意外

月末でもないにもかかわらず、ふと更新したくなった。


今日は、言葉について考えてみる回にしたい。




「意外」という言葉を使うとき、どんな心情で使っているのか。


なんでこんなことを言い出したのか、と思うだろう。

私は以前から、この言葉について疑問を抱いていた。

何を基準に「意外」という言葉を用いるのか。


そもそも、「意外」とは辞書的な意味では、「考えていた状態と非常に違っていること。また、そのさま。」(デジタル大辞泉より)だそうだ。


ということは、自分が思っていたよりという、何らかのラインというか、相手への印象みたいなものがそこには存在する。

言葉を選ばずに言うのであれば、「”勝手に”想像された自分が相手の中に存在し、その枠に当てはまっていない」=「意外」なのだろうと思う。



「意外」と言われるシチュエーション

「意外」と言われるまでには、ひとまず相手に自分自身の印象がある程度形成されるという段階を踏む必要があると考えられる。

相手を知ってからでないと、「意外」の出番はないのだ。


私も20数年生きてきて、形成してきたそれなりの人間関係というものがある。


その中で幾度となく言われてきた。


「お昼過ぎまで寝てるとか意外。」→私にだってそんな日はある。
「ファンクラブそんなに入ってるの意外。」→私だってこんな入ると思ってなかった。
「ニュースしか見てないと思ってた、意外。」→あんたの私へのイメージはどないなっとんねん。
「お風呂で歌ったりとかするんだ。」→「意外」というニュアンスが入ってるものと捉えるが、別にええがな。


ここに挙げたのは一部でしかないが、相手の中の”私”と現実の”私”に乖離が生まれていると認識できるのも、ある意味この言葉のおかげ、というかなんというか。


「意外」への自論


これは、私が捻くれていることを前提で自論を出すが、

私自身は、「意外」と言われるのが得意ではない。

言う側に悪気が無くても、だ。


前述のように、”勝手に”の部分が自分の中で強調されるが故に、「知らんがな。」と思ってしまうのだ。

相手に思われていた”私”がどんなんかを知ろうとは思わないし、知りたくもないのだが、想像上の私との乖離を本人を前に言わなくて良いだろう、と思ってしまう。


これを言ったことで、何かが変わるわけでもないし、変えるつもりもないのだが、世の中にはこんな面倒くさいことをつらつらと考えている人間がいる。ということだけ言いたかった。


月末には、また月次レポートのようなものが出ると思うので、またその時に。

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