見出し画像

異なる価値観が存在する理由

生きていると
自分とはベースの考えが異なる人や
価値観が合わない人と出会うことがある。

これまで、疑問に感じることも正直あった。

どうして同じ人間なのに
こんなに考え方が合わない人がいるのか
どうやったらそういう価値観になるのか

口では
「人それぞれ」とか
「価値観の多様化を認める」
なんて言いながらも本音のところでは
どこか違和感を覚えていた。

ただ、
ここ最近ようやくそれが自分の中で
キチンと言語化され腹落ちした気がする。

これは、
本田晃一氏が以前ブログで書いていたのだけど
『生物のミッションは一言でいうと、”生存すること”。
だから絶滅しないように、様々な価値観や考え方をもった
生物がこの世には同時に創られる。
同じ価値観や考え方だけだど、偏ってしまい最悪の場合
絶滅してしまうからだ』

とまあ要約するとこんな内容。

つまり、
「敢えて」異なる考え方や価値観が創られている
ということ。

異なる考え方や価値観は「必要」だった
ということ。

これに触れたときに、長い間モヤモヤしていた感情が
ぱっと晴れた気がしたんだよね。

これを前提に考えると、
ベースの考え方や価値観の異なる人と出会っても
それを「攻撃」しようとしなくていいんだ。

「違うもの」に触れると、ついつい、
自分が否定されたような錯覚を覚えることがあるけど
相手を攻撃する必要なんてないんだ。

わけあって異なる者同士が共存しているんだから。

ただ、
そういうときは、そっと距離をとる。

これだけでいい。

無理して仲良くしなくていいし、
相手を全部受け入れる必要もない。

当然、自分の考えや価値観を曲げる必要もない
ただそっと距離をとる。

これだけで
びっくりするくらい楽になるし穏やかな心を取り戻せる。

距離をとるというのは本当に大切なことで
相手を尊重すると同時に
自分自身の尊厳も守ることができる。

つまりWIN-WINなのだ。

生きていると
自分とはベースの考えが異なる人や
価値観が合わない人と出会うことがある。

そんなときは
その「異なる存在」もこの世界全体でみると
必要なんだということを先ず理解しよう。

ただ、
だからといってその「異なる存在」によって
自分が不快な思いをする必要はない
無理して合わせる必要はない。

ただ、
そっと距離をとろう。

「距離をとる」というのは、最善の策なのだから。

ぼくの記事を読んで頂きありがとうございます。頂いたサポートを励みに、これからもどんどん発信していきます。今後ともよろしくお願いします。