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誰に頼まれなくてもやっていること

本記事は、米国オレゴン州ポートランドを中心に毎月発行されている日系紙「夕焼け新聞」に連載中のコラム『第8スタジオ』からの転載(加筆含む)です。「1記事」150円~200円。「マガジン購入」は600円の買い切りとなり、お得です(マガジン購入者は過去記事も未来記事もすべて読めます)。ひと月に一度のペースで配信されます。

わたしには、春の時期に必ずやっているフィールドワークなるものがある(といってもまだ2年目、今後も続けていく予定)。

それは現地校に、日本から派遣で来ている先生に取材をすることである。

その主目的は「日本とアメリカの教育現場はどう違うか」についてのディスカッションだ。

と書くと、たいそう大儀な、居丈高な雰囲気を持つが、なんのことはない、教育という観点をずらさない世間話をするのである。

どんなに小さなことでもよく、というより、小さな気付きであればあるほど、その話はカラフルになり、とたんに面白くなるからほんとうに不思議。

小さな情報ほど役に立つ。そう思いませんか?

取材を申し込むとき、たいてい先方は「あなたのお子さんについて聞きたいんだろう」と推測するようだ。

「うちの子の日本語力はどうか」とか、なんなら「日本語を教えてほしい」とか。

しかし、わたしは「木」の話には興味はない。

うちの子どもの個人的なことを聞きたいわけではない。「森」の話に興味がある。

日本とアメリカのふたつの場所で(しかも小学校という低年齢教育のなかで)教師的立場をやったことのある人など、数少ないだろう。それら両者を経験した人の言葉が聞きたい。すごく聞きたい。

「日本の森」と「アメリカの森」がどう違うのか、そこをディスカッションしたいのだと伝えると、先方の顔色が少し変わる(この人の目的が読めないって思うんでしょうね)。

その昔ラジオディレクター、現在ライター業・AIのための翻訳業という雑食な仕事をしているにせよ、わたしは教育現場を教師という立場から見たことは一度もない(せいぜい大学時代にやったアルバイトの塾講師くらいか)。

日本で「子ども」をやったわたしが、アメリカで「親」をしているわけだが、わたしに欠けているのは「教師的視点」であろう。

ゆえに、わたしは教師という視座から、この学校が、ひいてはこの地域が、もっといえばアメリカがどう見えているか、日米の教育思想はどう違うかにたいへん興味がある。

アメリカは広く、すべてを語ることなんて誰にもできない。もちろんわたしにも。

アメリカの教育について書かれている本も数限りなくある(わたしも本との出会いがあればどんどん読む)(今読んでいるのは「子供が見てきたアメリカ」黒須茂 著)。

でも、そういう本が何千冊あろうと、このささやかなコラムを加えることにためらいはない。

個々人によってのアメリカを語って何が悪いだろう。

わたしはひとりひとりの体験談に強く惹かれる。インターネットの台頭によって、ひとりひとりの意見が色濃く見え、そしてそれを拝見できるシステムが確立したことは大きい。膨大な情報の海を泳ぐのは、わたしは嫌いじゃない。

そして長くいる人には見えない景色が、インターンで来ている彼・彼女らには、くっきりと見えていると感じる。

日本の教育現場にいる人が、ある日突然アメリカの教育現場に放り込まれるわけだから、そのカルチャーショックたるや大きい。

しかし、そういうときこそ言葉を語る絶好のタイミングであろう。

この土地に住んで3年目のわたしは、だんだんにこの土地に慣れ、土地の人になってきた。

以前に感じていた怒りやショックや驚きは経年とともに「ま、そんなもんだろ」と受け入れる度量ができてしまい、以前は鮮やかだった景色が今や平凡な色にくすんでしまった感はある。

その分暮らしやすくはなったが、書き手としてはどうだろう。

鮮やかに見えているうちに記録する必要があるんじゃないか。この世には「今しか書けないもの」であふれているようにわたしには見える。

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子どもが通う学校は、バイリンガル・バイカルチャー教育を掲げているやや特殊なパブリックスクール(公立校)で、この市には七ヵ国語(スペイン語、アルメニア語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、日本語、韓国語)のイマージョンスクールが取り揃えられており、我が家は日本語と英語のバイリンガル学校に通っている(折々に触れて書いているイマージョンスクールについても、いつかがっつり書きたい)。

近年、チャータースクールやマグネットスクールやプライベートスクールが台頭してきているなかで、パブリックスクールのレベルの低下が懸念され、その結果、“特徴”をもつことで生徒を引き寄せようとしてイマージョンという特徴に市の教育委員会が目を付けたのではないか、というのは、この地で教育関係者として働く友人の見立てである。

なるほど、そうでもしないと、パブリックスクールのレベルは次第に下がっていくのかもしれない。アメリカで暮らす親は、やたらと学校の評価を気にするし、それによって発生する引っ越しも厭わない。

そして子どもを転校させることに、とりわけフットワークが軽い。

「苦手な友達がいる」という理由から、「この学校はアカデミックすぎる」(つまり要求される勉強量が多い、宿題が多い)という理由まで、転校の理由はさまざまだが、「そんな理由で転校!?」と、わたしは面食らってしまうことも少なくない。

日本では美徳とされている「耐える」という美徳は、アメリカにはそもそも存在しないように感じる。合わないと思ったらすぐ環境を変える(義務教育のなかで学校を転校しなかった人の割合を調べてみようと思いながらまだやれていない、きっと日本より少ないはずだ)。

アメリカは生徒の人数によって予算が配られるらしいから、生徒の減少は学校の存続危機や教師側の雇用危機にも直面するわけで、わたしが住む市は、そうなる前にイマージョン教育を掲げたのであろう。

これは今のところあたっていて(わたしも吸い寄せられた一人である)、我が学校には遠方からの越境入学者も少なくない。

そして、この学校はひらけた校風で、あらゆるインターンを受け入れる。

それが1ヶ月でも、1年間でも、2年間でも。

そんなわけで、わたしは毎年、さまざまなインターンの先生に会うことができるのだ。

インターンの先生は、低学年、高学年などに分けられ、平日毎日朝から晩まであらゆる学年にアシスタントに入る。

うちの娘は二人とも、今回インタビューを受けてくれた、ある先生にたいへんお世話になっている。


この先生とのインタビューはたいへん有意義で、開眼の連続であった。

取材というのは、やはりやってみるべきである。収穫が大きい。

日米の教育の違い、働く先生の違い、どちらにも良い点・悪い点があり、考えさせられるものがあった。

平均を上げることに苦心するのが日本の現場で(つまり落ちこぼれをつくりたくない)、個性を伸ばすことに重点を置いているのがアメリカの現場。


インターンの先生は「落ちこぼれていく生徒をどう底上げするかについて心を砕かないところがいかにもアメリカらしい」というコメントをした。

それは先生の責任ではないのだろう。

なるほど、ボランティアで入っているわたしが感じるところと一致している(できない生徒をできるようにするために時間を割かないと感じる)。

先生は日本の教育現場に疲弊し、限界を感じて、このプログラムに応募し、参加したとのことだった。

だがしかし、わたしの心を捉えたのは「一年間無給で来ている」という事実であった。

つまり完全なるボランティアだ。

一般にお金が発生するから人は動く。〆切までに仕事をこなす。けれどもお金を発生させなくとも、誰に頼まれなくとも、彼女は自らの意志で、過去に貯めた貯金でアメリカに来て生活して、そして教育現場で立ち働いている。一年間も!

彼女に勤務時間を聞いてみた。平日5日間、朝8時から午後3時まで。

キンダーから小学校低学年までのあらゆるクラスに、アシスタントとして入り、決して聞き分けの良いとはいえない、あの時代特有の扱いにくい幼な子たちと文字通り朝から晩まで接して格闘して、それで「無給」。

わたしは驚いた。言葉もない。しかし先生は、もちろん「無給」であることも承知で、このプログラムに参加していた。

「まあ、いうならば、一年間の刺激あるお休みを頂いたような気持ちですね」

爽やかな言葉に、わたしのなかの何かが弾ける音がする。でもその音が何なのか、わからない。

先生は続ける。

「日本で学校の先生をしているときは、安定していて福利厚生もしっかりしていて、これで定年まで勤めあげればよいって考える自分もいました。でもわたしは、たまたま勤めていた学校の閉塞感に耐えられず、抜けようと思った。あのときお金に囚われることから飛び出た気がしています。お金のためと思って働くと限界があります。際限なく我慢をしてしまいますから。この夏に日本に戻って、もう一度教育現場に戻ることは今のところ考えていません」

彼女の話を聞きながら、わたしのなかで弾けた音の正体を考える。

弾けたのは、お金のために働く自分だった。それはわたしの弱点だった。

前職と同じくらいお金を稼げない自分を認められず、認められず、認められず、苦しんでいたから(今もその途上にいる)。

お金は結局のところキャリアで、キャリアは自分を裏切らないひとつだとわたしは今も頑なに信じている。

「お金=成果=自分の能力」という図式から抜けられない。

けれど、その信念を突き詰めるとどうなるかというと、稼げない自分は「へぼい」である。「かっこわるい」「認めがたい」である。

己に対して「自分はこのままでいい、自分であるだけで充分に価値がある」と思えないのは結構しんどい。

少しずつ仕事を積み上げ、なんとか仕事と家庭を運営していても、それでも過去の自分に打ち勝てないことは、わたしを打ちのめすには充分だ。

ここは自分のキャリアが通じる日本ではなく、異国の地アメリカなのに、それでもわたしは過去の亡霊と闘っている。


なぜ、お金を稼ぐということの軸ばかり自分の中で大きいのか疑問に感じる。先生のようにお金のためではない生き方にシフトできないのか、と問うてみる。

ほかの軸で総合評価すればいいじゃないか、とも思う。

子どもを育てている、仕事もしている、ボランティアで貢献している、地域社会とも付き合っている(ボランティアをする自分など、過去の自分からは到底考えられない)(わたしはパブリックマインドが低い)。

でも、それを自分で主張することはどこか言い訳がましい。

自分を評価するのは他人で、わたしではない。

わたしは過去の自分と闘う以外知らない。

過去の自分を越えない限り、わたしはやっぱりわたしを認められない。

その軸がお金じゃなくてもいいのに、お金の存在があまりに大きい。大きすぎるのだ。

目の前に座るインターンの先生は、わたしより年は6歳ばかり下で、自分の意志で、無給で、誰に頼まれなくても外国に来て朝から晩まで働いている。

わたしは彼女が眩しい。お金がもらえずとも、朝にはシャキッと起き、通勤し、教室で生き生きと立ち働く彼女がとても眩しい。

そして「お金のために働くことを抜けたかった」という彼女が、雲の上にいる人のように見える。


自分のもがきを正直に話した。わたしよりも幼いこの人に、わたしは一体どうされたいんだろうと思いながら。

前職を超える年収を稼げない自分を認められない苦悩について。「もっと稼げないのか、もっと稼ぎたいのに」というループから抜けられない自分のもがきを。自分が無価値であると感じるとも。

彼女はじっと聞いてくれた。あのときの彼女の、こちらをまっすぐに見据えてくれた目の光を今でも覚えている。しっとりとした、凛とした、静かな光だった。

そして最後に「でも、もう抜けているようにもみえます。進む道が見えてらっしゃるようにみえるから、たぶん大丈夫です」と一言、いった。

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