誰に向けて?わたしに向けて。世界のどこにいたってそれは意味ある遠回りになる。

たいへんご無沙汰をしております。突然ですが、長きにわたった葛藤、諦念、修羅場の末にロサンゼルスに移住しました。

これまでは、その場所発というように、東京発、ボストン発、また東京発、というようにブログタイトルの冒頭を変えてきましたが(これはわたしが他ブログで書いたものを編集して転載しております)、ロサンゼルス発とつけるのを、やめました。世界のどこにいようとも、自分の今ここ、が世界の中心なのだし(もちろんわたしにとって)どこにいても、山の頂を目指すことができるはずで、どんな遠回りも、それを目指す道筋になる、いつか人生を振り返った時、わたしはどの通った道も意味があったなと思うだろう、だから意味ある遠回り、と名付けています。ややこっぱずかしいタイトルだけれども、名付け続けています。よければ、お付き合いください。

アクセス数をみると(何ヶ月ぶりにここを訪れたでしょうか、なんと半年ぶりでした!)半年も放っておいたのに訪れてくれる奇特な人がいます。ありがとう。誰かはわからない。けれど、訪れてくれる人のために、そしていつか未来のわたしが、35歳の決断を振り返るときにここを読むだろうから、未来のわたしのために、この半年に起きた出来事を綴っておこうと思います。

わたしにとって、東京は大好きな職場と信頼できる保育園によって支えられていましたので、その保育園の方に向けたメッセージを基に書きます。

お元気ですか。

4月に入り、新しい園児さんの入園や進級したての新鮮なクラスで慌ただしい毎日をお過ごしのことと存じます。保育園の皆さま、お変わりなくお過ごしでしょうか。

お元気に過ごされているといいなと思いながら書いております。

もっと早くに連絡をせねば、と思っておりましたが、何かと気ぜわしかったり、年度末に連絡するのも気が引けたりで遅くなってしまいました。わたしの怠惰によるものです。もし、どこかで気にかけて下さっていたなら申し訳ありませんでした。

少し長いメールになる予感がしますので、お時間のあるとき、心に余裕があるとき、ご覧頂ければ幸いです。

私たちは、1月29日、既に2ヶ月以上も前ですが、トランプ大統領令で混乱するアメリカに入国しました。ビザの問題で家族が離れ離れにならずに無事に入国できるかと心配しておりましたが、結果として問題はありませんでした。一方で、入国できなければわたしは日本に強制送還されることとなり、それはそれでよい、という気持ちもどこかでありました。ご存知のとおり、わたしは移住にポジティブではありませんでした。家族分断の末路として選ばざるを得なかったというのが正直なところです。

話は戻って、空港のデモ、デモ、デモで、トランプ大統領への怒号が飛び交い(もちろんそこにトランプはいないわけですが)、空港は混雑の極みで、大荷物を抱えて前に進むことはできず、子供たちにも恐怖の色が目に浮かび、私たちも為すすべはなく、途方に暮れ、という状況でした。わたしは初めてこの目でデモを見、デモのなかを歩くという経験をしました。凄まじいパワーの巣窟です。人の怒りは行動となり、声となり、政治に届けられるのですね。

話は逸れますが、わたしはアメリカに格別の思い入れはありません。自由の国、ダイバーシティの国、サラダボールの国、それを礼賛し、そこに入りたいという欲(例えば学位留学したい、アメリカでビジネスをしたいなど)を特に持たずこの年まで生きてきました。(留学に多少の憧れはなかったかというと完全なゼロではないけれど、張り切ってすべてを費やして勉強してというほどの覚悟もなかった)わたしの周りにいる、世界を知りたいから、アメリカで働きたいからという野望・希望をもってここに来た人とわたしの温度は、だから違います。だから、アメリカはこうあってほしい、こうあるべき、という願いも特にありません。デモを通してみたアメリカ社会は、アメリカに夢を見た人が裏切られた行動だと思いました。

空港を出て車にたどりつき、車に積み込みきれない荷物(スーツケース3つとダンボール2つ、それに子供たちそれぞれのチャイルドシートがあるためにパンパン)を何度か入れ替え(まるでテトリスみたいでした)、出発し、アメリカの家にたどり着いたとき、なんという国に来てしまったのだろうと思い、疲労感と暗澹たる気持ちでいっぱいでした。この国で、トランプ政権の中で、家族を守り、暮らしてゆくしかないのだな。それが私たちのスタートでした。

私たちが住んでいるのは、カリフォルニア州ロサンゼルス郡グレンデール市というところで、ここは、韓国人とアルメニア人が多く住んでいる、やや特殊な街です。(特殊だと思っているのは私だけかもしれません)(アルメニアという国がどこにあるか、まったく知りませんでした。ここに来て調べまして、トルコの横にある国だとわかりました)グレンデール中心街の公園に、いま、話題の?慰安婦像が設置されており、そこを通るたび、かつての日本と韓国での歴史的問題を現在のわたしに突きつけられているような気持ちになり、やや緊張します。日本人であるわたしは、わたしが何かをしたわけではないにも関わらず、元から恨まれているのではないか、その恨みにどう向き合えばいいのだろう、子供たちにも何か危害が加えられはしないか、心配になってしまうからです。

アメリカは移民の国ですが、移民が各地域で混ざり合うというよりかは、何々人はAに多く住む、何々人はBに住むというように、ここかしこでコミュニティが形成されています。わたしはここで韓国人の友達を作るのがひとつの目標になりました。ボストンにいる際、仲良しの韓国人のお友達ができました。彼女のような友達ができたらいいなと思っています。

また街の看板には、英語と韓国語とアルメニア語での表記がなされており、驚くべきことに韓国語がなくてもアルメニア語表記はだいたいあります。例えば看板、例えば病院内の案内!アルメニア語というのは、いわゆる中東のような、ヒョロヒョロとした文字です。もちろんまったく読めませんが、街を歩くたびに、その2ヶ国語に圧倒され、自分が異国人、エイリアンのような気持ちになります。日本はかつては栄えていた、経済的進度の高い国として注目されていたでしょうが、今はスイスのような立ち位置にある国ではないかと思います。成熟してしまった国。文化の国。私たちはそういう印象をここに住む(私たちにとっての)外国人に抱かせているのではないかと感じるのです。

子供たちの行く先も見えました。日本ですと、住民票があれば該当公立小学校のハガキが来て、入学式に備えますが、アメリカは公立であれ私立であれすべて自主的に行動し、学校に入学を申し込まなければなりません。どこまでいっても自主性が必要となるわけです。(アメリカではシステムがわからないから情報不足だから小学校にさえ行ってないケースは貧困層ではかなりあるのではないかと推察します)アメリカで生きてきた一般的アメリカ人にはこれが普通なのでしょうが、日本でしか教育を受けていない私たち夫婦にとってはすべてが初めての連続です。どこで情報を集め、どこに行って申し込みをするか、どんな書類、手続きが必要かなど、毎回が初めて!非常にくたびれますが、教育が受けられないと困りますからこちらも必死です。上の子は、8月からアメリカの公立小学校に入学します。アメリカの小学校は(州によって異なる可能性はありますが)一般的に、日本の年長から6年生までの7年間です。全科目、英語と日本語の50対50で進んで行くイマージョンスクールに無事通うことができそうです。(健康診断と歯の健診とひとつ予防摂取が残っています。予防摂取は日本よりアメリカの方が回数多く打ちますし、間隔があけばまた打つ必要があります。当たり前ですが日米で基準が違います。それを体に入れて学ぶのもひと苦労、笑。)上の子は、面接を受け、日本語レベルを確認され、基準に達したということで、そのあとロッタリーに進み、抽選にあたり(イマージョンスクールは入学に人数制限があるために抽選があります)、入学が決まりました。なかなか長いプロセスです。学校は8月中旬から始まります。なぜ、半端な時期からなんでしょうね?笑。入学式は当然ないでしょうね。アメリカの小学校卒業式は一体どんなものだろうか、想像したりしています。小学校の卒業式、そもそもあるのかしら。

下の子ですが、保育園をふたつまわりました。ひとつは夫の職場近くの保育園、もうひとつは自宅近くの保育園。先生方に面談でお伝えしたこともありますが、アメリカの保育園はどこも非常に高いです。学年にもよりますが、ひとりひと月15万から20万します!!驚愕ですよね。そしてそのふたつはなんと定員いっぱいでした。そんなに高くても定員いっぱいなんですね!勘案した結果、自宅近くの保育園に申し込みをし(しばらくウェイティングリストでしたが)上の子と同じ8月から通うことが3日前決まりました。やっと胸を撫で下ろし、安心することができました。ここまで来るのは長かった。

下の子は2月、後頭部に5円玉くらいのハゲができ、子供なりにストレスを抱えているのだろうと心配しておりました。私でさえ鬱々として過ごしていた時期もありましたので、そりゃストレスも大人よりも深いだろうとも思っていましたが、まさかこんな形で現れるなんて。病院に行くべきか(といってもアメリカの医療システムは日本とまったく違い、まだ分からないことも多いのですが。だから行くのが億劫になります、システムの面からも、請求金額の恐さからも)悩んでいましたが、日にち薬なのか、ここ最近、ハゲのところから数本髪の毛が生えている様子があり、その点も少し安心しました。色々ありますねぇ。

保育園の話は折に触れて子供たちとしています。〇〇先生元気かなぁ、〇〇ちゃん、〇〇くんはどうしてるかなぁという風に。保育園での日々が今のわたしたちを支えてくれています。なんという存在の大きさでしょう。私たちはもうそこの園児ではありませんが、心の中にある大きな場所です。今でも。

ロサンゼルスは広大な土地で、考えてみればカリフォルニア州は日本国土の1.1倍の面積ですから、それは広大にならざるを得ないのですが、そんなわけでここでは車が必要となります。歩くように車に乗っているような印象さえ受けます。我が家は一台ありますが、平日は夫が職場に行くために使うので、私たちは車なしとなり、行ける範囲が限られることが今の問題でしたが、先日ウーバーというシステムを使いました。ウーバー知っていますか?(ドイツ語?のため、書けない)これはタクシーなどの事業会社ではなく、個人が空いた時間に自家用車でタクシーになることができるのです。個々人の責任において乗車します。こわごわ乗ってみたところ、日本に行ったことのある気さくな運転手さんで、perfumeの「ちはやふる」をかけてくれたことにたいへん驚きました。良い運転手さんでした。レビューで星5つつけたかったですが、そのためには新たにアプリをダウンロードしなければならず、わたしのiPhoneは容量オーバー気味でダウンロードの余地はなく、星をつけることができませんでした。運転手さんに罪はないのに、ごめんなさい。

今日2回目のウーバーに乗りました。ここは陽射しが強く、上の子は屋外よりも屋内を好みます。下の子は断然アウトドア派で、公園に行きたがります。公園は、日本のものよりも、圧倒的にアメリカの公園が好みですが、問題は最も近い遊具のある公園が片道徒歩25分かかることです。なかなかの距離です。そこは遊具も豊富な素晴らしい公園で満足していますが、25分の距離を毎日往復する気にはなれません。カリフォルニアは車社会ですから、公園に子供を連れて行くだけでも車が基本なのでしょう。ボストンや東京で子育てしたわたしには到底信じ難いわけですが。そんなわけで、上の子と下の子の帳尻を合わせて、室内遊び場に行くことを考えつきました。屋内だし、遊具もあるだろうし、こりゃ名案だ!とそう思ったわけですが。。

結論からいって、ウェブサイトにはオープンと書いていたにも関わらず行った先は、クローズでした。こんなこともあろうかと行く前に勇気をもって電話したのですが、機械録音が流れるだけ。行けばなんとかなるだろうと思ったのが甘かったなぁ。ウーバーに乗って、降りた先で途方にくれる親子3人。しょうがないから施設とまったく関係のない隣の会社に入り、「隣の施設閉まってますが、何か知りませんか?」と聞くも、反対側のドアから入れば?という回答。さっきそこから入って開かなかったから、逆側にまわって、今この状態なんですけどね。アメリカにいるとこういうことはしょっちゅう起きます。困ったね。なーんにも知らない街で、入りたかった場所には入れず。この街安全だよね?急に心配になりあたりを見回す。子どもはつまらなくなって塀を歩き始め、危ないなぁと思っていたら、下の子が薔薇のトゲにものの見事につかまり、動けなくなっていました。肌に刺さってなくてよかった。全部で5個くらいのトゲをスカートからはずし、ようやく解放。見事な薔薇、見事な棘。トゲを漢字で棘と書くと恐怖が一気に増しますので、片仮名表記にしました。美しいものにはトゲがある。気をつけましょう。

どうしようもないから、もう一度電話して、繰り返される機械録音に、名前と電話番号とメッセージを吹き込み(さっきは吹き込まなかった。今更吹き込んでも意味はないだろうが)、階段に座って、持ってきた水筒からお茶を出して3人で飲み、酸っぱいハイチュウを食していたら、着信音。このプレイグランドを経営している人でした。今日は開いていないこと、パーティーなどの予約で受け付けることなどを言われ、つまり開かれた有料遊び場ではないことが、はっきりしたのでした。ウェブサイト、紛らわしい。しょうがないので、街を散策し、けれども何もなく、歩けど歩けど何もなく。ようやく見つけた地元のメキシカン風なカフェに入り、アップルジュースとフライドポテトを注文し、食したのでした。そこは1967年にできた(帰ってこのお店のホームページを見たら創業50周年!!しかも明日が創業記念日らしい)ファミリーで経営している鶏をトレードマークとした店で、そこかしこに鶏の置物があるのでした。長い歴史のなかで家族で大事に守ってきた風情のあるメキシカン料理の店。(たぶんメキシカンで合ってると思う。合ってると思う率75%)上の子がトイレに行きたいと言い、こういう場合3人の組み合わせは微妙で、子どもひとりを置き去りにするわけにはいかないから、3人で連れ立って行くことになります。客がテーブルから全員いなくなると無銭飲食かと疑われかねないから、必ずトイレに行ってきますと伝えることを忘れない。トイレに行ったらあらびっくり。Women、Menやそれに類する表示はなく、hensとroostersの表示。ここは鶏がトレードマークだからこういう表記なんですね。うーん、どちらが雌鶏だったか。roostersのほうは、立派な美しい羽根を持ち、hensのほつは卵の上に乗ってはいるが、地味な様子。上の子は、美しいほうが女性用に決まっていると言ったけれど、うーん、違う気がする。ということで、hensに入る。3人それぞれが同個室で順番に用をたしながら、手元の辞書をひくと、hensは果たして雌鶏であった。よかった。最近女性用トイレに入った男性の裁判記事を読んだばかりだったから、男性用トイレに入ることは避けたかったのです。カフェで少し落ち着きを取り戻したわたしたち。わたしは川上未映子さんの本を読むなどしようとしたら、やはり子どもは読書はさせてくれない。(読書は閉じる世界を感じさせるから嫌なんでしょうね、親に世界を閉じられるのは止めなければと思うんでしょうね)りんごジュースとフライドポテトを注文して、完食。

帰りのウーバーでは、子どもふたりの、小さなことがきっかけとなった小競り合いで険悪な雰囲気に。ウーバー運転手さんは、途中でガソリンスタンドに車を止め(え?業務の途中なのに客を乗せたまま降りるの?このウーバー安全なの?気を利かせて何かを買いに行ってくれたとしても、そんな気遣いは恐いんだけどなと混乱してました)、なんと子どもたちそれぞれに、m&mのチョコレートとキャンディを買ってきてくれたのでした。昨日片道6ドル弱のウーバー料金の中で、子どもたちに4ドルは使ったであろう運転手さん。なんて優しい。わたしの心配は杞憂に終わり、胸をなでおろしながらも、心のどこかで恐怖は過ぎ去りはしませんでした。なんといっても自己責任の社会ですから、ここは。わたしの判断が誤れば、運が悪ければ、ほっとする話として落着しなかったかもしれません。だからどんな出来事も考え続ける必要がある。昨日カリフォルニアのある街の小学校で銃乱射事件が起き、先生と生徒が死亡しました。小学校でさえ、戦場になる。このニュースについて複数の記事を読みました。読んでいくうちに、ウィキペディアでアメリカの学校・大学などの公的な場所での無差別銃乱射についての一覧を見つけ、一読しました。忘れもしない大阪の池田小で起きた無差別殺傷事件のような事件が、ここアメリカでは列挙できないくらい多く起こっていました。段違いの多さです。自由(いま、アメリカはそれを手放そうとしているようにみえますが)と危険は常に隣り合わせです。自由で平和、というのはおとぎ話の世界くらい、遠いユートピアなのだと、わたしはこの国に暮らして感じるのです。そんな世界の中で、毎日のように悲しいニュースが届くなかで、恐怖心を伴ったけれども、誰にも届かないようなこんな小さな優しさが今日ここに存在したことに、子どもがその出来事に直接触れたことに、わたしは感謝したい気持ちでいっぱいになるのでした。差別は誰の心にもあって、拭いきれない性分で、そんなことは誰でも知っています。人間は比較してしまう動物だから、比較して安心したい動物だから、差別はなくなりません。たぶん。でも、心のどこかにそういう気持ちや意識があったとしても、行動としては、対等に、平等に、目の前にいる相手をリスペクトして行うべきであると冷静な頭があるなら、人は仲良く暮らしていけます。この運転手さんは、わたしに一瞬だけ恐怖心を与えたけれど、彼の優しさを私たち親子は、これから折に触れて話していくことでしょう。なぜなら、優しさに触れたら誰かに話したくなるし、いつかは自分の行動につながるなどして、伝播していくからです。大したものは持っていなかったけれど、カバンに入っていた新しいリンゴジュースとハイチューを渡して、わたしたちは別れたのでした。彼は喜んでいました。上の子は、ギフトを渡せたことを嬉しく感じていました。差別がある社会の中で、人種や国を越えて心が触れ合う機会を持つことは心に灯火をもたらします。小さな出来事だけれど、わたしはこの出来事を体験できたことは貴重だと思うのです。

広大な分、人に会うときは車が必要となり、それは詰まるところ知り合いと気軽に会えないということですから、俄然、日常生活は孤独になります、が、その分家族としての団結が勝手に増していくので、それはそれで人間万事塞翁が馬です。孤独と団結は表裏一体なんですね。意外な発見でした。日本語を話す人にもめったに会いませんから、私が子供と道端で何か話していてもそれはまず誰かに理解されることはないので、たまに過激なことを言ってしまったりし、アメリカなら皆に理解されないから許されるけれど、ここが東京なら発言の前に慎まなければと思ったりします。

また先日、イーストロサンゼルスという、治安の悪い街を車で通っている際、「イエスは世界を変える」という紙を交差点で持った人たちを複数見ました。普段は働いているのかもしれないけれど、わたしの目には職を持っているようには見えず、神に祈ること、不満を紙に大きく書いて立つことで、事態を変えようとしているように見え、複雑な気持ちになったのでした。いつだって何かを変えるのは行動です。祈ることも紙をもって意思表明することもあってよし、だろうけど、たぶん何かを変えることには、遠い。行動を起こして、ポジティブにぶつかっていかなければ、自分も相手も変えられはしない。わたしはそれを自分に言い聞かせました。ともすればわたしは、誰かのせいにしてしまう、何かのせいしてしまう、時代やタイミングのせいにしてしまう、弱いところがあるからです。人のふり見て我がふり直せ、とはこのことです。治安の悪い街を安全に運転することにばかり注意がいきそうになっていましたが、無事通り終えたことだけでなく、そこでしか出会えなかったであろう光景があり、この光景に出会ったことで、自分の悪い癖に気付くことができて、よかった。わたしは行動してからものをいう人間でありたいと、人生で何度目かわからないが、また強く思ったのでした。

子供たちはしばらくは家族以外に所属する場所を持たないまま進んでますが、その分友達と会いたくなったり、友達を作りたくなったりしてさびしくはないだろうかと気に病んでおりましたが(気に病んだところで解決策はないわけですが)、とりわけ母親と一緒にいたいという気持ちの強かった上の子にとっては、ママとたくさんいられることは嬉しいようです。こんなママなのにそんな風に思ってくれるなんて僥倖。

0歳児、1歳児、2歳児の育児は、コミュニケーションもままならず、孤独感満載ですが、3歳児と5歳児との3人きりの生活は、会話も成立し、3人でのぎゅっとした結びつきの強い時間となり、嫌いではありません。一日に一度外に出ないと息が詰まりますが。笑。それは日本でも同じでした。

上の子は、仲の良かったYちゃんやAちゃんに手紙を書くなどし、すでにエアメールをしている5歳児。下の子は字の読み書きはまだできませんが、お箸が使えるようになり、進化を遂げています。上の子が自主的に学校の先生となる学校ごっこをしてくれ、わたしと下の子にひらがなや数字の授業をしてくれます。なんと、ありがたい。

夫はこの地で、やりたかった仕事をしており、離れ離れとなっていた家族と合流し、満たされた顔をしています。東京での、無所属感による不安不満な表情とは打って変わって満足そうで、それは結構なことです。

わたしは子供たちが学校に通いだしたら仕事を探さなければ、と思っています。英語の学校にも通いたいです。できれば英語を使った興味のある授業をとりたい。ときどき英語がぴたんと通じて自分の欲しい情報が手に入ると、嬉しいものですね。東京で時間をぬって、英語学校に通っていた甲斐がありました。会社の食堂やモスバーガーで宿題をやっていた日々が懐かしいですし、やってよかったです。日々はダイナミックではありませんが、小さな喜びを大事にし、小さな成功を家族で喜び、少しずつ進んでいます。そういえば、下の子はオムツがとれ、パンツを履く人になりました。

また保育園で得た子供を通じた親御さんとの関係も、持続しているところもあり、それがわたしの支えにもなっております。たいへん長くなりましたが(びっくりするような長文ですね!)、こちらでの生活をお伝えさせて頂きました。長くなったのに最後まで読んでくださってありがとうございます。

保育園最後の日、先生方と撮影した写真は宝物です。みな、よい笑顔でこの写真を見るたび、また頑張ろうと思います。

わたしの来たる課題は、車の実技試験でしょうか。果たして合格できるのか。

どうかお身体をお大事に、ご自愛ください。ご健康とご多幸を遠くロサンゼルスからお祈りしております。長い文章を読み返さずに送信ボタンを押すわたしをお許しください。それでは失礼します。

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ありがとうございます。
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相薗 淑子

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