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「何もしない時間」を過ごせますか

ぼくはよく座禅(瞑想)をするんですが座禅って
「何もしない時間を過ごす」ってことんですよね。

ただ足を組んで座り
手をおへそのあたりにもってきて
目は閉じるわけでもなく
かといって開きすぎることもなく
「半眼」といわれる状態にする。

この姿勢のまま
ただ、「その状態でいる」だけ。

実際にやってみると分かるんですが、
慣れるまではめちゃくちゃ「時間」が経つのが
遅く感じるんですよ。

スマホをいじってたら15~20分くらい
あっという間に過ぎるじゃないですか?

でもね、
座禅を組んで同じ時間を体験してみると
それが3倍くらいの時間に感じるんですよね。

心地よい時間はあっという間に過ぎるけど
苦痛に感じる時間は長く感じるといいますが
座禅の場合何が苦痛かっていうと
「何もしない状態」だからだと思うんです。

テレビを見るわけでもなく
ネットを見るわけでもなく
SNSをするわけでもなく
ビールを飲むわけでもなく
ジョギングをするわけでもなく
家事をするわけでもなく
おしゃべりをするわけでもなく
寝るわけでもなく

ただ、
何もせずに自分の内側に意識をむけ
時間が過ぎていくのを体験する。

人は元来何もしないでいるのが苦手
なんだと思います。

実際、
あなたはこれまでの人生の中でこういう
「何もしない状態」の時間をどれくらい
経験したことがあるでしょうか。

座禅や瞑想に限らず
「何もしない状態」というものを
どれくらい経験したことがあるでしょうか。

個人的に思うのは
何かをしているときというのはある意味楽です。

それをしてさえいればとりあえず時間は
ある一定のスピードで過ぎていく(そう感じる)し
自分の内面や課題と向き合うこともせずにすむ。

でも
座禅を組むと何もしないわけだから
いやでも自分の内側に意識がいく。

そうすると
モヤモヤしている感情や
自分が向き合いたくない感情にであったりもする。

ぼくは座禅のスペシャリストでもなんでもないので
これが本来の目的かどうかは分からないけど
座禅の効果ってこういうところにあると思っている。

何もしないことで
心が本来のお穏やかさであったり落ち着きを取り戻し
本当に必要なことにだけ意識が向くようになる。

人付き合いであったり
テクノロジーの進化するスピードであったり
社会の変化であったり
そういったものに自分の心が付いていかないときは
是非静かな環境で座禅を組むことをおすすめしたい。

はじめは違和感を感じるかもしれないけど
きっと本来の穏やかな心を取り戻すことができると思います。

ぼくの記事を読んで頂きありがとうございます。頂いたサポートを励みに、これからもどんどん発信していきます。今後ともよろしくお願いします。