長雨に 悪意さえずる 嵐かな
『俺、ツイッターのアカウントもう一つ持ってて、有名人とかに絡んで、ひたすら文句付けたりするために使ってるんだ』
それを聞いた時の率直な感想は、「よもや世の中にそんな人が居ようとは」という驚きだった。
いや、それは言い過ぎかな。そう言う人も居るんだろうと思っていたけれど、自分の友人くらいの距離感で存在するとは考えたことがなかったのだ。
直接的に容姿をおとしめたり、揚げ足取りのようなことも頻繁にする。たまには真面目に議論めいたことをすることもあるらしい。ただ、完全に匿名で「好きたい放題言う」ことが第一義であるようなので、まともな議論になっているのかは甚だ疑問だった。
それは、いわゆる「荒らし」と呼ばれる行為。
そして、そんなことを楽しそうに語る彼は、不思議と得意げだった。
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聞いていて、私は正直ちょっと引いていた。
でも「へーそうなんだ、ところでさ……」とばかりに、コロリと話題をそらしたので、顔に出てそれを悟られることは無かったように思う。無かったと信じたい。
「荒らし」という行為は、分別のわからない中学生か、もしくはもっとねじ曲がっちゃった人がやるもんだとばかり思っていた。でも、「楽しいから」ってそんな単純な理由で、「気軽に」「日常的に」暴言を吐いてまわるって人って普通にいるんだな、というのには恐ろしさを感じざるえなかった。
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でも同時に、その「楽しさ」はわからなくもない。
そんな風に思った自分もそこにいた。
リアルでは、いつどんな状況であったも周りとの関係性に気を使う必要が多かれ少なかれある。気を許せる友達と話していたって、全てが全て自由に話せるわけじゃない。「これ話したら機嫌を損ねるかな」とか「そんな風に思われたくないな」とか、そんな自意識の重荷をどこへいくにも必ず背負っているのだ。
でも、ネット上で個人情報を切り離して、好きたい放題言うのはどこまでも自由だ。もちろん倫理的なものを無視すれば、という前提はあるけれど。
やれ空が青いからムカつくとか、夏は暑いから人権侵害だ!とか。理由の如何にも、関係性にもかかわらず好きなことを言うのは、きっと楽しいのだと思う。
「誰かに難癖つけるのは、一番お金のかからないエンターテイメントだ」なんてどこかで見た気がするけれど、それがボタン一つで気軽に行えるのだからハマる人もいるだろう。
そうやって共感してしまう自分も、そこにはいたのだ。
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そうは言っても、小心者の私に出来るとは思えないけれど。
いっそネットとマイナンバーくっつけて、「基本的に誰が言ったかはわかります」という常識ができたら良いのに。ということを考えたりした。
そんな軽薄な「楽しさ」の先には、心ない言葉で傷ついた誰がが必ずいるのだから。友人に直接言おうとは思わないけれど、そんな浅はかな行動に楽しさを見出す人は、みんないなくなってしまえば良いのに。
そう心から願う、この気持ちも嘘じゃない。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)