鈴木志郎康『あじさいならい』『15日間』(2006)

*多摩美術大学上野毛キャンパスにおいて、2006年3月17日から20日にかけておこなわれれた鈴木志郎康教授退職記念映像展「表に現す」で上映された作品について。私が赴いた日時を正確に特定できないが、17日か18日であったのは間違いない。ばるぼらさんの話から同大学の「夜間学校」(造形表現学部)の廃止を思い起こされ、かつてかいた小文を再掲する次第である。
参考URL
http://www.catnet.ne.jp/srys/films/films-mokuji.html
https://vimeo.com/user797525

多摩美術大学にて、鈴木志郎康教授退職記念映像展プログラム「表に現す」から、『あじさいならい』、『15日間』など。

私の苦しみはまさに書くことがないのに書き続けたいということなのだ…私はひたすら自分自身にかかわらざるを得ず、それが私にとっては激しい恥辱なのだ…(「浴室にて、鰐が」)

「私」は日記を書くことを思いつく。しかし、語りはじめるや、俄かにけだるさが身に生じて、一つのセンテンスを形成する定められた地点まで息が続かない。中断する。呼吸を調え、次の語りへ移ろうとする。またしても上手くいかない。嵩だけは増えていく言葉のだらしないありようを見て、つい狼狽しそうになるのを抑え抑え、テンポの維持に意識をかたむけることを通し最後の一行まで破棄を持ち堪えようとする。そしてこれで果たしてよかったのだろうかと、ついに「私」は日記を書き終えることの意義と充足を見失い、記憶を滔々と現実化するに足らない自らの不器用さを咎めたりする。
記憶を純粋に、まったく損なわずにある程度の長さをもった言葉にすること、或いは作品化することは、不可能な夢にも等しい行為だろうか。むろん、いつもこのような「深刻な」問題に頭を悩ませている「私」が唯一人いるのではなくて、作品=仕事或いは言葉の完成との適当な距離を探ろうとするなかで、誰しも「私」のような煩悶につきあたっている筈だ。
このことを、目的という完了への意志に近づけて述べてみるならば次のようになる。
一コの作品の端緒へ就こうとしたとき、その担い手に未来へと投影された目的=完了への意志があったはずが、現在時における実践、逐一の語りがそれを裏切る。
目的の遂行のために、無駄なく言葉を使い切ることが、いかに難しいかは誰でもしっている。じっさい、そのようなほとんど不可能な企てに絶望しないために、私たちには、言葉をまったく論理的に操れないことへの断念と引き換えに、語りなおし、書きなおすという「自由」がある。
それが言語の使用から「自由」になることを何ら意味しないとしても、私たちは、ああでもなく、こうでもなく、と、繰り言=お喋りの領域が確保されている以上、そのなかで得る倒錯的な悦びをある種の駆動力として、不可能な夢の完成を繰り返し夢見ようとする。

詩人も語ろうとしているあいだ、それを目的への到達という尺度に照らし合わせて、疑問にとらわれることがないわけではない。しかし、完了への意志を挫かれそうになりながらも、「仕方がない、続けよう」と言っているような気がする。それは、もういい加減不正確な語りを続けたくないという徒労の吐息ではないだろう。「仕方がない、続けよう」という力強いようでもあれば自信のなさの表れのようでもある、完了への意志の放擲寸前での宙吊りの自覚こそが、詩人を語ることのモノマニアへと変える。
『あじさいならい』(85年)での詩人の「語り」は、呼び起こされる沖縄や山形でのフィルムにぴったりと寄り添うというより、そのつど途切れ途切れに音声の方が映像へ一歩進んでは一歩遅れて貼られていくようで、不思議なぎこちなさがある。一分の隙のない言葉の構築へと足をかけようとしては、いつも中途で放るようなのだが、その際に……て、……て、……て、という接続が語りの中断を沈黙の手前で撓ませているからだろう。
それに五年先行する『15日間』(80年)は、カメラを前に一人で15日間、とにかく詩人の身に一日あったことをただ単に語りつづけるという、目的と無目的が接した作品。じっさい両者のあいだに苛まれるように、ベーコンの画集の映像の後はじまる一日目から、詩人はサングラスをかけたままカメラに背を向け俯き加減に右手にマイクを持ちぼそぼそと日記をつけはじめる。時折視線に怯えるようにカメラの方へと振り向いて、時計で時間を確認し、口を淀ませるなどの挙動は、「(なぜか、それも既に)反省している」というトーンを私たちに与える。それがあまりに唐突すぎて、どこか滑稽に映りもするのだけれど、詩人の後ろめたそうな様子は、語り続けることの無意味さにどうやら発しているらしい。カメラを前に語ることで、15日間の1日分は蓄積されることになるが、それは果たして「完成」に近づいているといえるのか。その矛盾を自分でも当然気づいていて、……なのだけれども、……わけで、という接続、挙句自らを急きたてるため呟かれる「とにかく15日間撮ろうと決めたのだから」という口実によって、目的なく語ることの無意味さを耐えようとする。そのうち、現実に知人から詩人の活動への批判を聞くことによって、映像が懺悔録の様相を帯びて行き、『15日間』は一つのピークを迎える。
しかし、「ただ単に語り続けること」へ偏執する詩人は、作品の宛てられるべき他者を発見することによって、問題点をズレさせ、その息苦しさを突破しようとするだろう。後半一週間の展開によって、『15日間』はモノローグを内破しようとする詩人の軌跡へと、私たちに俄かに位置づけられる。完了への意志が、その条件ともいえる日々の語りによって屈折にみちたものである事実にどうにか折り合いをつけはじめ、転機が訪れると、決心したようにカメラを直視しながら日記をつけるようになる(何とも不思議なのは、同時に説明もなくマイクが右手から左手へと持ち替えられることだ)。詩人はそれと知らず、書くこと、話すことに存する含羞について、私たちに考えることを促している。

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