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はじめてのインターネット

はじめてのパソコンがうちに来た時の事は覚えている。

「大きな箱が来た」

それ以上でもそれ以下でもない。特別な期待があったわけでもなく、胸がワクワクしたわけでもない。
私はそれから何十年たった今となっても「ガジェット萌え」とは縁がない。既に当時から新しいものに対して、ちらりとも心躍ったりはしなかったということなのだろう。

とにかく、そこが私とインターネットの出会いであったことは間違いない。

そしてそんな私だが、今ではケータイやらパソコンとは切っても切れない立派な「ネット依存症」だ。1日の内「ネットに触れているかネットに触れていないか」で大体色分け出来る、ネットづけの毎日だ。

何の期待もなかった白い箱。
確かOSはWindows95だったんじゃないかと思う。

写真を落とそうものなら、一行ずつ上のほうから。何分待っても半分もいきやしない。そんな時代に利便性と未来を感じることが出来た人のほうが少数派だったのではないだろうか。

私自身、ネットに初めて楽しさを感じたのは所謂「テキストサイト」の流行を知ったあたり。先日の「平成ネット史」にも登場していた「侍魂」のような、個人が文章を書いて自由に上げていたあの時代。

とにかく面白かった。

本や漫画やテレビにはいない、「有名じゃない人」が等身大の言葉で面白い文章をこれでもか、という熱量と分量を投下していた。
もしかしたら今こうして、ネットで文章を書いているのは、あの時代……テキストサイト勃興時代に「テキストの面白さ」を植えつけられたせいなのかもしれない。

思春期ってそういうもんだ。マキシマムザホルモン風に言えば「中学パワー」だ。どこまで行っても逃れられないパワーの源なのだ。

パソコンの虫になるのは、もう少したってから。

家に帰ればまずパソコンの電源を入れる。朝起きてから寝るまでニコニコ動画を見る。時のニコニコはなんでもありの無法地帯。mixiなどのSNSの登場もあって依存度は進む一方。

そもそも中学生や高校生のときは、実家ぐらしだったし、それなりに真面目に学生生活を送っていたのだ。一人暮らしの大学生になってハメの一つや二つ外すのがむしろ学生らしいってものだろう。

良い時代を過ごしたものだ。

今の若い子たちはケータイさえあって環境が整っていれば、若いうちからどれだけでも見れてしまうと思うとそら恐ろしい。若いうちから依存症まっしぐらではないか。
「そこそこの金額のお年玉を、一瞬にしてガチャに変えられて、結局目当てのものも出ず泣かれた」なんて話をツイッターで見たけど、ホント世も末ね。

大人しくSwitchでスマブラでも買って寝なさい。相手になるぞ。64しかやったことないけど。

依存し過ぎるのは良いことではないだろう。でも、楽しみが増えることは純粋に良いことだ。

「逃げ場所が増えたな」

と、そういう風に私は思う。

本でも漫画でも、世の中に溢れるコンテンツは一種の「逃げ場」なのだ。悪い意味で言っているわけではない。
そして別に世を儚んでるわけでも、日々ふさぎこんでるわけでもない。でも、1日生きてればちょっとで良いからどっか飛んで行ってみたくなるでしょう?それは人によっては「旅行」だったり「飲み」だったりするのだろうけど私は「コンテンツ」に逃げるのだ。

どんな辛いときでも、楽しいコンテンツを見ればその世界に逃げることが出来る。

そしてその中でも優秀なのがこのインターネット。覗き込めば深遠とカオスがいつでも御出迎え。いい方向にも悪い方向にもなんでもござれ。恐ろしいことにインプットもアウトプットも、コミュニケーションも取れる。

若い子にはこれをいい方向にちゃんと使って欲しい。そういう教育をしないとだめだよね。エロサイト見て怪しい宣伝で画面が埋まっても、落ち着いてコンセントを抜きましょうとか、そんな根も葉もない情報は要らない。

初めて出会ったその「白くて大きい箱」

それに魅了されるまでは長いことかかったように思う。時代の流れでもあるのだろうし、必然でもあった気がする。
最近の若い子はケータイで完結できちゃうからパソコン触らないらしいけれど、それはそれで悲しい、というかちゃんと教えてやろう。

こんな悪い使い方できるんやでゲヘヘ。節度は守りなよ。

悪い大人は吸いも甘いも通り越してきたのだぞ。


#エッセイ #コラム #はじめてのインターネット #侍魂 #テキストサイト #パソコン #ケータイ #マキシマムザホルモン

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