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今日は牛丼を食べた。

今日はいつもよりも仕事が長引いて、久々にふらふらとめまいがするぐらいまで麻雀した。


でもこういう万全じゃない時に打つ麻雀こそ、自分がまだミスする可能性のある部分というのがはっきりしたりもする。

実際に自分が苦手な形に気付けたりして、疲れたけど良い1日になったなと思いながら、家に帰る前に何か食べたいなと思って吉野家に入って牛丼を注文した。


僕は麻雀を打つ時に「よろしくお願いします」の挨拶だけは絶対に忘れないようにずっと意識している。

挨拶は大事だし、何より同卓者へのリスペクトは絶対に欠かしてはならない。


僕が思う本当に強い麻雀打ちに、リスペクトを怠る者などいない。


それと同じように僕がずっと意識してることがもう一つあって、

必ず「ごちそうさま」を忘れないこと。


つまりは食、そしてそれを作ったり提供してくれたりしてくれる人への感謝を忘れないこと。


本当に疲れた状態で牛丼を食べると、初めて牛丼を食べた日を思い出す………



子供の頃、僕の実家はあまり裕福ではなく、牛丼という食べ物を中学生か高校生ぐらいの時にすき家に初めて行くまで食べたことがなかった。


人生で初めて食べた牛丼は、想像をはるかに上回る美味しさだった。


牛丼ってこんなに美味しくてしかもそんなに高くない…日本すごすぎ…


高校を卒業して茨城から埼玉へと引っ越してさらに驚く。


大体の駅前に当たり前のように牛丼屋がある。


都会(僕からしたら埼玉はめちゃくちゃ都会)って本当にすげえんだなあとその時は感動したけど、人間というものはそんな環境にも慣れるわけで、今となっては牛丼を食べることにあの日ほどの感動は無い。


それでも牛丼の美味しさは変わらない。


こんな美味しい食べ物を非常にお手頃な値段で食べさせてもらえることに感謝しないほうが無理がある。


ちなみに僕が特別に好きな食べ物というかチェーン店があって、



それはみんな大好き『マクドナルド



また昔の話に戻るんだけども、

5歳の時に僕の両親は離婚して母親の方についていくことになった。


でも僕は父親のほうが好きだったからかなり辛かった。


トラウマというのは脳に焼き付くんだなと今になっては思うけど、


父親が突然別れを告げた日。

三段に積み重なっていた衣装ケース。

22年前のことだけど、その景色は今でも鮮明に覚えている。


本当に辛かったし、兄弟も従兄弟もいなかった僕は家の中でほとんど1人だったけど、月に1,2回は父親の家に土日泊まっていいことになった。


もちろん父親っ子な僕はその日を楽しみに日々過ごし、父親の家に落ちていた麻雀ゲームの説明書を読んで勝手に麻雀のルールを学んだ。


僕の父親は『麻雀格闘倶楽部』が好きで、小学3年生の時に僕のカードも作ってもらって、父親の家に泊まりに行くたびにゲームセンターや筐体があるネットカフェで1日中麻雀格闘倶楽部をやるようになった。


自分がどうして麻雀プロになろうと思ったのか、なぜ連盟を受けようと思ったのか。


今思えばそんな幼少期がそうさせたのかもしれない。


それと同時に父親の家に泊まりに行く時のもう1つの楽しみがあって、それがマックを食べることだった。


たしか小学生か中学生の頃に期間限定で、
『ジューシーチキン赤とうがらし』
というチキンフィレオの辛いver.があってそれがめちゃくちゃ好きだった覚えがある。笑


麻雀が好きなのもマックが好きなのも、父親の影響だったんだなぁと大人になって気付き、そんな子供の頃を思い出を、牛丼が思い出させてくれたそんな日。


そういえば先日、父親から突然LINEが来た。

僕のメールアドレスは知っているはずだったから突然のLINEにびっくりした。笑



麻雀頑張らなくちゃね。

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