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誰も分かってくれない

「誰も自分のことを分かってくれない」
「誰も自分のことを認めてくれない」
「誰も自分のことを必要としてくれない」

こうやって拗ねてたときもあったな
これまでの人生の中で。

心がこういう拗ねた状態になると
目に映るすべてが敵にみえたり
自分を否定する存在に感じたりもする。

でもね、
もう薄々自分でも感づいてるんだよな。
本当はもう自分でも気づいてるんだよな。

「分かってない」
「認めてない」
「必要としてない」

のは、
いったい「誰なのか?」ということを。

自分で自分のことを「分かろう」としているのか?
自分で自分のことを「認めて」いるのか?
自分で自分のことを「必要として」いるのか?

自分で
自分のことを大切に扱わずに
蔑ろにする一方で

自分以外の他の誰かには
「自分を大切に扱って」と言ってないか。

自分で
自分のことを認めずに
蔑ろにする一方で
自分以外の他の誰かには
「自分を認めて」と言ってないか。

そういう自分すらも
とにかく「受け入れて」と
他の誰かに要求ばかりしてないか。

「誰も自分のことを分かってくれない」
「誰も自分のことを認めてくれない」
「誰も自分のことを必要としてくれない」

そう思ったときは一回聞いてみて。

自分は
自分のことを「よし」としているのか?

ってね。



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