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理解できないとき

ぼくは学生時代から
ブルーハーツが好きなんですが。

ただ
世の中には

同じように好きな人もいれば
別にフツーという人もいれば
嫌いだという人もいるわけ。

で、
ブルーハーツが好きなぼくとしては
別に世の中全ての人に

同じように
ブルーハーツを好きになってほしい
とはあんまり思ってなくて

ただ
自分が好きなだけだから
それでもう自己完結してるわけです。

にも関わらず
世の中には
非常にユニークな方もいらっしゃって

「それのどこがいいんですか!」や
「全く理解できません!」と

わざわざ
言いにこられる方も
稀にいて
非常に対応に困るわけです。

ブルーハーツは
あくまで一つの例えですが

そもそも
自分と同じように好きになってほしい
自分に共感してほしい
と思っているのではなく

「わかる人にわかってほしい」

こっちなわけです。

「共感できない」という人がいるのは
当然であって

「自分は好きでない」というのも
当然だと思ってるんです。

だから
そういう方に出会うと

「???」と
はてなマークが点灯して
一瞬フリーズしてたんですね。

ただ
どうして
「自分はそうは思いません!」と

わざわざ
言いにくる人がいるのか
理解できずに
苦しんでいる自分がいる

ということは
結局、
「すべての人を理解しないといけない」
「すべての人は理解しあえる」
という前提で生きている
自分がいたわけで。

また
ぼくが
ぼくの「正しさ」や
ぼくの「正解」で生きていると同じように

他の方も
それぞれの「正しさ」や「正解」を抱えて
生きているわけで

それを
あわせようと
一人でもがいていたのは
結局ぼくの方だったんですよね。

そういう前提があると気づいたので
であればその前提を変えてやればいいんだと
今更ながら気づきましてね。

「自分が理解できない人もいるし、
いてもいいんだ。
全ての人と分かりあおうとする
正しさは手放していいんだ」と
自分に許可を出して生きるようにしたんです。

そうすると
まあやっぱりときどき反応する自分もいますが
それでも随分と楽になり、
「正しさ」
をぶつけあっても
何も生まれないといことを
改めて感じた瞬間でした。





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