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2022年真夏の大冒険⑦1泊だけの小宝島を後にして鹿児島へ戻る

海人の経験則を信じて乗ってきたフェリーの奄美大島引き返し便で鹿児島に帰ることになってしまった。
名瀬港を夜中の2時に出向したフェリーは小宝島に5時00分に着く。
まだ暗いうちに海人に起こされて軽トラックに乗せられて乗船券を購入。行きは雑魚寝部屋だったけど、4000円奮発して4人部屋で同宿のケアマネと一緒に帰ることになった。
一旦民宿に戻って朝食。持ち込んだ1ダースの缶ビールは2本だけ持って残りは宿の冷蔵庫に寄付。
そしてまた軽トラで港へ。
海は昨日よりも穏やかになっていてランプウェイ条件も付いていない。トイレ保守点検の彼も車を降ろせそうだと明るい顔になっていた。

やがて神業操船で着岸。4人部屋に2人の状態で出港。鹿児島着は18時20分、後ろ髪を目一杯引かれながら13時間超えの船旅が始まった。
来るときは初めての風景に興奮しっぱなしでほとんどデッキで過ごしていたけど、帰りは部屋に引き籠もり。PCで映画ばかり見ていた。

実質たった半日だけの小宝島だったけど、不思議な疑問も沸いてきていた。
飲食店も商店もない島、学校などの行政関係についている人はサラリーがあるけど、他の人達はどんな手段で現金収入を得ているんだろうか。謎だった。
島の周りは良い漁場らしいけど、漁協らしい建物も無いし製氷施設も見当たらないので週に2便のフェリーで魚を鹿児島に運んでいるとも思えない。さりげなく海人に聞いてみたら漁には出るけど取るのは家庭と民宿での消費分くらい、たまに釣り人のチャーターはあるらしいが漁師で生計を立てているとも思えない。
一方、フェリーの着岸時にはほとんど全員の島民が現れてロープを張ったりフォークリフトで行き交ったり、島民総出で作業をしている。もしかしたらこの労働力に相当額の補助金が落とされているのかも...。離島なりのからくりはありそうだ。
なーんてことを考えながら何度目かの眠りについた。

眠るのにも飽きて甲板に出てみると屋久島沖を通過してもうすぐ錦江湾に入る。あっという間に12時間が過ぎていた。いつも思うけど、フェリーってほとんどタイムマシンだ。

屋久島

2日前にはきれいに見えなかった開聞岳も夕暮れに映ている。
見惚れるほど綺麗なシルエットだ。このシルエットを四六時中見て育った人間と普通の里山を見て育った人間とでは、精神形成上大きな差が現れるに違いない。薩摩藩の秘密を垣間見た気がした。

開聞岳(指宿沖)

港でケアマネと別れ、予約していたビジホにチェックイン。
荷物を部屋におろして夕食探しに街へ出る。駅前イオンの地下食料品売場で薩摩黒豚弁当の見切り品とさつまあげ詰め合わせを買って明日の鹿児島空港行きバス乗り場を確認してホテルで部屋呑み。
明日は10時5分発のソラシド那覇便、8時20分のバスに乗らなきゃ間に合わないかも。

後日談になるけど、3日後のフェリーは本当に欠航になっていた。
海人の予報は大当たり。あのまま島に居座って奄美行きの便を待っていたら何泊増えていたんだろう?もちろん奄美から先の予約は全部キャンセル料金が発生して予約の取り直しだった。
改めて離島では先走って先々の予約はするもんじゃないと思った。恐るべし、海人の経験則。

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