【Episode 8】「太陽の花」ひまわりに想いを込めて。3人の明日は晴れるのか、それとも…?

#28


牧場の受付で「撮影を申請していた小野寺です」と名乗った。

ネックホルダー型の撮影許可証を受け取った時点から撮影開始とみなされ、時間に応じて料金が発生する。
ただ、撮影予定場所のひまわりがおじぎしているとの情報があったため、事前に現場の状況を見てから、撮影するかどうか決めさせてもらうことになった。

撮影予定場所のひまわり畑は、牧場そのものの敷地内ではなく、道路を隔てた反対側に位置していた。まみーご、こみー、それからベビーカーに乗せた息子と一緒に現地へ向かった。
向かった先には、軽く2mは超えるであろう背の高いひまわりが所狭しと植えられていて、その間に迷路のような小径が続いていた。

ほんの数日前までは、きっとひまわりたちは揃って太陽の方を向いていたのだろう。
しかし、わたしたちが訪れたその日は、人間を見下ろすような形でおじぎをしていた。

こみーがカメラを取り出し、ファインダー越しにまみーごとひまわりの写り具合を確認する。その作業を、何回か場所を変えて繰り返した。
写真集の素材を撮影するには、ひまわりから発せられるパワーがどうしても不足していた。

様子を聞きに来た牧場のスタッフに、撮影は見合わせる旨を申し伝えた。

残念だが仕方がない。
他に撮影ができそうな場所を探そう。

わたしたちはそれぞれ入場券を買い、牧場の中に入った。

#29

ウシさん、ヤギさん、ヒツジさん。
牧場というと、こんな顔ぶれがいるだろうと想像していた。

実際にそうしたオールスターはいるのだが、入り口近辺は花壇や軽食を食べられるお店が並び、動物たちの姿は見えなかった。

園内を散策していると、入口からそう遠くない場所に、別のひまわり畑が広がっていた。
ただ、当初の撮影予定場所のような背の高いひまわりではない。
ちょうど自分たちの膝ぐらいの高さの、こじんまりとしたひまわりだ。

迫力には欠けるが、茎はぴんとしていて可愛らしい。
まみーごがその場で思いつくままにポーズを取り、その姿をこみーがカメラにおさめ始めた。確認してみると、悪くない。
そのまま他愛のない雑談をしながら、撮影を続けた。

ようやく迎えた撮影の瞬間。
まみーごは背が高く、すらりとしていてスタイルも良いのは言うまでもない。そのうえ、どんなポーズをとっても体の見せ方が美しい。

そもそも、ひとつひとつのポーズが素人の発想ではなかった。
無難にピースとかしかできない自分とは世界が違うなと思った。
そんなわけで、この日わたしはまみーごに「あなた、素人じゃないでしょ」と何度言ったか分からない。

そして、「素人じゃないな」と感じたのはこみーに対してもそうだ。
まみーごと会話をしながら連続してシャッターを切り、何枚か撮ったあとに写真をチェックする様子は、まるで職人だ。

わたしはというと、ベビーカーから抱っこ紐に切り替えた息子を抱え、ふたりを尻目にのんきに自撮りなどしていた。
…というのを、ずっとしていたわけでは、さすがにない。
まみーごの衣装替えに合わせて服やアクセサリーを預かったり、その場をあたためるために雑談などをしていた。

どうしても空の色が気になった。
撮影開始時点では雨こそ降っていなかったが、空全体が厚い雲に覆われていた。やはり、ひまわりは青空の下でこそ映える。

そうこう考えているうちに雨が降ってきた。
わたしたちは撮影を中断し、屋根がある場所に退避した。

木製テーブルの上に、こみーが冊子をいくつか広げた。
彼が制作に携わっている冊子だ。写真集の構成やサイズ、ページ数を決める上での参考に持参してくれていた。

引きの写真とアップの写真のバランス。文章の配置や字数。
日頃から目にする様々な種類の冊子は、そういったものが綿密に計算されたうえで作られているということを、わたしはこのときはじめて認識した。
それは裏を返せば、読み手に違和感を感じさせないよう、プロの技が巧みに仕込まれているということだ。

写真集の制作は3人とも初めてだ。
初めてではあるが、可能な限り質にこだわり、良いものを作りたい。

その想いは、実際に冊子が出来上がるまで、3人の中に確固たる共通認識として流れていたように思う。

#30

園内のハンバーガーショップに移動し、昼食をとった。
すると間もなく、外はバケツをひっくり返したような土砂降りになった。
わたしたちは「いいタイミングで避難したね」と、笑いあった。

食事をとりながら色々なことを話した。
エレコのこと、コミュニティに入った動機、これからやりたいこと等。

共通の話題があること、比較的年齢が近いこと、3人という人数。
そして写真集プロジェクトのスピード感と密度の濃いやりとり。
そういったひとつひとつの要素が、会話の潤滑剤となった。

それから、事前に印刷していた3部の契約書を順番に回し、甲、乙、丙のうちそれぞれが割り当てられた箇所に署名と押印をしていった。

今どき契約書はオンラインで締結できる。契約書に自筆で署名し、押印するという行為は、だんだん廃れていく文化だろう。

ただ、それは単に今の時代にそぐわないというだけのことであり、無意味というわけでは決してないと思う。そして今回の契約に関しては、アナログな方法を踏襲したことに大きな意味があると感じていた。
というのも、ほんの数週間前にオンラインで知り合った3人が、写真集制作という共通の目的のもと、一堂に会したのだ。それも、決して短くない移動距離を越えて。
3人の自筆の署名と押印がされた契約書は、そんな奇跡のような場を見届ける証人のように、わたしには思えた。

契約書はビジネス的な結びつきを表すものだが、それとは別に「友人」として、わたしたちはモノの受け渡しをした。

撮影をしたその日は、まみーごの32歳の誕生日だ。
実はこみーとわたしと事前に連絡を取り合い、ささやかな誕生日プレゼントを用意していた。デジタルフォトフレームだ。
今後、写真集のために撮影する写真の中には、冊子に載せきれないものも当然出てくるだろう。それにもちろん、写真を撮る機会は普段から様々な場面で生じる。
その中の、お気に入りの写真をたくさんおさめて欲しいと思った。

それと、こみーから例の仲間内で刊行しているエッセイを受け取った。
表紙の内側に自筆のサイン入りだ(事前に頼んでいた)

こみーがエッセイの話をコミュニティの朝活で話した時点では、こういう形で関わり、エッセイ受け取ることになるとは思ってもみなかった。

何がどこにどう繋がるか分からない。
だから人生は面白い。

やがて雨もあがり、雲の切れ間から辛うじて青空が見え隠れするようになった。こうなったら撮影再開だ。

牧場の最奥のほうに移動すると、背丈の低いひまわりが一面に咲いていた。
午前中に撮影したひまわり畑よりも面積が広く、開放感があった。

まみーごは撮影の「衣装」となる私服を数パターン持ってきていた。
午前中とは違う装いを身にまとい、立ち姿勢や座り姿勢など、さまざまなポーズを決めた。その表情は、午前中の撮影と比べて幾分かリラックスしているようにも感じられた。

ひとしきり写真集の素材のための撮影をしてから、自撮りで記念撮影をした。まみーご、こみー、わたしと、抱っこ紐の中の息子。
ひまわり畑を背景に、4人の笑顔が咲いていた。

#31

牧場から駅に向かうシャトルバスも、例のごとく一時間に一本だ。
わたしたちはバスの発着場所へと向かった。

まみーごとこみーはバスで駅に向かい、そのままコミュニティのメンバーに会うために一緒に都内に出るとのことだった。その電車の中で、写真集に載せるためのインタビューをする算段だ。

わたしは義父の車で義実家に戻り、それから自宅に帰る予定だった。

シャトルバスの出発時間ぎりぎりまで、たわいもない会話をしていた。
何を話していたのかは、正直あまり覚えていない(笑)
朝からドタバタだった撮影がひとまず無事に終わり、安堵していたことは確かだった。

まみーごとこみーがシャトルバスに乗り込んだ。
ほどなくしてバスが出発した。
わたしたちは互いに姿が見えなくなるまで、手を振り合った。


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