見出し画像

later/alter――久保田翠『later』

 計画を立てることで、時間を組織化する。自分が再び生きられるようになるまで。
――ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』上岡伸雄訳、ちくま文庫

このアルバムを聴いた者はきっと一度ならず「later, later」と反芻するにちがいない。少なくとも私は想像する。特に、あなたが一度でも「生き直す」ことを試みたことがあるなら。

「later」――先送り、遅刻、会合の約束、未知の承諾、再来或いは復活、事後の訪れ、余韻――「後で」、とは実に不思議な時の了解の仕方ではないだろうか。「post」「after」がその後に続く語と一体化し、多かれ少なかれ裁断と定義の身振りを纏うのに対して、いまではないこと、現在への不一致を確認しつつ、「later」はたった一語口ずさまれるだけで、いま・この地点からさらに線を引くように時を開く。線を引きながら、注意を促す、主語になり得ない徹底して付随性の形容、副詞。こう比ゆ的に言ってよいものなら、別の次元が発生するに等しい事態がこの何気ない五文字にかかわっている。
「later」には、何がしか時に託されるものが含まれるからである。《それ》は遅れてやって来る。回避し得ない決定的条件から、「やって来るかもしれない」という漠とした期待まで、不確定性の色合いはさまざまだ。「later」は前・後の境界を分かつことなく、線を引くことによって変化を指し示す。

久保田翠『later』は作曲家・演奏家自身がのべるように、「遅れてやって来る」事態が一人の身体レヴェルに基づき主題化されている。

わたしたちは、つねに音へと遅れている。
音はわたしたちの聴こえの影である。
音像(イメージ)はつねに、遅れて到来する。
この作品は、耳(聴取)と指(演奏する身体)と目(読譜)との 
錯綜する様を捉えたドキュメンタリーである

アルバムの大部を占める“Performance Studies”と題されたインストラクション、試行のなかで、器官の錯綜は俎上に載せられる。

任意の楽譜を様々なインストラクション………楽譜を上下逆さまに演奏する、特定のパートのみ1小節遅れて演奏する、右手と左手を異なる方向へと同時に読譜して演奏する、など………に従って演奏する、一種のパフォーマンス作品である。(「アルバム later について」)

定義からして、録音物には改変の余地がない。いや、むしろ録音物こそ編集の可能性を開くというべきか。だがそこで、「編集しない」ことを選択する意義があらたに問われる。厳密に言えばあらゆるメディアは腐朽や改竄を免れないにしても、編集なき行為の記録がほぼそのまま「作品」としてパッケージされるならば、それは改変可能性と対極にある価値が重んじられる、ように見える。「完成」が期待され、その程度や質に応じて、人を落胆させたり喜ばせたりする。
ところで上記のように『later』は音のドキュメンタリーとして編まれている。作曲家・演奏家は日々の習練を積んだ上で、インストラクションにしたがい、特殊な読譜が壇上で課される。ふだんの読譜と演奏の反復によって高められるフィードバック回路の純度は意図的に乱され、譜面を読めない者にとっても「弾き淀み」のようなラグが発生していることが聞き取れる。そう、このドキュメンタリーにはいくつもの失敗が記録されている。注意すべきは、この試行が極限の上達と再現(自動化)から離れているだけでなく、技術の放棄からも遠くあるということだ。この絶妙なバランスゆえだろう、『later』は繰り返し聴いてもジャメヴュにみちて瑞々しい。ドキュメンタリーに記録されている「音源」が最小化されている――身体がたったひとつ、ピアノが一台――ことが、むしろ「遅れ」の持続をいきいきと感知させる。けして全貌を見通せぬ時制からの「瞬間ごとに判断し、瞬間ごとに忘れてゆく」(「疲労について」)身体のリズム。このリズムによって「戸惑い」や「躊躇い」は心理化されず、延長と全体化の傾向を持つ「ムード」は断ち切られ、濁される。

「later」を並び替えると(rearrange)、「alter」が姿を現すのは偶然だろうか(演奏家はまたその都度気を張り詰め(on alert)、パフォーマンスに臨む……)。この偶然は肯定に値する。“Performance Studies”は楽譜に潜在していた読み方を実現させる、作曲と即興の間にある再=編曲(re-arrangement)の方法ではないだろうか……。

そうして読譜行為と演奏行為とが一旦解体され、それらが再びつなぎ合わされるそのあわいに生まれる音は、楽譜を「普通に」読みながら演奏する音とはまるで異なっている。(「アルバム later について」)

完成とは別の術を模索する“Performance Studies”、そして『later』は、けして「慣れない」変化への意志に貫かれている。この唯一無二の不安定さを磨き上げる力(コナトゥス)は、高貴な静かな決意に触れたような、何がしかの感動を私に覚えさせずにはいられない。

久保田翠『later』(ombrophone records OMBR-0001)
*銘記なき場合、テクストの引用は演奏家のサイトからおこなった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?