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幸にだって休暇がある


「郵便局に日曜日があるように
幸にだって休暇があるのですから」
と、寺山修司氏は言った。

いつからだろうね、
ぼくたちは、いつも「幸せでなければならない」と
思うようになったのは。

たしかに、
不幸より幸せの方がいいし、
誰だって幸せになりたいと思う。

でもさ、
いつでも
どこでも
24時間
365日
「幸福」のシャワーを浴び続ける。

非の打ち所がない
完璧に整った100点満点の人生。

何の不足もなく
何の悩みもない。

望んだものは全て手に入り
望んだことは全て叶う。

何もしなくても売上は上がり
何もしなくても旦那は出世し
何もしなくても子どもは有名大学に進学し
何もしなくても部下は育っていき
何のトラブルも
何の思い煩いも
何の障害も
何のイザコザも
一切の不足や不満は無く
全てが整った
パーフェクトな世界。

あるのは「幸福」のみ。

そういう世界があったとして
そういう世界にぼくたちが生きたとして
それで本当に「幸せ」だろうか。

それで本当に「幸せ」と感じるだろうか。

それが「幸福」だろうか。

「ある」という喜びを感じる為には
大前提として「ない」という状態が必要になる。

「できる」という喜びを感じる為には
大前提として「できない」という状態が必要になる。

「満足」という喜びを感じる為には
大前提として「不足」という状態が必要になる。

そう、
不完全だからぼくたちは「幸せ」を感じれるのだ。
不完全だからぼくたちは「幸福」を感じれるのだ。
100点満点の人生でないからぼくたちは「喜び」を感じれるのだ。

つまり、
「幸にだって休暇がある」

これは、
ぼくたちの人生に与えられた、最高のギフトなのだ。


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