(ここが大事なところ)、娘の個人的な情報、先生への感謝、日本の教育の良さ、そして弱点、アメリカでの教育について、少しずつ書くようにしている。毎日である。

1ヶ月もやり取りすれば、相当な情報量である。

先生によっては、アメリカの教育事情にとても興味を示したりもする。

今年の先生には「この連絡帳を読むのが、実際、自分の楽しみになっていました」と言われた。ありがたいことであった。

++++++

両親のどちらかに日本のルーツがあって現地校に通う子どものなかで、実際に子どもを補習校に通わせる親は、予想よりもずっと少ない。

だから補習校に通わせているだけで、日本語教育を「ものすごく」頑張っていると思われがちなのだが、それは井の中の蛙で、実際に日本の小学校に(一時的にせよ)通わせてみると、補習校だけの勉強では不十分であることを痛感する(去年は小1で内容が簡単だったので気付かなかった)。


例えば、算数の文章題。

文章から意味を読み取って式をつくる。日本語の文章を読み取る力は、補習校での学習だけではなかなか身につかない(少なくともうちの子の場合は)。計算自体はできても、日本語の文章を正確に読み取って、式にあらわすのには、やはりコツが要る。

また娘は「テープ図」の意味がわからず、先生に手を挙げて聞いたそうだ。確かに現地校でテープ図を使って算数を考えたりはしない。(わからないことを手を挙げて聞くことができるようになった娘に感動もひとしおだけど)

国語では『スイミー』をやっているのだが、ひとつの物語にさく時間数が(補習校よりも)圧倒的に多いので、例えばスイミーの理解度は圧倒的に深い。

また、そこで使われる漢字を自分のモノにしやすい(何度も触れ何度も書くので)。

宿題は毎日出るので、毎日机に向かう習慣が勝手につくられる(娘の通う現地校では月曜日に一週間分出され、金曜日に提出するスタイルなので、我が家では特定の曜日にしか宿題をしない形になってしまっている)。

現地校でプリントに直接書く宿題はあっても、また補習校でドリルに直接書く宿題はあっても、教科書やドリルを見ながら「ノートに」解いていく方法は習っていないので、日本の子どもたちは小学校低学年にして授業をノートにとっていく方法を学んでいる、などの発見があった。


それはもっと考えてみると、先生の質の違いもある。

補習校に通ってわかったのは、文科省から派遣されている先生がいるにせよ、彼らが実際の授業をすることはないということである(彼らはもっと高い位置、校長であるとか指導主事であるとか、そういう立場なのだ)。

つまり教壇に立っているのは、誰かの親であったり、主婦であったりする。

そしてその人たちは(一部、過去に教師をしていましたという人もいるが)、プロの授業の仕方を実際には知らない。授業がアップデートされていないのである。

これは授業に大きな差を生んでいる。

娘はこう言った。

「今、教えてくれてる先生の授業はすごくわかりやすい」

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