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夢みる権利――米本実氏の「錦糸町」をめぐって

"Yesterday's weather - only better." - theweatherchazz

*以下の小文は、米本実氏が2016年6月にブログに発表した「全ての音楽は「錦糸町」か、「錦糸町でない」かに分類できる」という文章を受けて書かれたもので、引用はすべてこの「錦糸町」論に依っている。

「ムード」とは、使用の度にやっかいな曖昧さにつきまとわれる言葉である。だが、CDやレコード、カセットテープといった記録媒体に「封印」された音楽には、たしかに、漠然とした情緒とは異なった、各々の固有のムードがある。わたしたちはいつしか、時に遠い過去、時に遠く離れた場所に起源する音楽に保存されたムードを探し求め、取捨選択し、召喚することに慣れてしまっている。だが、それらすべてが「わたし」にとって必要ではない。わたしたちは多かれ少なかれムードを尊重するが、お守りのようにしてずっとかかえるものは、ひとりひとりの有限な記憶が決定する。これは絶対である。
 こう言ってよいのなら、それは偏愛あるいは偏執の対象にちがいない。そして他人が自らの固着の経験を語る時、お互いの無関係性にもかかわらず、不毛な輝きをもった「何か」が現実化することがある(パーシー・フェイス・オーケストラあるいはピエトロ・ジェルミを語る時の細野晴臣の熱のこもった口吻……)。

 ある体験が懐かしい記憶のトリガーとなるように、芸術作品全般には、ある種の感覚や記憶を思い出させる力がある。匂いと音楽には、その力が特に強いと昔から思っている。ある楽曲が、失恋の記憶を引き出したり、楽しかった出来事を、そのときの空気感も含めて想起させる。この感覚を一言で表現するのは難しいが、ここでは仮に”ノスタルジー”という言葉を使うことにする。

 米本実氏は、自身の記憶と取り結ばれた絶対的な、かけがえのない音楽の基準のありかをこのように結論した。「全ての音楽は「錦糸町」か、「錦糸町でない」かに分類できる」――魅惑的な響きをもつテーゼだ。そして氏のように錦糸町に慣れ親しんで育ったわけでもなく、はずかしながらこの文章によって音楽的な街としての錦糸町について若干の知識を得たわたしのような者でさえ、果たしてこれが妥当性を有するのかどうか、検討の誘惑に駆られたのである。
 それは、「決定的な」ムードの参照点がやはりわたしにもいくつかあるというだけではなく、個々の記憶やノスタルジアと密接な、他の音楽と近年つきそってきた、という理由による。具体的には、チップミュージックとジャスコテックである。わたしが錦糸町的なものについて精通しているかどうかはあやしい。ただ、ここでおこなおうとする若干の比較は、あながち的外れでもないと思う。というのも、両者とも労働の音楽というよりも、「錦糸町」にとって要となる「日曜日的体験」、暇や遊戯の時間にしばしば水源を得ているかにみえるためである。またチップミュージックやジャスコテックは、過去の音楽にさかのぼって――個人が現実に生きた時間と空間をこえて――つねに「チップミュージック的なもの」や「ジャスコテック的なもの」を発見しようとする、氏の述べるような想起の経験にも動機づけられている。意識的あるいは無意識的に、わたしたちは諸々の差異において音楽を聴いている。

(…)日曜日に家族や恋人と、ショッピング、映画、食事などに出かけるとすれば、大概は錦糸町に出たものだった。そういった総合レジャー施設的な空間には、必ず緩いラウンジ的な音楽が流れており、つまり、買い物して、結末にイマイチ納得出来ない映画を見て、食事をして、ゲームセンターで遊ぶといったごく当たり前の日曜日的体験を想起させる音楽を「錦糸町」と名付けた。

 チップミュージックは、時間の経過が可能にする差異を本体とする。チップミュージックそのものにレトロなところは何もない。ただ、各々が主として過去に発売されたホームコンピュータあるいはゲーム等々のなかに特別な参照点にもっているだけである。手段は当時と同じ機材だろうと、ソフトウェア・エミュレーションだろうと、サーキット・ベンディングだろうと、スクラッチからの開発だろうと、何でも構わない。制限の度合いやみた目の古い、新しいにかかわらず、そうした選択には、必ず「現在時点」がセットされている。この内在的な観測点は、「錦糸町」における「想起するわたし」に相当する。
 チップミュージックは「錦糸町」になり得るか? あらかじめ結論を述べておくなら、しばしばノスタルジアの言説に支えられてきたにもかかわらず、それは「錦糸町」の基準からすれば、弱い、貧しい音楽である。想起を誘発する力に欠けているわけではないのだが、ムードの質がきわめて現前的である(そのため、わたしはチップミュージックの新しいリリースを紹介するさいの「どこか懐かしい」といった無害な、ありふれた形容に疑問をもっている)。
 まず、米本実氏が文章のなかで「音楽」と呼ぶものの多くが、スタジオで記録媒体に定着された、いわゆる録音物を指していることを確認しておこう。それら「音盤」が背景にもつ複雑さに対して、チップミュージックのハードウェア面あるいはソフトウェア面の構成はかなりピュアである。音楽の「スペック」が、安価なホームコンピュータや携帯ゲーム機(のサウンドチップ)によってのみ定まっていることもめずらしくない。そして録音物にみられるミキシングや加工の工程すら省くか、原理的に存在しないことさえある。究極的には、計算過程たるプログラムが実行され、シンプルな矩形波やサイン波から成る電子音が鳴ればよい。非=録音物としてのチップミュージック(純粋な「打ち込み」)は、「錦糸町」にとって大事と思われる「室内」から構築されるムードを、先験的にもたない、あるいはもちにくいのである。この点において、1970年代末にゲームサウンドをミックスしたYMOの「Computer Game "Theme From The Circus"」や「Computer Game "Theme From The Invader"」は、言葉の正しい意味でクロスオーヴァーであったと言ってよい。
 ところで、YouTube等の動画サイトには、サラウンド加工が施されたかなりの数のゲーム・サウンドトラックがアップロードされている。わたしはその意図を測りかねてきたが、それは投稿者のノスタルジアが、想起の経験に必要な物やイメージが不足している時、サラウンド処理によって録音物の衣装を借り、インスタントなムードの構成を要請した結果ではないかと考える。さらに、ゲーム・サウンドトラックにおいて古くからリヴァーブ処理を施す試みがなされてた事実もある。チップミュージックの先例あるいは範例としてのゲームミュージックの、プリミティヴな加工例には、準=録音物の輝きがある。

 研究の結果判明したことは、録音時期は1970年代前半から80年代中盤に多く、曲調としてはスローからミディアム・テンポで、ややメジャーの調性が多く、リズム楽器は重要ではあるがあまり強調しないなど。使用楽器の傾向としては、フェンダー・ローズやウーリッツァーといったエレピが挙げられる。したがってスティーヴィー・ワンダー(本人はもちろん、しょぼくアレンジされたものも含む)の作品はかなり当てはまる。更にヴィブラホン、フルートが入っていれば、より錦糸町色が強くなる。もっと贅沢を言えば豪華なストリングス・セクション(リバーブ深め)があれば最高!

 わたしはチップミュージック――少なくとも、ポール・モーリアの録音と比較して圧倒的に「リッチ」ではない――を不当に貶めるために、その貧しさを強調するのではない。ムードの構成が制限されたなかでも、チップミュージックは、独自に記憶と記録の関係を可視化させてきた。Amigaのトラッカー、ProTrackerで制作された楽曲(PCM 4ch)を例にとろう。

back in 1986 by Pink

1987-tune by Curt Cool

 ドイツとデンマークのミュージシャンによるこれらのトラック(モジュール)は、実は、1992年あるいは1993年に制作されたものである。では、タイトルの西暦は何を意味にしているのか?

 Amigaの初期の音楽作品の多くは、リズムマシンやシンセサイザーのサンプリングによって組み立てられていたが、対してPinkやCurt Coolの楽曲は、矩形波やノイズの短いサンプルを軸とすることで「響き」に特徴を持たせている。1986と1987という年号は、それらがAmigaに先行するCommodore 64に内蔵されたサウンドチップ(SID)によるシンプルな波形の合成で奏でられる音楽をモデルとしていることを示している。1993年という時点において、Commodore 64は現行世代を過ぎ、その商業的市場はピーク――1986年から1987年はまさに黄金時代である――を過ぎていたものの、アマチュアによる音楽制作はなおも継続されていた。だが、レトロと化すには短い数年の経過であれ、両方のマシンの差異がこのような「チップミュージック」を可能にしたのである(Amigaで制作される同種の音楽の発生はさらに1990年前後まで遡ることができる)。

 くわえて、ここではPinkの楽曲がノスタルジアを含意していることは重要である。彼のようなより「チッピーな」音を好むミュージシャンたちが提示したムードのコンポジション(「錦糸町」からすると、まだあまりにもドライだろうが)は、ProTrackerの後継に相当するより多くのPCMチャンネル数を有しより高音質なサンプリングが可能となったトラッカーで制作される楽曲において、きらびやかな展開をみせた。

Bright Eyes (1998) / Radix
* FastTracker 2で制作

 AmigaとProTrackerという環境においても、響かせやすい、またはそのなかでしかなし得ない質感があるにせよ、後継のFastTrackerやImpulse Trackerでは、たとえばAmigaのモジュールよりも豊かな残響成分を含むことが可能になり、ポスト・プロセッシングなしでも固有のムードを明らかに構築しやすくなったことが聞き取れるはずである。

 ファミコン(NES)の場合は、クラシックの素養をそなえたチップミュージシャンたちの努力が注目に値する。「chen goes to eientei (sfw mix)」のkfaradayは、FamiTrackerを用いて一度完成したトラックのドライで現前的なアウトプットに、空間処理を施すことで、ムードの貧しさに抵抗しようとしている。これは前述のゲーム・サウンドトラックにドルビー処理を施すような試みと似ているが、その目指す方向は異なっているように思われる。また、『NES JAMS』のShnabubulaは、ピアノの演奏とファミコン・サウンドを両立させるミックスの探求として重要である。

chen goes to eientei (sfw mix) (2015) / kfaraday

NES JAMS (2012) / Shnabubula

 彼らに対して、aanaaanaaanaaanaのトラッカー・ミュージックはあまりにナイーヴかつ散漫に聞こえるかもしれないが、トラッカーでしかなし得ないムードを喚起する試みとして貴重である。

I'm from damonidax (2013) / aanaaanaaanaaana
* BandcampのストリーミングはImpulse Trackerフォーマットの楽曲をコンバートしたもの

 kfaradayやaanaaanaaanaaanaはライヴをおこなわない、室内でトラックをひたすら制作するミュージシャンである。ベッドルーム・ミュージックの一種ととらえることもできるだろう。彼らの重要なモデルのひとつには、1990年代末からヨーロッパのチップミュージックとは異なったトラッカーの音像を切り開いてきた、カナダやアメリカのミュージシャンの存在がある(ジャンルとしてはIDMに分類されるが、ここではその点はさして重要ではない)。

line-drop ep (1999) / vexion
* Impulse TrackerおよびFastTracker 2モジュール

 さて、以上は室内から発せられ、もっぱら室内に向けた音楽である。だが、ムードとは果たして、録音物あるいは楽曲のシークェンスの「内部」にのみ含まれるものなのだろうか。それが再生される空間が、音楽にムードを与えているということはないだろうか。

 大学時代の友人が錦糸町近辺に住んでいる。数年前、久々に会うことになり、錦糸町駅で待ち合わせをした。時間があったので駅ビルのトイレへ。トイレから出るとアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲「WAVE」のへぼへぼなアレンジが流れていた。階段の踊り場の天然リバーブと混ざっていい塩梅。「あぁ~っオレは今、錦糸町にいる!」と感動したひとときだった。

 また、氏の別の場所での発言を追っていくと、「錦糸町的なもの」が錦糸町だけしか耳にできないものでなく、ごくありふれたラジオやTVといったメディアを介して――必要な歪みをともなって――構成(認識)されてきたことを認めているようである。この観点に立つと、ジャスコテックと「錦糸町」の類似のひとつが明らかになる。前者の大きな参照点であるスーパーマーケットで聞かれるような音楽とは、ヘッドフォンを両耳にあてて聞かれるような録音物であるというより、多少の騒音をともなった空間(室内!)のなかで何となく耳にする音楽経験のことを実際には指しているのではないか。ムードとは、総合的かつ複合的なものであり、また、聴者と音源(sound source)の間で相互的に構成されるものであると言えないか。
 だから、とくにメディアを通した歪みを増幅させるヴェイパーウェイヴのような音楽は、みずからの楽曲に歪みを「返す」ことによって想起の可能性を確保しようとする。MIDIによる平板な打ち込みのなかにさえ、ムードを書き込まずにはいられない欲望が発生する。それは「へぼへぼ」を許容する「錦糸町」からさえ、やはりいまだに「弱い」だろうし、ヴェイパーウェイヴの試みは、「錦糸町」を彩る逸話に対して、自意識過剰にみえなくもない。だが、それも想起を誘発しようとするあるムードの探求する試みの一種であることには変わりはないだろう。

Horseshoe Canyon Formation (2015) / Cryptovolans

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