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痛覚が無くなった世界【ショートショート】【#34】

突然、世界から『痛覚』が無くなった

最初はこの未曾有の事態に恐れおののいた。家から一歩も出ないと固く誓った大富豪も居た。だが、多くの大衆にはそんなことは出来ない。みな、恐る恐る、傷に気をつけながら生活するしかない。
もちろん見えないところの傷はわからないし、誰も教えてくれない。いつのまにか出来た傷が原因で急に亡くなってしまうことも頻発した。

多くの仕事は、形を変えそのまま続いた。
だが、完全に無くなってしまったのは「麻酔医」などの一部の仕事に限られた。残念だけれど、痛みのない世界では人は麻酔を必要としない。他に大きく変わったのは、銃などの武器だ。何せ痛覚がない。頭を打ちぬけばともかく、手足や胴体などを弾が貫通したところで、短期的な抑止力にはならない。拳銃のような小口径のものは意義を失い、投網や粘着物で行動を抑止するようなものが出回るようになった。それでも現在進行形で、紛争などが行われている地域では、かなりグロテスクな情景が広がるようになったようだ。

だが、そのような変化があっても、時とともに諦めが広がり、人々は『痛覚の無い世界』を受け入れ出す。

受け入れてみれば、喜ばしい事も多々ある。
どんな辛い状況でも今はもう痛くない、そして苦しくもない。言ってしまえばゾンビのようなものだ。もちろん身体は生身の人間のままなので、一定以上ダメージを受ければ死ぬ。それでも最後まで苦しむようなこともうない。徐々に動きづらくなって、ある日突然意識が無くなる。それが新しい『死』の形として、受け入れられるようになった。

人は月に1度は病院に通い、どこか怪我をしていないか。何かの病気を患っていないか。事細かに検査をするようになる。苦痛はなくとも、死に対する漠然とした恐怖はぬぐえないようだった。

そして時が経ち、人は「痛い」という感覚にお金を払うようになる。

脳をだまし、他の感覚を乗っ取り、外堀から『痛い』という感覚を疑似体験させる。「生きていることを実感できる」。それが、『痛み』を体験した人が口をそろえて絶賛する理由だった。
『痛み』を感じることが出来る装置は、世界中のいたるところに設置され、人間は気軽に『痛み』を味わい、そこから快楽を得るようになる。『痛み』は、その時々で程度は選べるため、ちょっとつねられた程度のものから、さされた痛みまで、人によって欲する痛みの程度は様々だ。だが、「今日も私は生きている」そう、自分に言い聞かせるように、毎日通う人も珍しくなかった。

そんな奇妙な光景が、画面に映し出されている。
そして、それを囲うように眺めているのは、ひそかに地球に接近していた宇宙人たち。

『この、地球という星に住む生物は、進んで痛みを自分に与えることで、快楽を得る、言ってしまえば非常にマゾヒズムに富んだ種族であると言えると思います。マイノリティが、自傷行為を行うことはあることですが、種族全体が、日常的に自分を痛めつけているというのは、きわめて珍しい行動であると言えると思います。知的レベルはともかく、我々とはかなりそういった生態が違うので、容易にはコミュニケーションをはかることはできないかもしれません……』『しばらくは観察対象として、横から眺めているのがいいかもしれませんね……』『そうだな、この生態に対しては、正直なところ私は恐怖を覚える』『ええ……そうですね。しばらく様子を見ましょうか』


#小説 #掌編小説 #痛み #ショートショート

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)