見出し画像

逃げ道をつくってやろう

「逃げ道を断つ」っていうと聞こえはいいけど、
逃げ道がないってこわくね?って思うな。

どんな建物でも有事に備えて非常口があって、
だからなんかあったときに、そこから逃げれるわけで。

その出口ってのは日本だと消防法で定められていて、
もう義務的に付けなさいよ!ていう位置づけなんだよね。

つまり、それくらい「逃げる」ってことが大事で、
それを想定した構造にすべきだってこと。

逃げ道を断つって、
多分「目の前のことにコミットしてしっかり結果を出せ」
っていう意味で使われるんだろうけどさ、
本当に逃げてはダメなことなんてこの世の中に
殆どないとぼくは思っている。

いや、たしかにね、
いつも逃げてばっかりの人だったら、
ときには逃げずにむかってみるという経験も
必要なのかもしれない。

でもね、
これまでの人生振り返ってみて、
どこかで逃げたような経験って誰もがあると思うだけど、
それでも大抵なんとかなってきたと思うんだよね。

ぼくはね、
「どうしようもなくなったらいつでも逃げてもいいんだ」
という自分の逃げ道をキチンと用意して、
自分にそういう許可を出しておくほうが寧ろ、
今向き合っている「目の前のこと」を楽しめる
んじゃないかって思っている。

やってもいいし
やめてもいいし
続けてもいいし
もう少しだけ頑張ってもいいし
途中で休んでもいいし
やりなおしてもいい。

そういう前提の方がこの世界を楽しめると思うな。

そんなの甘いとか、
そんなんじゃ社会に通用しないとか、
まあ、そんな風に怒られるかもだけど、
そもそも人間って強制されるのが嫌いじゃん。

自分で決める(決めた)ことにしか、
本当の能力って発揮できないものじゃん。

だから、
他の誰かから「逃げるな」って言われても、
「いや自分これじゃなくてあっち行きたいし」って
なるのもある意味当然でしょう。

逆に、自分が本当に興味関心があることって、
やめろとか逃げろとか言われても、絶対やめんよね。

ぼく小学生の頃アニキとファミコンにはまってたとき
夜ご飯も食べずにずっとテレビの前でかじりついてた。

なんど親に「ご飯食べろ!」って怒られても、
無視してずっと続けてたら家の電気の元(ブレーカー)
落とされたことあったね(笑)

それが今の自分のなにか役にたっているかどうかは、
ぶっちゃけわからない。

わからないけど、それでもぼくが思うのは、
自分が興味関心を持てることって一つひとつ、
やって(体験して)確認していくしかないってこと。

体験して目の前のそれの良さとか、
魅力とかそういうのを本当に知ろうと思ったら、
リラックスしてそれを味わえる状態の方がいいよね。

だから、「逃げ道を断つ」よりも、
「嫌だったら逃げてもいいよー
だから心ゆくまでそれを楽しもうねー」
くらいの方が絶対いいと思うんだな。

ぼくの記事を読んで頂きありがとうございます。頂いたサポートを励みに、これからもどんどん発信していきます。今後ともよろしくお願いします。