Code Britannia: Tim Follin (2014)

Original Text: Code Britannia: Tim Follin
By Dan Whitehead (Eurogamer.net) Published 02/01/2014

Code Britanniaは、その人物の経歴とゲームにもたらした変革を振り返りつつ、後代に影響力を与えている英国のゲーム・デザイナーに対してインタヴューを行う連載である。

これまで、Code Britanniaは1980年代の英国のゲーム開発シーンを特徴づけることに一役買ったプログラマに着目してきたが、彼らが物語っているのは話の一部に過ぎない。さらにその他の革新者もいたのである。例えばそう、大部分のゲームががんばって鳴らしていた、申し訳程度にメロディのついたブーッとかビーッとかいう音ではなく、本物の音楽を迸らせることを基本的な8-bitホームコンピュータ・システムに遣り果せた人物、Tim Follinがそうである。

初期の大勢のゲーム・パイオニアと同様、Tim Follinも学校を卒業しないうちにこの業界に身を置き始めた。周りに誰もいないわけではなかった。彼の兄マイクもやはり、コーディングという職業に従事していた。ただしMikeが関心を持っていたのはZX Spectrumのゲームを制作することで、Tim自身はそれが作成可能な音にこそ魅了されていた。既に音楽に夢中になっていたので、Timはカタカタと音を立てるそのシステムによって納得できる曲を作り出すことを可能ならしめる、彼独自のソフトウェア・ドライバのプログラミングに着手した。15歳にしてTimは最初のチャンスをつかんだのである。

「プログラミングによって作曲することに僕はすっかりはまってしまったんだ」、私に向かってFollinはそのように述べた。「過去にそんな考えに関心を持ったことは一切なかったし、当時はともかくそういうことがまず存在しなかった。僕が曲をつけた初めてのゲームは、兄のMikeのSubterranean Strykerというゲームだった。1チャンネルのフェージングのかかった音を作りだす初めてのサウンド・ルーチンを使用していて、当時としては全く印象的な響きがしたよ! その結果、まだ在学中だというのに、例えばStephen Tatlockのような、ゲームをプログラミングしていると僕が知っている他のプログラマから、彼らのゲームの音楽を打ち込んでくれないかと頼まれることもあった」。

彼が次にStar Firebirdsのために作曲したテーマ曲は、ストラヴィンスキーの改作[「火の鳥」 L'Oiseau de feu/The Firebirdのアレンジ]で、Spectrumをだまして2チャンネルの音をシミュレートさせていた。その後にはVectron 3Dが続いた。たった3作目の商業的な作曲で、彼はガーガー、ヒューヒューという雑音で有名なマシンから、並外れた3チャンネル・サウンドトラックを既に生みだしていた。3作は全て起業したばかりのデベロッパInsight Softwareから発売された。すると間もなくして、もっと定評のある会社からたくさん声が掛かった。

1986年、私に言わせれば8-bit時代での最も偉大な曲のひとつをFollinが作曲していることがわかった。Mastertronicから£1.99で発売された影の薄いスパイごっこゲーム、Agent Xのテーマ曲である。本作自体は大したものではないのだが、その音楽は驚くほどキャッチーなリフから本物のテーマ曲を組み立てていた――そして今も残存している。それこそがまさに、競争相手のゲームのほとんどを飾り立てていた何度も繰り返されるわずかしかない小節とは別物の、正真正銘の音楽トラック、5チャンネルの大作ロックである。

「お気に召してくれて嬉しいよ!」Agent Xに対する私の一生分の愛と、寝室でその曲が聴けるようにするためTVとならんでテープ・レコーダーにしがみついていた子供のころの記憶について、私が臆面もなくべらべらしゃべるとFollinはこう言った。「ちょうど先日、リンクを教えてくれた人がいて、君の言う曲を聴き返していた。実際には聞いていられたものではない。それどころかプロセッサに無茶をさせ過ぎたんじゃないかと思うよ!」

驚くべきことに、Follin特有の幾層にも重なった音(サウンド)は、エレクトロニック・ミュージックへの特別の好みではなく、手ごわい昔のプログレッシヴ・ロックに対する愛に由来するものだった。「マルチチャンネル・サウンド制作の原動力は、そのころはコードやコード進行に凝っていて、初期・中期のGenesisをたくさん聴いていたことさ」と彼は説明する。「1つのチャンネルでどうすれば何もかも打ち込めるものか、僕にはわからなかった。その後のC64の作曲は、実際のところ大きなショックを受けた。3つのチャンネルしかなかったけど良い音がしたんだ。それで僕はお馴染みの8-bitミュージック・サウンドを生じさせるコードを作り出すには、それらのチャンネルのうちのひとつを「波打たせ」なければならないとすぐに理解した。それらの昔のSpeccyの曲を聴き返していると、そのうちのいくつかでは同じフレーズを自分が使っていることにもまた気がついたよ! 何たる怠惰!」

マンチェスターを拠点とする会社Software Creationsから、初めてのフルタイムの仕事の依頼が舞い込んできた時、Follinは大学[Sandown Music College]で1年間続く音楽コースの最中だった。彼は音楽コースを中退してその申し出を引き受けた。「学校の音楽教育はその先、ジャズをやることになるとわかっていたし、自分も興味はあったけど、実を言えばそれは特定の楽器が得意かどうかによって決まるものだった。でも僕はそうじゃなかったんだ」とFollinは告白する。「ピアノやいろんなギター、他の弦楽器も少々演奏できるよ。でもジャズでこの先名をあげるために四六時中座って練習するつもりはさらさらなかった。だから1年目の終わりにたまたま仕事の依頼がやってくると、止めるものはもう何もなかった――自分は依頼を受けなければいけないと感じたんだ。ゲーム・ミュージックを作曲する仕事をもし受けていなかったら、一個の職業としてそれを追求していたとは思わない」。

その変化はFollinに、自身の才能の焦点を合わせることを余儀なくさせた――それもSpeccyにばかりだけではなく。「仕事に就く前に自分が作曲したことのある唯一の曲は、ZX Spectrumのために打ち込まれたものだった。それ自体はプログラミングとSpeccyにそれがするように意図されていないことをさせてみようという試みへの興味から発展したものだった。だがいかにもその通り、Software Creationsに降り立った時には僕は深みにはどっぷりはまってしまっていて、できる限り速くそれに取り組む方法を編み出さなければいけなかった」。

「当時、仕事をすることに関して最高だったのは、若干の大まかな制限の範囲内で、自分がしたいことは何であれ大抵する自由があったことだ。技術的なレヴェルで、ひたすらサウンドチップを格好よく「鳴らす」ことができるという点で、つまり音楽的に自分がしたいことは何であれできるという点で恵まれていた。また当時のSoftware Creations周辺の雰囲気は、楽しくやろうぜ、という感じだった。ボスのRichard Kayは、仕事をするのと同じくらいの時間、みんなを笑わせていたよ」。

しかし、楽しい時間が続くはずもなく、速いペースのフルタイムの開発が障害になった。「時が経つにつれて、もっと多くのゲームを引き受けると、TAT[Turn Around Time、受注から納品までにかかる時間]はもっと速くなっていった。それが問題化したんだ。兄弟[次兄]のGeoffがちょうどそのころ、僕たちと一緒に働くようになって、プログラマやデザイナーの多くから「できる奴」として知られるようになった。その理由だけど、Geoffはいつも僕より速く、たくさんの曲を納品することができたんだ。おそらくは、証明するためのものが何もなく、誰にも良いところを見せようとしてなかったからじゃないかな。僕の方は、どんどん良いものにしようというプレッシャーによって身動きがとれなくなり始めていた。凄い無愛想だったり怠けていたりする印象を与えるのが自分は好きだったけれど、実を言えば「空虚な」日をずいぶんと僕は送り始めていた。何としてでも仕事に取り掛かる方法が思いつかなかった。つまり、始めはするが、仕上げることなくひっきりなしに変更を加えるといった具合だ。Software Creationsを辞めるころに近づくにつれて、それが嫌になっていった」。

FollinがSoftware Creationsから立ち去ったのは、思いも寄らない原因によるものだった。すなわち、独自のヴィデオゲーム開発部門を立ち上げた合衆国の独立系パブリッシャー、Malibuである[Follinが勤めたのは親会社Malibu Comics Entertainmentの傘下のMalibu Interactive。1994年閉鎖]。その会社が英国の人材を求めていたことを知っていたので、Follinは脱出を企てたのである。「それは実際のところは僕の過ちだった」と彼は認める。「Malibuの社長に電話をかけて――よくそんなとち狂ったことをしたもんだ――、あなたたちがここで事務所を開設するなら、僕たちは[イングランドの]North Westでひとつのチームを集めることができると話したんだ。すると大変驚いたことに、連中はそれを実行したんだ! 彼らに会うと、僕たちはすぐに事務所の体制を整えて、その次には、Software Creationsのボスに僕たちが辞める事情を説明しなければならなかった。あまり良い日じゃなかったね。思うに、ボスを含むそこにいる多くの人達が、僕たちが彼らを裏切っていると考えたんじゃないかな。実際にはただ単に変化――と賃上げを――を求めていただけだったんだ。Software Creationsは作業住宅(work house)も同然になってしまっていて、自分にとっては業界から完全に足を洗うか、会社を移るかのどちらかしか残されていなかった。彼らが25%高い賃金を提供してくれること以外に、僕はMalibuについて実際にはあまり知らなかったんだ! 彼らのコミック路線や歴史について知らなかったのは間違いない」。

それは単に雇用主の変化のみならず、テクノロジーの変化でもあった。というのも、SegaとNintendoの新しいハードウェアが、創造的な規則・条件を進展させたのである[SNESやGenesisによって開発の条件と可能性が根本的に変わったことを指す]。「16-bitコンソールのために作曲を行っている時までには、レコード音楽(recorded music)の用意が大体できていたんだ」と彼は説明する[ここでいうレコード音楽とは、従来の特定のサウンドチップやサウンドプログラミングに依存したリアルタイムの音の合成ではなく、諸々の楽器が使用され、ミキシングが行われ、ストリーミングによって再生可能な音楽形式を指す]。「建前上は、僕はそれを受け入れる用意があったし、楽しみに待っていたんだけど、いざやってみると悪戦苦闘した。録音した音楽を相手にしていると、突如として性能の点でその諸々の制約に立ち会う。だから楽器をいくつか演奏することはできたけれど、自分がやりたいものを作りだすことはできなかった――また自分が必要とするミュージシャンを雇う予算もなかった。最終的にはもっとましな機材を揃えて、それに取り組む他の手段を見つけたけど、そのころにはもう今にもこの業界を去ろうとしていた」。

しかしMalibuの[コミックとゲームの間の]双方向的な冒険的事業は長続きしなかった。Follinは18ヶ月間しか籍を置かなかったその間に、「約1年間ほぼ何もせず過ごし、給料をもらう」前に、たった1作のゲーム――MegadriveのTime Trax――にだけ関わった。1994年、MalibuがMarvelに買収されると、この会社の双方向的な飛行は停止され、スタッフの首は切られ、新世紀がゆっくりと近づくにつれて、Timはだんだんと不安定なフリーランスの契約にいつの間にか頼るようになった。

「僕が獲得した最も大きな契約[請負仕事]は、Dave Nulty(Ecco the Dolphin)とDave Sullivan(Starsky & Hutch)から受けたものだった。二人は僕の前歴を既に知っていたので契約を結んでくれて、そして喜んで僕のしたいことをやらせてくれたんだ――そのことに対してはいつも感謝している。でも今やゲーム業界も、その他多くの業界とよく似通ったものになってきている。経営者たちは全てのことをコントロールするのにご執心で、それに「賛成する」前に、何でもかんでも他の連中全員に相談してしまう。これは行き過ぎた管理だし、実質的には創造性の完全な死だ。Starsky & Hutchの後は、Software Creations時代の友人であるPickford BrothersのためにFuture Tacticsを、そしてFord Racing、PSPのLemmings等、もう数作品仕事をして、それでおしまいさ」。

そして彼の兄弟――Mikeは英国国教会の牧師になる道をたどり、Geoffは教職に就いた――と同じように、Tim Follinはゲームから離れて行った。ただし、あなたがたの期待するように音楽の方へではなく、映画の方へと。「もしゲームに関わっていなかったら、自分はもっと早い段階でおそらく映画への興味を追求していたんじゃないかと思う」と彼は明かす。短編映画のコンペティションで入賞作を監督した後、彼は広告会社で仕事をもらうと、次に自分自身の制作チーム、Baggy Catの設立に取り掛かった。数年前のVistaprint TVの広告を覚えているだろうか。あれらはFollinの仕事だったのだ。「ずっと映画製作と照明に興味があったし、ある意味でいつも音楽の一環としてそれを見てきた。音楽における僕の興味の大半は、1本の映画という文脈のなかでそれを耳にすることから生じる。たとえあるアルバムを聴きながら、その映画を心に描いていている最中であってもね! だからこの2つのものは、自分にとって切っても切り離せないものなんだ」。

そう、実際切り離せないものなのである。Follinの進行中のプロジェクトは、今までの彼の経歴から多くのより糸を集めたものだ。現在Kickstarterで展開中[記事の公開当時]のContradictionは、実写を使ったインタラクティヴ[対話型の]殺人ミステリーである。プレイヤーはAtlasと呼ばれる物議を醸している新興の自己啓発セミナーを取り囲む陰謀を解決せねばならない。

「まあこれはゲームへの復帰だろうね」とFollinはもの思いに耽る。「ただしアトモスフェアと音楽によって動かされる特殊なタイプのゲームへの復帰だ。暇つぶしに夢中になれる、短い、こじんまりとしたiPadゲームになるはずだ。LA Noireのような莫大な予算をかけたXbox用ゲームと張り合うつもりは毛頭ない。Malibuを辞めた後、Geoffと僕が何年も温めてきた、当初は音声のみで、その後映像を主体としたとするものへと変わったアドヴェンチャー・ゲームに本作は端を発しているんだ。当時の技術では僕たちはそれ以上進められなかったけど、ちょうど昨年、二人で取り組んでいた古い書類を見つけて、iPadならこの作品にぴったりの媒体になるんじゃないかと気がついた。それでJavascriptを少々独学で勉強して、開発を始めたのさ」。

過去に経験してきた無残な例がいくつか頭にあるので、当然のことながら人々は「インタラクティヴ・ムーヴィー」というタグについて、今でも当然のことながら警戒している。「その警戒心については十分に承知している。だから本作に対しては、全く違った取り組み方をしてきた」とFollinは認める。「主な違いは、Contradictionでは[イエス、ノーなどの]分岐や[A、B、C…などの]多重選択肢システムは使わないことだね。その全てが撮影されなくちゃいけない、一覧表から選択をする選択肢のジャンクション(option junction)にたどり着くことはないよ。Contradictionでは、いつでもどこでも使いたいときに使える、定められたひとそろいの道具をあなたは手にしている――それから物事を起こすのは君[プレイヤー]次第なんだ。君が事を起こすまでは何も起こらない。このゲームは、時間[の流れ]に対応したチャプターに分かれている。各チャプターのパズルを全て解くと、時は1時間を刻み、周囲の状況は、君が発見する新たな出来事や場所、登場人物でいっぱいになり、新たな情報と新たなオブジェクトを君に与える。新たな登場人物が家に着き、店が開き、閉まり、暮れてくると人々は酔っぱらって喧嘩を始め、君は襲われ、新たな場所が現われる――ひとつひとつのチャプターがたくさんの新しい出来事をもたらしてくれる。むしろ問題を解決することが可能な間ずっとドラマを視ているかのように作られている」。

そういうわけで今、言うならば彼は戻ってきたのである。これが彼のファンにとって吉報になるのは間違いあるまい――例えばRichard Jacquesや Jesper Kydといった、影響を受けた人物としてTim Follinの名をあげたことがあるトップ・ゲーム・コンポーザーたちにとって――だが彼自身はというと、自分の昔の作品の人気のことになると、今でもかわいらしくはにかんで見せる。彼いわく、「みんなが興味を持ってくれることには驚かされっぱなしだよ」。「正直に言って理解に苦しむね! 昔の曲で好きなものもあるにはあるけど、おそらくそれら全部のなかから今現在もまだ自分が聴いているのは2、3曲しかないんだ。例えばSolsticeのテーマ曲、あるいはいくつかのSNESの曲。人々が僕の昔の作品を好んでくれるのは全く異様だ。その人たちがそこから何を受け取っているのか、はっきり言って皆目わからないよ!」

Translation: Takashi Kawano

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