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相手を理解できない自分を許す

人は
どんなに頑張っても
寄り添っても

「その人」のことを完全に理解する
ということはできないと思うんだ。

例えば
英語が喋れる人と
喋れない人がいて
喋れる人も最初は喋れなかった。

でも
努力して
必死に勉強したことで
結果として喋れるようになった。

そうすると
喋れるようになった人は
喋れない人に向かって
こう言うでしょう。

「あなたもできるよ
努力すればできるよ
わたしは偏差値○○だったのよ
わたしも最初は喋れなかったけど
頑張ったら喋れるようになったよ」

きっと
そう言うでしょう。

人は
いつも自分の根っこにある前提や
信じていることをベースにしか
アウトプットできない。

だから
自分の中でなんらかの成功体験があると
当然アウトプットのベースはそれになるし
それに傾くし
「そうできない人」というのが
まったく理解できない。

「できなかったけど、できるようになった」
という人は

「できなかったけど、やっぱりできるようにならなかった」
という人のことを

本音のところでは理解はできない。

だって
「できてしまった」からね。

分かるはずがないのよ。

理解しろという方が無茶なのよ。

人は
相手のことを理解しよう
理解しようと思うけど
本当にその人のことを理解するって
できないと思うんだ。

だって
その人じゃないんだもん。

だって
その人と同じ人生を
歩んできたわけじゃないんだもん。

想像はできても
察することはできても
完璧に理解することはできないと思うんだ。

相手と向き合うとき
相手に心を傾けるとき
分かろうとか
理解しようとか

そういう心の姿勢はとても大切だと思うし
素敵なことだと思う。

実際
その姿勢のおかげで
相手が元気になったり
救われたり
感謝されたり
そういうことはあると思う。

でもね
相手を理解できなかったからといって
相手が「分かってくれない」と憤ったとして
相手との距離が縮まらなかったからといって

そのことで自分を責める必要はないんだよ。

だって
その人じゃないんだから。

だから
「理解できないという自分を許す」
必要がある。

ここが腑に落ちてくると
今度は同じように

相手が自分のことを分かってくれない
理解してくれない

そう思ったときも
相手を許せるようになっていくよ。




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