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性別で決めつけられることは、こんなにも苦しい

本記事は、米国オレゴン州ポートランドを中心に毎月発行されている日系紙「夕焼け新聞」に連載中のコラム『第8スタジオ』からの転載(加筆含む)です。1記事150円~200円。マガジンでご購入いただきますと600円買い切りとなり(マガジンご購入者は過去の記事もこれからの記事もすべて読めます)、お得です。

これをコラムのテーマに取り上げるべきか否か、実はたいへんに悩んだ。今も悩んでいる。けれども、他のことを書き始めてみたものの、筆がまったく進まない。脳内のなかに住む誰かが「お前の今いちばん気になっていることはそれじゃないだろう」と言ってくる。

では、なぜ書きあぐねているかといったら、これを書くことで何かを分断することに加担しやしないか、と不安になるからである。わたしは自分の提言によって、何かを分断させたくはない。分断は本望ではない。

わたしが今回テーマにしたいのは、ジェンダー差別についてである。

先日久しぶりに会った友人にこんなことを言われた。

「女の子っていいよね。
 男の子を育てるより親のプレッシャーがないから気楽でいいじゃん」


実はこの言葉をいわれたのは三度目である。

まったく違うコミュニティの、まったく違う人からいわれた。いずれも、男児をもつママで(一人目:男児二人の母、二人目:男児女児の母、三人目:男児二人の母)、たまたまかもしれないが、全員専業主婦をしている友人だった。

目の前にいる友人に、悪気はまったくなさそうである。しかし、わたしのなかにはモヤモヤがくすぶった。日が経過しても、その言葉を忘れられず、ボディブローのように効いてきて、わたしは一体何に傷ついたのだろうと思った。

このモヤモヤは何だろう。そののち、ずっと考えることになる。

今もまだ整理がおわっていないし、考え尽くせたとはいえない。けれどもここに書くことによって、現在の思考を整理し、ここを読んでくださる皆さんと一緒に考えてみたいのである。

何に傷ついたのか。

まず、男の子を育てることより女の子を育てることの方が楽だと線を引かれている気がしたことが一つ目である。

だって、そんなこと比べられないのに。実際によく聞く話ではある。

男の子のほうが病気をしやすい、ケガをしやすい、体力があるから育児が大変。これすべて真実であろう。これすべて男児を持つ親の嘘偽りない実感だろう。

しかしながら、わたしには体験が伴わない。体験が伴わないことは正直わからない(わたしは女児の母)。男児を育てることと女児を育てることを比較して、どちらが大変かを結論付けられることに気持ち悪さを感じる。男児女児のどちらを育てることが大変なのか、という疑問にそもそも意味があるのだろうか。

二つ目。女の子は将来、結婚すれば、経済の大黒柱にならなくてもいいのだから、仕事をして金を稼ぐ力を身につけなくてもいいから楽だよね、といわれたように感じたこと。

これって女性へのジェンダー差別ではないだろうか。
男が働いて女は働かないと、いつ、誰が決めたのだ?

男女の別なく、働く喜びを知る人間に育てたいと思う親にしてみれば、この考え方は冒涜である。

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