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MODアーカイヴ手引 #1

MODアーカイヴ手引 #0

私たちはアーカイヴとコレクションをいたずらに対立させてしまったかもしれない。また、私たちが見てきたのは、全てのファイルをダウンロードすることが意味をなさない――何も聴いたことにならない――、適宜利用するのが望ましいサイトばかりであった。今回とりあげるのは、その全貌がはっきりと見える、今後その内容がほとんど、あるいは全く変化しない十分に踏破可能な小規模なコレクションである。ここに収録されたMODはほぼ全て、前回紹介したアーカイヴ・サイトから入手可能である。したがってその役目を終えているようにも見えるのだが、各々の編纂意図が貫かれているコレクションは、時間を経ても意義を失わないどころか、私たちの調査によって新たな価値を発現する潜在性を持っている。

Mods Anthology

http://hlsite.free.fr/modsanth/

1987年以来、初期のMODはフロッピーディスクとローカルBBSを介して流通した。やり取りする数量が大きな場合、低速の通信でのダウンロードに必要とされる膨大な時間・費用・手間を考慮すれば、ディスクを手渡しか、あるいは郵送で物理的に交換するのが当時の「合理的な」手段であった(実のところ、通信回線を不正に使用することでこうした問題を部分的に回避する者も存在した。フリーカーと呼ばれる彼らのハッキングを説明するのは別の機会に譲る)。今日のように作曲者と楽曲が正確に対応付けられたデータベースが登場するには、通信その他のテクノロジーの進展とシーンの成熟を待たねばならなかった。
1996年、デモシーンとトラッキング・シーンの「シーン」は地理的にはまだほとんどヨーロッパを指していたが、コミュニティは相当に成熟していた。この年、DreamdealersやHemoroidsといったフランスのデモグループに所属していたGryzorという名の男――MODコンポーザーでありコレクター――が、独自のMODコレクション「Mods Anthology」をリリースした。CD4枚組、18000トラックという規模は、数十万トラックを擁する今日現存する巨大アーカイヴと比較すると小さく見えるかもしれないが、元となるメディアが容量880KBのフロッピーディスクであることを考えると、これがいかに常軌を逸した試みであったか想像できるだろう。「Anthology」のリリースにあたって、Gryzorは蒐集に6年、さらに作者との連絡に6ヶ月を費やした。このコレクションの特徴の一つは、インターネット、ミニテルや電話、カタツムリ郵便、直接の面会等あらゆる手段を通して、収録物に関して可能な限り作者の許可を得ようとしたことにある。このような行為が一個人によってまだ可能であったというよりむしろ、おそらくこの時をおいてほかに実現できなかった事実に私たちは驚くべきかもしれない。
Gryzorが「Anthology」の実現に向けて奔走していた1995年から1996年は、CD-ROMというメディアが未だ「ホットな」時期であっただけでなく、MODの主要な作曲プラットフォームがAmigaからMS-DOSマシンへ移行したばかりの時期でもあった。ヨーロッパを中心としながらもアメリカやカナダ、そして日本を巻き込んだトラッキング・シーンの類例のない過熱は、その後数年に訪れるが(それは、ある作者が私に語ったところでは、MODがフォーマットとして「終わりつつある dying」時でもあった)、Amiga後期にリリースされたこのコレクションは、したがって来たるべき時代の予兆と共に、トラッキング・シーンの先駆者たちのよく知られた成果が記録されている。つまり、この時点で、誰のどの曲を知っておくべきか、という一定の共通認識ができあがっていたわけである。より網羅的に見るならば、作者や楽曲の遺漏を挙げるのは容易い。だが選出と分類の基準はここに至るまで10年弱の間のシーンの成熟が間違いなく反映されており、それは20年以上経った現在も通用する。これが全てではないが、MODアーカイヴの背後にある価値観に挑むなら、この偉大な達成から始めることができる。

ModP3

http://modp3.mikendezign.com/

一般的に音楽は広まれば広まるほど、複製されればされるほど、当初持っていた文脈や背景を忘れ去られる。時には、悪意の有無にかかわらず、作者の意に全く反した意味を付け加えられ流布されることすらある。私たちがこの残酷な希薄化・偽造の過程に抗おうとすれば、第三者としても当事者としても、若干のあるいは相当の苦労を要する。反対に、音楽に対する膠着的価値観や無理解に対して新しい価値判断を持ち込むことも容易ではない。あるいはこのような苦労から逃れ、人を昂揚させることもあれば落ち着かせることもある「任意のデータ(感覚刺激物)」としてそれらを楽しむこともできる。以上の「条件」はMODにも当てはまる。
MODは必ずしも単体の音楽作品として発表されてきたわけではなかった。80年代後半から90年代前半にかけて、商用ゲームのサウンドトラック制作に採用されることもあったが、それ以上にMODを使用したのは、当時10代から20代前半のアマチュアであった(これは綺麗に二つの派閥に分けられるわけではなく、このようなアマチュアの一部が、商用のゲーム開発に携わることもめずらしくなかった)。デモシーンを背景に出発したMODトラッキングにおいて、「自分の音楽を発表すること」は、大小のグループで構成されるデモシーンに参与し、その場所特有の「流通の仕方」に従うことだった。グループは、例えばクラッカー、スワッパー、グラフィシャン、コーダー、システムオペレーターといった職能を持ったメンバーから構成される。このような職能の一つにミュージシャンがいたというわけである。
大半のグループの主要な目的は、各々の名前の付いたプロダクトを発表し、同じような目的を持つ仲間(シーナー)に名声を轟かせることである。プロダクトとして最初に登場したのはクラック、つまりコピープロテクションを取り除かれた商用ソフトウェア(多くはゲーム)だった。次にそのクラックの実行画面に絵と音からなるイントロを付け加えることでクラッキングを差別化する試みが始まった。これはクラックとは独立してクラックトロあるいは単にイントロと呼ばれた。競争のなかで絵、すなわちグラフィックは次第に派手にアニメーションするようになり、音はそれに対するサウンドトラックの役割を果たすことを期待されるようになり、クラックトロは一定の長さを持つプレゼンテーション・プログラム、デモへと発展した。技術的・美的観点からデモを評価し合うコミュニティが、すなわちデモシーンである。デモシーンの発展のなかで、すぐまさ音楽のみを集めたミュージックディスクというプロダクトの形態や、音楽の提供を主要な目的とするミュージック・グループという分類が生まれたが、デモシーンにおいてデモが最も注目される――したがって最も競争が激しい場所である――のは、現在まで変わっていない。
mihcaelPigStickerが2008年から運営するModP3は、Amigaで制作されたMOD(.MOD)を当初のプロダクトに遡って、何時、いかなるグループからされたかに配慮しながら紹介する、比較的小さなコレクションである。ジャンルに関して言えば、テクノやハードコアに傾いている。チップチューンを探しているのなら、別のサイトへ向かうべきだ。例えば――。

Chiptune dot com

http://chiptune.com/

コレクターが自らの成果を公にする時、一人の人間の利害から解き放たれることによって、コレクションは違った意味を、目的を、使用法を持ち始める。Gryzorも元々はデモシーンの音楽的側面に魅せられたMODコレクター、つまり「ファン」だった。デモシーンの由緒あるクラッキング/デモグループRazor 1911の主要メンバーであるRezもまた、デモシーンを回遊するなかで構成してきた自分のお気に入りを1997年からオンラインで公開している。
RezもGryzorと同じくフランスのシーナーではあるものの、1990年代前半から活動し始めた彼は、フレンチ・デモシーンの(さしあたり)第二世代に属している。このコレクションの性格と運営目的もまた、「Anthology」とはかなり異なっている。
まず、あくまで小規模であるという点。おそらくは自分の音楽的趣味のバイアスをかなり認めた上で、年月をかけて更新されている。(実はその名に期待するものとは反し)チップチューンを包括的に収集するプロジェクトでも、まとまった情報を提供するサイトでもないので、Rezという個人の「私性」のようなものが保たれている。それはコーダーとしての彼がてがけたサイトデザインにも反映されている。
また一方で収集対象に関しては、包括的性格を持つとも言える。このコレクションの範囲は、Rez自身も作曲手段として選んできたAmigaやMS-DOSをオリジナル・プラットフォームに持つ音楽フォーマット(MOD/S3M/XM/IT)に限定されていない。Amstrad CPCやMSX、Sega Genesisといったハードウェアで発表された楽曲もここには含まれる。
さて、このコレクションの一番の特徴は、もちろん「チップチューン」を扱っている点にある。ここでこの用語の指しているものは、矩形波や三角波やノコギリ波といった、いわゆる単純波形を音響上の主要な構成要素として持つ音楽である。またそれらの波形がハードウェアに搭載された個別のサウンドチップの仕様に由来するものか、ソフトウェア上で再現されたものであるかに関係なく、聴覚上の類似性が優先されている(この基準はModlandに近い)。
このサイトを探求することは、したがって管理者Rezに受肉化されたチップチューンを紐解くことになるだろう。

mazemod

http://www.mazemod.org/

MODを聴くことは、人によって作られたものに関して、「傑作」「天才」等々の言葉を使わざるを得ない価値観から逃げ出すことである。たしかに、その言葉に値する作品や人物は存在する。特にデモシーンとの関わりでMODが評価システムなかで/と相対して流通してきたことも、また事実である。MOD関連のサイトを巡回すれば、いくつものチャートを目にするだろうし、誰もが「これは素晴らしい/駄作だ」「過小/過大評価されている」等々、しばしば挑発的な口吻で自らの趣味の良さを競い合っているように見える。
GryzorやRezのようなコレクターあるいはファンを突き動かしているもの、彼らの実践を支えている原理とは何だろうか。収集の自己満足、何かをより多く知っているという承認欲求。そのように言うことほど、彼らの行為を矮小化することはあるまい。音楽的実践としてのMODは、名前はあるがほとんど振り返られることのない、時には現在では誰か特定することもできない無名の者によって築かれてきた。もっと踏み込んで言うならば、コミュニティのなかでよく知られている人物さえ、その他のメジャーなコミュニティ(例えば商業音楽)に属する者からすれば、無名である。GryzorやRezが作者不詳のMODをコレクションに加えているのは偶然ではない。これは相対的な認知度の問題ではない。
また、MODには「作品」「音楽」「楽曲」と呼ぶことさえ似つかわしくない小さな実践が、無視できない規模で存在している。数十秒未満の、あるいは数秒未満のループ。数時間で制作されたラフな打ち込み。ジョーク。
mazemodはそれらMODを支える細部に敬意を払った、MODファイル(.MOD)のコンピレーションからなるジュークボックス・サイトである。運営はBozooGlafoukMbertiero+ro。フランスのネットレーベルDa ! Heard It Records(2006-)界隈の人物である。とにかく一つの一つのファイルが入念に調査された上で選ばれていることは、むしろMODアーカイヴを経ることでより明らかになる。その点は、コンピレーションの編者に、deetsayやgoto80、gwEm、xylo等、MODの誠実な証人たちを招いていることからも伺えるだろう。一方でacid、bass、chipという分類は大胆かつ正鵠を射ている。コンピレーションも個別にダウンロードが可能である。間口は広いが、総体の把握は容易ではない。「maze-mod」をあざやかに実行していると言うべきだ。o+ro(Julien Ducourthial)のサイトデザインも素晴らしい。

V/A - Amiga Protracker Jungle/Drum & Bass

https://www.mixcloud.com/echolevel/

MODフォーマットは主として非営利的活動を通して普及してきたが、つねにその時代の商業音楽と共にあった。1985年、Amigaが発売されると、作曲志向のヨーロッパのAmigaユーザーたちにとって最初の大きなインスピレーションの源になったのは、セカンド・サマー・オブ・ラブだった。その後一度も、つまり現在まで、彼らがヨーロッパのダンスミュージックの流行に無関心であったことはない。
ヒップハウス、アシッド、イタロディスコ、アシッドジャズ、レイヴ、トランス、ハードコア、テクノ、トリップホップ……なかでもジャングルとドラムンベースはMODフォーマット(.MOD)に最も親和的なジャンルとして注目に値する。4チャンネルという最大同時発音数の少なさ、8-bit・28kHzというサンプリング周波数に関する制約(Amigaの作曲ツールのデファクトスタンダードProtrackerでは、サンプルの最大数は31、一つのサンプルの最大容量は128kb)は、これらのジャンルでは有効に働く。言い換えるなら、妥協のないかたちで音楽制作が可能である。その証左を、Urban ShakedownやIbiza Crew等による、商業音楽シーンでのAmigaの利用例に求めることができるだろう。
Amigaジャンルグル、そしてその後のAmigaアートコア、ドラムンベース等々は流行の産物として90年代を通して見られた現象であっただけでなく、今日では強固な支持層を築いている。デモシーンではSyphusの名で知られるEcholevel(Brendan Ratliff)もその一人である。2013年にリリースされた「Amiga Protracker Jungle/Drum & Bass」は単なるミックスではなく、Ratliffのその他の活動――MOD/S3M/XMファイルを用いてDJが可能なJavaScriptアプリケーション「Chipdisco」(2010)や、「.MOD KILLS THE MP3 INDUSTRY」を標語に持つAmiga用DJソフト「PT-1210 Mk1」(2013)――との結び付きのなかで捉えられるべきコンピレーションである。また、MODに限らず、デジタルに流通される音楽の可能性を見極めようとするならば、鋭い知見に満ちた彼の修士論文「フリー共有される1990年代のコンピュータ・デモシーンのトラックト・ミュージックが、MP3時代の到来を生き延びたのはなぜか?」(2007)を訪ねて損はない。

Tracker Music High-Quality Videos

https://www.youtube.com/channel/UCfq81xH-bv6-TS2OccKbFYg

とくに2000年代後半以降、動画共有サイトが音楽に関しても最もアクセスしやすい手段の一つなのは論を俟たない。当初の発表メディアと意図された流通形態を(厚かましくも?)無視した参照のしやすさは時に批判にさらされることもある。YouTube上にもやはり、個人の簡易的なコレクションとしてのMODチャンネルがいくつも存在する。さしあたり、それは比較的フェアな行為である。だが、手軽に音楽が聴けるという利便性をこえて、編者の明確な意図が見えるものは少ない。
イタリアの青年Yloaのチャンネルは、そのような貴重な試みの一つである。1990年代後半から2000年代前半にかけて、MODはIDMを一つの領域として見出し、より繊細なトラッキングを発展させた。MerckやdeFocus、あるいはWarpといったレーベルから、トラッカーで制作された楽曲がCDとして発売されることもあった(MachinedrumがImpulse Trackerを使用していたのはよく知られている)。裏を返せば、この時代は、MS-DOSマシンあるいはAmigaとフリーのトラッカーの組み合わせで制作されるMOD(特にXM/ITフォーマット)が、同時代の商業音楽の水準にぎりぎり近付き得る(最後の?)時代であった。YloaはMODが真に冒険的であろうとしたこの時期の楽曲を、注意深く選んでいる。

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