『なんでもない日』に名前をつける、と7月24日の日記
そういう意味合いが強いです。このnote。
毎日更新をはじめて、はや8ヶ月。
たまたまだけど、始まったのは12月4日のこのnote。娘の誕生日の日。
「なんで書き出したんだっけ?」ってたまにふと思い出すことがあって、そのたびに、そうだそうだと納得する自分がいる。
それまでも何度か、ブログを書こうとする自分は常にどこかにいて、その度に「続けられるか?」を慎重に考えてきた。
このnoteを始める際によく読んでいた記事がいくつかあった。
その一つがこちら。
①何を書こうとか考えずに書き出す。
②10分以内で書く。別に厳密にしなくてもいい。
③結論出さなくてもいい、いいこと言わなくてもいい。
④自分のために書く
⑤見直さない
この5つの約束も、松倉さんがどこかで言っていたことで、元ソースはどこか忘れてしまったけど。
僕がマガジンの説明に引用しているもの。
更新している時は、いつも目に付くようにしているし、その都度「そうそう」って思う。
別に大したことを書く必要もない。
そもそも「プロ」じゃないんだから、商品じゃないんだから。
自分の頭の整理ができるんだったら、方法はなんだって良いの。
それがたまたま自分にとっては「書く」ということだっただけ。
この習慣はもう完全に身に染みついてしまっていて、一日にその時間を取らないと「気持ちわるい」ところまできてる。
だから、「成功」なんだとも思う。
一時期、スマホで打ち込んでいる時があって、目がすごく疲れるからPCに変えた。いずれにしても時間を決めて打ち込むので、それも軽減できた。
「立派なこと」を書こうとか、言おうとしすぎていた。昔の自分。
色々な人と会ったり、文章をよく読むようになって、そんなに人は立派じゃないってこともわかったし、完璧な人なんかいない。
上手な文章だからといって読まれるわけでもないし、人の役に立つわけでもない。詩のようなものだって、タイミング次第ではとても心に染み渡る薬になる。なんか書くものって不思議だよなぁっていつも思う。
あらためてこれからも、大したことない自分を前面に出していこうと思う。
このnoteを1年後も続けていて、東京を離れてからも自分のペースを守り、アンテナを掲げるきっかけの一つになればいいなと、今はそう思っています。
***
7月24日(水)
朝は、まどろみすぎていて、寝起きがわるかった。
珈琲豆を切らしていたので、妻へのポットサービスはなし。
自分にはお茶を淹れて、出社の準備を。
娘と一緒に、キウイにヨーグルトをかけたものを食べつつ、飲み物を飲んで、幼稚園へ。
出社の電車の中では、オーディオブックを聴く。
体の「炎症」について少し考えています。
お付き合いのある学生とのやりとりで、食生活も少し見直そうと思っている今日この頃。身体が一番の資本です。
お昼は、同僚と地下の山半へ。ちゃんぽんうどんを。野菜をたっぷり食べる。
夜は、少しゆっくりめに帰宅。娘は幼稚園から帰ってきてから少し熱っぽいらしく、先に寝かしつけれていた。冷えピタをおでこに貼って、スヤスヤ眠っているけど、身体は少し熱い。
夕飯を妻とゆっくり食べました。最近、家ではお酒を飲まないようにしてます。
FNS歌の夏祭り的な番組がやっていて、ミュージカルコラボのようなコンテンツが特に見応えがありました。変なデュエット企画よりもよっぽどこちらの方がいい番組に見える。続けて欲しい。
娘の寝顔を見ながら、よしよししながら、自分も寝落ち。
半ば確信犯的になってきたけど、まぁ10時〜2時くらいのいい時間に寝てると思うと、身体にはむしろ良いのかもと最近思えてきた笑
お風呂に入りながら、日曜に聞き逃した東京FM『FLOW』を聞き直して、木村拓哉さんと、糸井さんの掛け合いに笑いながら入浴完了。
深煎り茶を丁寧に淹れて、夜の茶事を。
心をしっとり落ち着けてから、もう一回寝ました。
こういう夜(夜中?)の過ごし方もいいです。
ぼくも誰かの応援をしようと思います!